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「僕の人生は、流されながら自殺しようとしていた」角川春樹が語る波乱万丈の人生

集英社オンライン / 2022年10月28日 17時1分

出版界のドンにして俳人の角川春樹さんといえば、角川映画を立ち上げ、出版と映画のメディアミックスを始めたり、麻薬取締法違反で逮捕されたり、神社を創建したり…と、破天荒で波乱万丈な人生を送ってきた。自身の人生を「流されながら自殺しようとしていた」と語る真意とは?

7月に俳優・石坂浩二さんから始まった、佐々木徹氏のインタビュー連載「遺魂伝」。「この人の“魂”の話を今のうちに聞いておきたい!」という当連載の第2回ゲストは、出版界のドンにして俳人の角川春樹さんである。

角川さんと言えば、角川映画を立ち上げ、出版と映画のメディアミックスを始めたり、麻薬取締法違反で逮捕されたり、神社を創建したり…と、破天荒で波乱万丈、あふれるバイタリティで様々な地平を切り拓いてきたイメージがあるが、角川さん自身はその人生を上記タイトルのように語るのであった。その真意とはいかに?

角川春樹(かどかわ・はるき)1942年、富山県生まれ。角川春樹事務所会長兼社長、映画監督・プロデューサー、俳人。1965年、角川書店入社。75年、角川書店社長に就任。76年より映画制作に乗り出し、書籍と映画を同時に売り出すメディアミックスの手法で一大ブームを巻き起こす。93年、麻薬取締法違反などで逮捕され、2000年、最高裁判決で懲役4年の実刑確定。出所後は出版、映画制作に復帰し、現在も〝生涯現役編集者〟として活躍中。

「7月20日ですか、10歳になる息子と一緒に『日本のドン』(TBS系)を観たんですよ」

──ああ、はい。千鳥がMCのトークバラエティ番組ですね。角川さんは「出版・映画界のドン」としてご登場。若かりし頃の渋谷での1対200人の決闘話も紹介されていました。千鳥の2人が角川さんにビビリまくっていたのが笑えましたよ。ツッコミどころ満載のエピソードばかりなのに、大悟なんか角川さんと目も合わせない。

「(笑)」

──観ているこっちは、少しイラッとしました。そんな弱腰なら、番組のMCを引き受けなければいいのにと思って。

「こちらも葛藤がありました。番組の性質上、私のこれまでの歩みを追う内容ですし。となれば、あの件にも触れることになる」

──でしょうね。

「放送日の前日、息子が無邪気に喜んでいましてね。私のベッドの上で笑い転げながら〝明日、パパがテレビに出るんだってね、楽しみだよ〟とはしゃぐように言っていたんです。でも、放送される内容は息子が素直に喜ぶものばかりじゃない」

──逮捕、収監の話とか。

「逮捕時の写真、映像が流れるのはわかっていましたから。一応、それらの映像を流すのは止めてほしいと制作側にお願いしたのですが、彼らからすれば、テレビ的に必要な映像となる。つまり、テレビ的な注目を集め、視聴率を取ろうとしている。

実際、けっこうな視聴率を稼いだようですが。そんな背景を十分に理解していたはずなのに、結局は番組出演を引き受けてしまった。息子のことを考えると、ものすごい後悔の念に駆られましたね」

──大好きな父親の逮捕劇がテレビから流れたら、少なからずショックは受けるかも。

「去年、息子はいじめに遭ったんです。いじめられる原因はいろいろとあったみたいなんですが、そのひとつに私のことがあった。息子に対して〝お前の親父は前科を持った犯罪者だ〟とからかうヤツがいたんですね。

でも、それは事実ですし、抗弁できない。それなのにテレビでリアルに私の逮捕時の映像が流れたら、息子は再びいじめに遭うかもしれない。私のせいで以前より、もっとひどくいじめられるかもしれない」

──それでも、一緒にご覧になったわけですね。

「微かな希望はありました。昨年の夏から、私の影響で息子は剣道を習い始めたんです。しかも、たった1年間で3級の試験に合格したんですよ。1年で3級に昇級できる子供はなかなかいないらしくて。道場の指導者も、昇級試験というプレッシャーがある中で、平常心を保ちつつ、素振りの形も立ち合いでも己のベストな状態を作り出せていたと驚いていました。

たぶん、私の知らないところで、鍛錬を続けたんでしょう。ずいぶんと肉体的にも精神的にもたくましくなっていたようです。だから、耐えられるかな、とは思いました。実際、番組を見終わり〝お前が私と観たいと言うから、一緒に観たけども、大丈夫か?〟って問うと〝大丈夫だよ、パパ〟と言っていたので、安心しましたね。その後、私は息子に、こう言ったんです……」

──さて、角川春樹は10歳になる息子に、どのような言葉を告げたのか。それは後半でのお楽しみとして──。

ともあれ、出版業界に携わる者としては、冒頭で話題にした『日本のドン』は、実に刺激的な番組だった。なにせめったにテレビに出演することのない角川春樹が、これまでのエネルギッシュな人生を振り返り、現在の角川春樹事務所の社長としての日常も紹介するというのだから、自然と目がテレビ画面に貼り付く。

ただ、千鳥の突っ込み不足はあるにせよ、物足りなさを感じたのも確かだ。

いやだって、あの角川春樹だぜ。

渋谷での1対200人をはじめとする数々の武勇伝。父親との確執に悩みながらも、次から次に斬新な出版アイデアを繰り出し、角川書店を立て直した経営者としての剛腕。その後、映画界にも進出。映画作品と文庫を組み合わせるというメディアミックスを確立させ、大量の映画CMをテレビで打ち、観客動員に結び付けたアイデアは輝かしくも画期的だった。

それだけではない。

出版社の偉い人であったり、映画のプロデューサーというのは革張りの椅子にふんぞり返り、あれこれ部下に指示を出すのが仕事だと思いがちだが、角川春樹は違う。自ら映画のロケハンで危険地帯である東南アジアのゴールデントライアングルを突き進んだり、邪馬台国の謎に迫るべく、ヨットの野生号に乗り込み、帆が折れようと荒波を乗り越えた。

一歩間違えれば、そこには確実に死が待つ冒険の旅を重ねてきたのだ。私なんか何を好き好んで危ない目に遭わなくてもよかろうに、と思うのだが、おそらく「死」に対して揺るぎない覚悟なるものを持っているのだろう。

これは角川春樹に対する勝手な思い入れになるのだが、例えば、保守的な会社組織にありがちな〝前例がないから、やらない〟を最も嫌い、逆に〝前例がないからこそ、必ずやり遂げる〟を実践してきた人ではあるまいか。

その一方、大麻所持などで逮捕、角川書店追放の闇もある。

まさに光と闇が混濁し、勢いよくグルグル回り続けることよって周囲の人間たちをも巻き込み、齢80を超えてもなお、凄まじい魂のパワーを放ち続けている。

となれば、2年半も続いている新型コロナウイルスのパンデミックで閉塞感と生きづらさを感じているいま、テレビのバラエティ番組では収まり切れない、収まり切れるはずもない、そのゴツゴツとした荒ぶる魂に触れてみたい。

触れることで、胸の奥にくすぶっている何かを吹っ切りたい。

そんな切なる願いは、夏の盛りに実現。

音もなくふわあっと現われた角川春樹の佇まいには少しだけ老いを感じたけれども、いまだ衰えぬ眼光には一瞬にして人の心を見抜く居合斬りのような迫力が帯びていたのだった――。

やっていない罪を認めたら、自分に不誠実になってしまう

──2000年の冬、この時期が角川さんにとって最もしんどい日々だったと思います。懲役4年が求刑され、さらに胃がんも宣告。それでも『たかが刑務所、たかが胃がんじゃないか、そんなことでいちいち驚いていたら、存分に生きることができないじゃないか』という言葉を残しているのですが。

「それは福田和也(文芸評論家)に対して残した言葉です。彼がその時期、私を訪ねてきたのだけども、現実に刑務所に収監されている角川春樹を見てしまった。しかも、胃がんであることも知ってしまった。自分にとって親しい友人がこのまま刑務所で死んでしまうかもしれない、二度と会うことができなくなるかもしれない……福田和也はそういう想いに駆られたのでしょう。

たぶん、訪ねてきた時は多少なりとも私を励まそうと思っていたはず。しかし、現実の角川春樹を観てしまった瞬間、逆に自分が落ち込んでしまったというね。だから、〝たかが刑務所、たかが胃がん〟だと言い放ったんです。つまり、彼を慰める意味合いのほうが強かった」

──自分を鼓舞するために放った言葉ではなかったのですね。

「振り返ってみれば、もちろん、あの時期はしんどかったですし、〝まいったな〟と正直、実感していました。なにせ刑務所、胃がんだけじゃなかったですから」

──他にも?

「角川春樹事務所の倒産危機です。いつ会社が倒れてもおかしくない状況でした。それこそ収監、胃がん、倒産危機と同時期に3つも重なれば、いくら私でもへこむ。

しかも悪いことは重なるもので、胃がん宣告の後に腸閉塞も起こしていましたし。結局、にっちもさっちもいかなくなっていたので、白石慈恵さん(真言宗御室派観音院住職)に電話したんです。白石さんは観音様からのチャネリングを開いている人なんですよ」

──観音様とお話ができる?

「そうです。白石さんはそのような悩みの相談を受けると、決してご自分の意見を言わない。あくまでも観音様はこうおっしゃっていると伝えてくれるだけなんですね。で、白石さんは私に告げました。〝あなたに越えられない試練は与えられていない〟と。

これはでも、他の宗教、例えばキリスト教でもよく使われ、聞く言葉なんですよね。そういう意味では、目新しさのない言葉でしたが、現実に3つも苦難が重なっていたあの時期においては、素直に受け入れることができたんです。むしろ、当時の私からすれば、救いの言葉でもありました。

その時期ですよ、福田和也が訪ねてきたのは。落ち込んでいる彼に対し、越えられない試練はないのだから、〝たかが刑務所、たかが胃癌じゃないか〟と励ますように言ったわけなんです」

──でも、なぜに越えられない試練はないと素直に思えたんですか。私だったら、そんな『絶望3大苦難セット』を目の前にしたら、ほとほと精神が疲れ果て、乗り越えるのは無理だと諦めてしまいます。

「刑務所は実際に収監されてみると、イメージしていたより、もっとひどかった(笑)。自由がないのは当然として、刑務官の嫌がらせだったり、受刑者同士の足の引っ張り合いだったり。それでも初犯だし、少しの間だけ辛抱したら、さっさと出られるだろうと思っていたんです。

弁護士も問題を起こさなければ、それこそ刑務官の挑発の罠に引っ掛かってしまい、所内で暴力事件でも起こさない限り、早めに出られるんじゃないかと言っていたくらいなんですね。でも、結局は満期近くまで収監されることになった。理由は徹底的に戦ったからです」

──当時、関税法違反・業務上横領は絶対に認めないという姿勢でしたよね。

「さらにいえば、2000年8月かな、私の裁判記録を記した『推定有罪』(濱崎憲史・濱崎千恵子、角川春樹事務所)を出版した。司法側からすれば、〝なんて本だ、角川春樹はとんでもない男だ。我々に難癖、いちゃもん、逆らおうというのか〟といったところですよ」

──大人しくしていればよいものを、という感じですか。

「そうそう、そうです。まあ、事件当初から検事にも〝罪を認めれば、執行猶予になりますよ〟と言われていましたし。この言葉、非常に魅力的でね(笑)」

──少し心が揺れたけども、背を向けた?

「ええ、拒否しました。なぜなら、自分はやっていないんですから。それなのに受け入れたら最後、自分の矜持は消え失せると思っていました。角川春樹が角川春樹でなくなる。だから、一貫して拒否したのです。

ましてや、認められないからこそ戦っているのに、執行猶予を餌に従ってしまったら、それまで自分が主張してきたこと、言ってきたこと、いや、言い続けてきたことが不誠実になってしまう」

──繰り返しになりますけど、やはり、不思議です。刑務所の中で閉ざされたひとりぼっちの環境に追いやられた上に、『絶望3大苦難セット』を背負っていても、なぜに〝越えられない試練なんかない〟と思えたのか。

「刑務所での私に対する刑務官や受刑者たちの嫌がらせは日常茶飯事で、最初の頃は面食らいました。私にも感情はありますし、ついカッとなる場面もあった。でも、弁護士が言っていたように、相手を殴ろうものなら、懲罰房行きになる。懲罰房2回で刑期は満期になってしまう。

さらに問題を起こすと、今度は刑期が重なる。そういう現実を前に、当時の私はどんなに理不尽な状況だろうと、耐え続けるしかないと覚悟しましたね。では、どのようにして耐えることができたのか」

──教えてください。

「あの頃の私は、常に日々の現実を前にし、いま目の前で起こっていることはすべて〝過去の出来事〟であると言い聞かせていたんです。己の意識を未来に飛ばすというか」

──未来?

「ええ、未来です。例えば、刑務官が私を怒らせようとして暴言を吐いたとしますよね。そのことで私の感情が荒れる。殴りつけたくなる衝動にも駆られる。だけれども、意識は未来にあって、この生意気な刑務官と向き合っている自分は〝過去の私〟なんだと思うようにしたわけです」

──未来から俯瞰して自分の姿を眺めているから、今まさに刑務官と向き合っている角川春樹には何の感情も湧き出てこないということですね。

「だから、腹が立つこともスルーできて耐えることができた。それと、刑務所では読書と俳句を作ることが許されていたことも耐えることができた理由です。結局、獄中で2冊ほど句集を出すことができた。周囲がいくらこちらの感情を揺さぶろうとも、読書と俳句、この2つがあったおかげで耐えることができたと思います」

──耐えているうちに、満期近くの2年5か月が経っていた、と。

「耐えて、耐えて、耐え抜いた2年5か月と13日です。考えてみれば、獄中で経験したような絶望とか踏みにじられ方、挫折感なんてものは、それまでの人生でもあったことですし。母の存在も大きかった。

当時、母は病を患っていて体調が芳しくなかったんですよ。もしかしたら、出所するまで間に合わないかもしれないと不安だったので、なんとしてでも母が生きているうちに会いたいと願いました。そのためにも、ひたすら耐え続けるしかなかった」

──耐え続けていくうちに、自然と時は流れ、気がついたら、苦難を乗り越えることができたのですかね。ちなみに、獄中の苦行をもう一度してみろ、と言われたら?

「同じ経験をしたいとは思いませんよ(笑)。したくはないけど、私の出発点の1つです。原点の1つと言ってもいい。大きな原点の1つであることは確かです」

今の日本人は生きることへの飢餓感を失っている

──獄中での理不尽な経験などを乗り越えてきた角川さんからすると、この2年半のコロナ禍は〝たかが新型コロナウイルスじゃねえか〟となりませんか。

「そのとおり。〝たかがコロナ〟ですよ」

──ウヒヒヒ。その一言を待っておりました。

「あんなウイルス、たかが知れているじゃないですか」

──ブッハハハハハ。

「思い返してください。例えば、戦時中の日本を。私自身は戦闘に参加していないけれども、巻き添えに遭っていた側の人間でした。子供の頃は毎日のように防空壕に避難していたんです。

そして、終戦間もない頃は食料危機と戦っていたわけですよ。上野とかね、繁華街には戦争孤児が溢れ返っていてね。GHQがチョコの欠片でも取り出そうものなら、一斉に群がり取り囲んで口に入れようとしていた。日本全体がどん詰まりの状況でしたよね。そういう時に人間というのは……」

──ええ。

「死ぬことなんか考えない。つまり、自殺を考える人間なんていないんです。人は精神的に追い詰められると、自ら死を選択したりしますが、食べるものがないといった追い込まれ方をした場合、本能的に生き延びなきゃいけないと必死になる。ま、よっぽど変わった人間以外は(笑)」

──生きることに飢えている状態?

「そういうことです。生き抜くことへの飢餓感が逆に、力を与えてくれます。それなのに、1回目の緊急事態宣言下の東京はひどかったね。やみくもにコロナを怖がるばかりで、しかも政府の言いなりになって、生きることへの本能の凄み、強さなんてものは微塵も感じられなかった。あの時期、東京は死んでいたでしょう? 夕飯を食べたくても、どこも閉まっていましたし」

──でも、角川さんのことだから、無理やり懇意の店を開けさせたんでしょ?

「そう(笑)。そこで夕食を食べ、街に出ると灯りがない。本屋がテナントとして入っているビルも真っ暗。こういう状況だからこそ、知恵や勇気を与え続けていかなければいけない本屋が閉店している。本屋の使命さえ放棄してしまっていた。そんなシャッターが降ろされている本屋を見やりながら、日本人はなんと脆くなったんだろうか、と思いました。

これは私だけが抱いていた感情ではなかったはず。戦争体験者はみなさん、今の日本人は脆弱になりすぎていると呆れているんじゃないですか。戦時中、戦後間もない頃の日本人は死が身近にあったぶん、生きることに敏感だったし、貪欲でもありましたよね」

──繰り返しになりますが、生きることに飢えていたという。

「そうです。それがかりそめの平和が訪れ、死というものが疎遠になった時、日本人は生きることに鈍感になり、惰眠を貪り、すぐに不平不満を募らせ、結局は何も考えなくなった」

──あの時期、例えば、家での自粛がストレスだとか、たまには仲間うちでパーッと騒ぎたいとか、いろんな不平不満の声が上がりましたけど。

「自粛生活? 天国ですね。何の苦労があるっていうんです? なんにせよ、コロナに関しては大騒ぎがすぎた。中世に流行したペストじゃあるまいし。あれでヨーロッパの人口の4分の1以上が死んでいますから。当時は医療も進んでいませんし、感染が収まるまでに時間がかかったりした。

コロナはその点、中国の武漢で発症したウイルスだとわかっていたし、現代の医学をもってすれば、それほど長くかからず、収束への道筋もつけられる。ウイルスの変異にしても、十分に対応できる力を私たちは備えている。日頃の生活に少し注意を払えば、ビクついたりせずにやりすごすことができるんです」

──いきなり宇宙から飛んできた未知のウイルスじゃないですしね。えっと、話を戻しますが、角川さんが獄中で放った〝たかが刑務所、たかが胃がんじゃないか〟で思い出したことがあります。元プロレスラーで、格闘家の前田日明という男がいましてね。

「知っていますよ、前田日明。彼、私に脅かされているから(笑)」

──うわっ、なかなかいないですよ、あの前田日明を脅す人って。

「あれはいつだったか、苫米地英人さんのトークライブが開催された時のことです。結婚する前のうちの女房が歌って、その後、苫米地さんと前田のトークがあり、最後に私とのトークという流れでした。それで女房が控え室にいる前田に挨拶に行ったらビビッてね」

──私は彼の自伝『無冠 前田日明』(集英社)を上梓しているから擁護するわけではないんですが、前田の場合、引退後に体重が急激に増え出し、座ると、お腹が邪魔してふんぞり返っているように見え、さらに葉巻を覚えちゃったから、危ない人に映っちゃう。ただ、基本的に悪い男ではないです。それなりに礼節をわきまえているし。

「私も女房から怖かったと聞かされ、なんだ、そいつは、と思い、トークライブで披露する予定だった愛用の木刀を片手に、前田の控え室に乗り込んだわけです。で、前田の姿を見つけた瞬間、木刀を投げつけました。そうしたら、前田が木刀をキャッチして。すかさず、お前が前田日明か? と言うと、彼が〝はい〟と答えて」

──そういう素直なところもある男なんです、前田は。

「まあ、そうだね、基本的に悪い人間ではない。あのトークライブ以降、何度か会ってます。彼の結婚式にも出席していますし。彼がおっぱいフェチだってことも知ってる(笑)」

──ええっと、ですからね、話を戻します。前田は第二次UWFを設立、一大ブームを巻き起こしますが、結局は3つのグループに分かれてしまうんです。それで第二次UWF時代にデビューした垣原賢人というレスラーがいましてね。いわゆる前田の後輩にあたる男です。

その垣原が悪性リンパ腫を発症。一時は危険な状態だったらしいです。そんな垣原を応援しようと2015年8月18日に後楽園ホールで『Moving on~カッキーエイド』が開催され、先輩後輩のレスラーたちが試合をし、ゲストとして前田が招かれたんですよ。

「うん」

──ロープをまたぎ、リングに上がった前田はマイクを握り締め、真正面から垣原の目を見据え、こう言ったんです。

「みなさん、心配しないでください。レスラーはがんなんかでは死にません。だから、垣原ぁぁ、たかががんくらいでオタオタすんじゃねえ!」

──その瞬間、後楽園ホールは前田コールの大爆発。不思議だったのは、私も含め、多くの観客が前田の名前を叫びながら、自然と背筋が伸びていたんですよね。もしかしたら、あの前田の激で〝スイッチ〟が入ったのかも知れません。

さきほど〝生きることへの飢餓感〟の話になりましたが、あの時、垣原を始め、居合わせた多くの人たちは改めて死を身近に意識し、その上で生きたい、自分の知恵と力で生き抜くんだという〝スイッチ〟が入ったのだと思います。その覚悟がひとりひとりの背筋を伸ばしたのでしょう。

「垣原選手のその後は?」

──角川さんのように闘病に耐えて、耐えて、耐え続け、乗り越えました。2017年には師匠の藤原喜明さんとシングル戦を行えるまでに快復しています。

「それはよかった。そんなもんですよ、たかが癌なんです。リングの上で前田が言ったことは間違っていない、正しいんです」

角川春樹が夢見る最後のロマン

──死を意識することによって〝生きることへの飢餓感〟を沸き立たせるという話なのですが。

「ええ」

──それを踏まえ教えてほしいことがあるんです。角川さんは70年代前半に自ら進んで危険な中近東や東南アジアの紛争地帯を旅していますよね。当時の心境を『最後の角川春樹』(伊藤彰彦、毎日新聞出版)では、次のように語っています。

角川 旅に出るたび、死を覚悟していましたね。いま思うと、不慮の事故で死のうとしていたのかもしれません。死ぬかもしれない冒険に駆り立てられたのは、妹を死なせてしまった、もっと俺が彼女の悩みに気づいてやれば……という思いが強く後悔として残っていたからでしょう。それに、どれだけ成功しても認めてくれなかった父親との関係に疲れはてていたこともありました。

ーつまり、当時の角川さんにとって、危険地帯を突き進んでいく冒険の旅というのは、消極的な自殺だったのでは?

「そうですよ。これは共感も理解もされないと思うのですが、あの頃の私は漠然と死というすべてを無に還すものを受け入れてみたかったというか。だから、死ぬことなんか、まったく恐れもしていなかった。ただし、妹を自殺で失っていますから、私も自殺するわけにはいかないと思っていました。まあ、旅の途中で何かしらのハプニングやトラブルに巻き込まれて死ねればいいなと。そういう意味では、あなたがいま消極な自殺とおっしゃったけども、違います、積極的な自殺願望です」

──冒険の旅で死ぬのは、ロマンですか。

「ロマンじゃないです、アリバイですよ」

──それは卑怯なアリバイ作りじゃないですか。

「卑怯と思うかは、人それぞれの評価であって、私自身はそう感じていません。いまも言いましたように、妹を自殺で失っているから、自殺とわかるような死に方をしたくなかったんです。いや、わざわざ危ない場所に無防備で飛び込むようなことはしませんでしたよ。冒険の旅の結果として死ねればよいなと思っていて。そういう意味で、アリバイと言ったまで」

──わかりました。それで教えてほしいのは、死を身近に感じ、常に死を覚悟していた冒険の旅に出発しながらも、結果的に生き残れたのはやはり、〝生きることへの飢餓感〟がそうさせたのでしょうか。

「そうでしょうね。もしかしたら、無意識のうちに飢餓感より、生き抜くことへの渇望があったからかも。それと、私の生命力がやたらと強いせいもあったと思います(笑)」

──そういえば、『最後の角川春樹』でも、このように語っていますね。

角川 私にとっての冒険は、「現実」の束縛を振りほどいて〝野生〟を取りもどすための旅で、その旅を通じて「人間は生き抜くということ以上に価値あることはない」と気付くんです。正義とかモラルより、生き抜くということに人生の意味があると。

ーーその『最後の角川春樹』を読むたびに、角川さんの生命力の強さには驚かされます。獄中での〝絶望3大苦難セット〟でもわかるとおり、普通は絶望の苦難に耐えられないですよ。そのせいで生命力が弱り、死んじゃう人だっているんですから。

というか、角川さんは〝私の生命力がやたらと強いせい〟とおっしゃいますが、私からすれば、強さの他にプラスαがあると思っているんです。そのプラスαとは、弾力性。命を失いかねない苦難が押し寄せてきても、その都度、角川さんは生命力の光を失うことなく、逆にしなやかにボヨヨンと弾き飛ばしてしまう。


「私の生命力に、そんな弾力性があるのかわかりません」

──いや、あります。というのも……個人的な話をしてもよろしいですか。

「はい」

──2002年、私はあることで税務調査を受け、えげつない金額の修正申告をしなければいけなくなりました。一括で追徴金などを納付できず、購入したばかりの公団のマンションを税務署に担保として押さえられたんです。

悪いことは重なるもので、フリーライターとしての仕事がうまく回らなくなり、それでも己の運命に抗うようにがんばってみたのですが、事態は好転せず、呆然とする毎日でした。そして、次第に納付が滞り、マンションは競売に。その日の夜、マンションに帰ると、妻と娘たちの姿がありませんでした。私に愛想を尽かし、出ていったのです。

「うん」

──私はひとりになった部屋で〝心が折れる〟といったレベルではなく、胸の奥にある生命力が通った棒のようなものがボキンと真っ二つに折れてしまったような感覚に襲われました。それからは気力も消え失せ、死ぬことばかりを考えていたんです。

でも、人間というのはなかなか死ねず、年月を重ねていくうちに再び仕事も増え、今はこうやって角川さんの前に座っている。

「そんな経験をした私だから、繰り返しになりますが、お聞きします。私以上に自殺願望も含め、幾多の苦難に苛まれ、結果的に死んでもおかしくない状況ばかりだったのに命を落とさなかったのは、生命力が通った棒が私の硬直した棒とは違い、苦難に遭うたび、折れることなく、逆にしなやかにしなり、苦しみごとボヨヨンと弾き飛ばしていたからだと思います。では、どうやって、どうすれば生命力の棒をしなやかにしならせることができるのでしょう。

もう5、6年前のことになりますか。私は俳句を作りました。

にんげんの 生くる限りは 流さるる

私の人生は流されるまま、今に至っているという句です。結局、与えられた運命には抗うことはできませんから。振り返ってみれば、これまでに何度も死の淵を歩いてきたわけです。でも、奇跡的に生き残っている。それはあくまでも結果でしかありませんが、死に損なっているのは確かなんです。

だから、たぶん、そういう運命なのでしょうね。つまり、私の場合、角川春樹の運命という川に流されているだけなんだと思いますよ。父親の出版社に勤めることになったのもそう、映画界に進出したのもそう。思い返してみると、私にはこうしたい、こうなりたいという動機がないんです。

その時々で周囲の環境や思惑に流されるまま日々が紡がれ、結果的に父親の出版社の社長となり、角川映画を生み出すことができた。そういう意味で、あなたの問いに答えるなら、流されていくうちに自然と胸の奥にある生命力の棒がしなるようになったとしか言いようがない」

──目の前の苦難に立ち向かわず、抗うこともせず、ただ流されていけば、生命力の棒はしなるんですか。なんかカッコ悪いな。

「(笑)。十年前 、作家の唯川恵さんと江國香織さんで食事をしたんですよ。その時、唯川さんが、こう言ったんですね。〝春樹さんは、やすやすと常識を超えていく〟と。別に私は常識を超えているという意識もなく、ただ流されているだけなんですけども、あなたが表現した生命力の通った棒の弾力性と、彼女が指摘した〝やすやすと超えていく〟……まあ、ピョンと跳ね上がるみたいな感覚だと思うんですが、その2つの言葉が妙に重なりましたよね。そう考えると、私の場合、与えられた運命の川に流されているうちに棒がしなるようになったのかもしれません。ピョンと跳ね上がる弾力性を備えるようになったというか」

──昔から、例えば子供たちのヒーローだったり、困難や苦難を乗り越え、成功を収めた偉い人たちが励ますように言うじゃないですか。努力することによって自分の人生はいかにも変えられると。今の自分に決して満足せず、精進せよと。まるっきり角川さんと逆の主張を唱えているわけですが。

「努力しても無駄でしょ(笑)。いや、仕事や家庭間などのトラブル? そういうことに対しては常に前向きに対処しなければいけないとは思いますよ。仕事上の悩みや対人関係に苦しんでいても、感謝を忘れずに努力を続けていけば叶うこともあるでしょう。しかし、私が言う〝流されるままのほうがよい〟というのは、それこそ生き死にの重大な問題に直面した時のこと。

例えば、あなたでいえば税務調査、私でいうと収監。あなたがマンションを取り上げられ、ひとりになった時、何をどう抗っても事態は好転しなかった。私だってそうです。どんなに努力を重ねても、どんなに理不尽に耐えてみせても、刑期が軽くなるわけではなかった。

もちろん、祈りもしましたよ。手を合わせたりしましたけど、さきほども言いましたように、それで刑期の日数が短くなることはほとんどありませんでしたからね(笑)」

──流されているのに、無理に抗って足や手をバタバタさせていたら疲れ果て、ブクブクと沈んでしまう。そうではなく、なんとかして川面に顔を出し、静かに呼吸を繰り返すことが大事なのかもしれませんよね。

「私の場合、手や足をバタつかせることが無意味なのを本能的に察知していたのかもしれないです」

──流されるままにしているうちに、奇跡も起き、生き延びることもある。

「そういうことだと思います」

──やがてどこかの海にたどり着く、あるいは、それでそのまま死んでしまっても、それもまた人生と受け止める。今の世の中、生が善で、死が悪、だから何が何でも生き延びなければいけないんだ、と思いすぎる人が多いような気がするんですが。

「そういうことなのでしょうね。とにかく、流されているうちに私の棒は湿り気を帯び、しなるようになったのかもしれません。こんな境遇、絶対に跳ね返してやる、と無駄に突っ張っていたら、間違いなく棒は折れていたでしょう。それに抵抗せず、流されるままのほうが案外と順調にいくもんなんですよ。抗っても何も生み出せはしない」

──そうかもしれません。私も死ぬことさえ諦め、ただぼんやりと日々を流されるまま過ごしていたら、急に仕事が忙しくなりましたし。

「私が言った〝たかが刑務所、たかが胃がん〟は、流されているから言えたんです。しんどいことに対し、いちいち敏感に反応しても状況が変わるわけではない。それだったら〝たかが〟でやり過ごす」

──たかが新型コロナウイルス、たかが税務調査じゃねえか。

「そう、そういうこと。それにしても、80まで生き延びられるとは考えもしなかった。生きられても70過ぎまでだろう、と思っていました。流されたまま80まで生きてしまった」

──このまま流された先に、死ぬこと以外に何が待っているのでしょうね。

「この出版社、『角化春樹事務所』という個人名で『ハルキ文庫』なんていう自分の名前を冠した文庫もある。なぜ、そうしたかといえば、一代限りのつもりだったから。でも、息子と『日本のドン』を観終わった時に、〝お前、パパの後を継ぐか?〟と聞いたら、〝継ぎます〟と言ったんですよ。

これから息子が後を継げるまでに成長するかわかりませんし、その成長過程において私が何かしらのアドバイスを与えることもできないかもしれない。明日、死んでしまうかもしれない年齢ですしね。それでも明日死んでもいいという覚悟と同時に、おぼろげながら、そういう灯りがあるのも悪くないんじゃないかと思えてきて」

──父・角川源義氏との長きにわたる父と子の確執の歴史を考えると、感慨深いですよね。大河ドラマを観ているようだ。

「角川書店に入社した頃から盟友だった武富義夫(翻訳家)という男がいましてね。彼はいわゆる死後の世界、幽霊なんてものをまったく信用していかったし、嫌ってもいたんですよ。そんな彼がくも膜下出血で倒れ、逝ってしまったんです。彼を弔おうと友人たちと食事会を開いた時、外に出た際に呼びかけたら姿を現さなかったのに、ワインを飲んでる最中に出てきたんです」

──武富さんがっ!

「うん(笑)。服装も手に持っている鞄も、私のイメージのまま現れた。他の友人たちにはまったく見えていなかったんですが、私には彼の霊が見えたんです。あんなに嬉しかったことはなかった。その時、会話もね、できたんです。お前は幽霊なんか絶対にいないと言い張っていたけど、自分が幽霊になっているじゃないかって。やっと私が言っていたことが、彼に通じました(笑)。

だから私もね、息子が成人した頃には、この世にいないでしょうが、それでも幽霊にでもなって息子に必要なアドバイスができればいいなとは思っています(笑)。それが角川春樹の人生という濁流の先に浮かんでいる最後のロマンなのかもしれません」

撮影/五十嵐和博

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