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たこ焼きのルーツ、ラジオ焼きとは? 東京ラーメンは濃厚豚骨醤油味だった? 知られざる食トリビア

集英社オンライン / 2022年11月5日 13時1分

子どもから大人まで大好きなB級グルメ。しかし、その誕生には紆余曲折があった! 食文化の秘密を解き明かし続ける「近代食文化研究会」が今回はたこ焼きと串カツ、さらにお馴染みのあの麺類の誕生秘話を紹介!

日本独自の食文化のなりたちを研究する「近代食文化研究会」の主要メンバーが教えてくれる食トリビア。今回は「たこ焼き」「串カツ」「東京ラーメン」「ナポリタン」の秘密に迫る!

「ラジオ焼き」から生まれた「たこ焼き」

関西のソウルフード、「たこ焼き」の誕生秘話は?

「たこ焼きの元祖としてよく語られる料理に、『ラジオ焼き』というスジ肉を具材として丸く焼いた粉もの料理があります。この特徴的なネーミングですが、当時としてはハイカラな食べ物で、同じく当時ハイカラの象徴だったラジオにあやかったため、とされています。



大阪のとあるたこ焼き店が昭和10年12月ごろにラジオ焼きにたこを入れたことが初めてのたこ焼きとよく言われていますが、これは正確ではなく、それよりも数ヶ月前の時点で、大阪の夜店で『たこやき』という名前の、ラジオ焼きにたこを入れた料理を出していたという記録が残っています。

いずれにしても、昭和初期にはたこ焼きは存在していました。しかし、当時のたこ焼きは『弁当箱に100個詰めて持ち帰った』なんて話もありました。

たこも、たこ焼き自体もかなり小さいサイズで、文献から推測するにだいたい2cmくらいのサイズだった可能性が高いです。ちなみに、生地に味がついていたため、ソースはかけなかったそうです」

実は東京生まれだった「串カツ」

同じく大阪名物の「串カツ」は、実は東京生まれなのだそうだ。

「大阪のとある店が、昭和4年に串かつを発明し、ソース二度漬け禁止の仕組みを作ったといわれますが、個人的にはそれは信ぴょう性は低いと考えています。

というのも、串かつは明治末期から大正初期の東京で『フライ』という名で生まれ、そのときすでにブームとなっているからです。

ソース共用二度漬け禁止のルールも、東京の天ぷら屋台の天つゆや、寿司屋台の醤油をつける際に生まれた東京人のローカルルール。これが東京生まれの串カツにも流用されたと考えられます」

「東京ラーメン」は醤油ではなく濃厚豚骨醤油味だった

「東京ラーメン」にも、意外な出自があった。

イメージ画像

「いわゆる醬油ベースの『東京ラーメン』はそば屋が開発したメニューです。その先祖は横浜中華街で親しまれた広東料理の『柳麺』。広東では“ラウミン”と発音するのですが、これが“ラーメン”の語源です。

その後、浅草の來々軒が柳麺を“らうめん”として明治末の東京に持ち込みます。このメニューは豚骨をグラグラ沸かせたガッツリ系の濃厚豚骨醤油味で、具は乗っていませんでした。

大正時代になると多くのそば屋がメニューにラーメンを加えはじめ、そば屋らしく、鰹節などの和風だしが加わり、トッピングに『おかめそば』のなると、ざるそばの海苔が加わり、東京ラーメンとなったのでした」

戦前から「スパゲッティナポリタン」はフランス料理?

麺といえば、パスタ。日本発で知られる「スパゲッティナポリタン」も実は…?

「戦後に横浜のあるホテルが発明したとの噂がありますが、『スパゲッティナポリタン』はもともと戦前からあるフランス料理。

スパゲッティをトマトピューレ、チーズ、バターで和えた、メイン料理の付け合せでしたがそれが次第に一品料理になり、トマトピューレがトマトケチャップで代用されるようになったのが、現在、私たちの知るナポリタンです」

串カツは大阪発、ナポリタンは日本発……言わずと知れた常識も、そのルーツを探ると必ずしも正しいとはいえないようだ。

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