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「生身の姿をさらけ出すような思い切った行為だった」光宗薫が絵画アーティストへの道を歩み続ける理由

集英社オンライン / 2022年11月6日 14時1分

圧倒的画力と表現力を武器にアート界で活躍する光宗薫さん。アイドル活動もしていた彼女が、絵を通して「自由になれた」と語れるようになるまでの物語とは……。前編では、幼少期から絵に出会い、自身の支えになるまでの過程に迫る。(前後編の前編)

「やるならとことん」「納得してから進みたい」
幼少期から光宗さん自身を苦しめた葛藤

2022年2月に1stソロフォトブック『A Tapir on the star』を発売し、4月には個展「SEMITOPIA」を開催するなど、精力的な活動を続けている、画家・タレント・女優の光宗薫さん。

タレントとしてテレビで快活な笑顔を見せる一方、圧倒的な技量を持つ画家としての彼女は、寡黙に自分と世界を見つめている印象を受けた。だがそんな彼女の二面性には、物事にかけるひたむきな情熱が通底しているように感じる。



――多彩なスキルが魅力の光宗さんですが、ご自身のInstagramでは、幼少期にやっていたバレエの動画も公開されていましたよね。

美大出身の母の影響で小さい頃から絵を描くのが好きでしたが、母が学生時代までバレエもやっていたので、私も小さい頃からバレエ教室に通い、絵よりもバレエ一筋でした。

バレエ教室はとにかく楽しくて、3歳から始めて小学校に上がってからは週に6日間通っていました。また小学校からは陸上教室にも通い、長距離走をしていたのですが、さすがに身体に無理がたたって、中学2年のときに半月板を損傷し、長期休養をすることになったんです。

――幼い頃から目標にかける情熱がすごかったんですね。

昔は今以上に極端な性格だったので、「頑張りたい!」と決心すると、ワァーッと突き進んでいました。でも、一度つまずくと「ダメだ、何もかもうまくできてない」と思い込んでしまう脆さもありました。

実際、バレエで膝を壊した出来事は当時の自分にとって大きく、自暴自棄になって学校にもあまり行かなくなってしまいました。

――バレエでの長期休養が学校にも影響してしまったのですね。

私にとってバレエ教室は“踊る”という目的に熱中できる場所でした。逆に学校には通う理由をあまり見出せなかったです。

友だちはいましたし、学校で過ごす時間は楽しかったですが、集団行動自体が苦手だったので何のために必要な行動なのか分からない動きにストレスを感じたり、自分の立ち居振る舞いを考えすぎて悩むことも多かったです。

また学業にも自分にとっての目的や意義をうまく見出せず、熱量を持って取り組めなかったです。今の私にとって大きな存在の美術の時間でさえ、制作課題にあまり興味が持てず真剣に取り組んでいませんでしたし、全体的に怠惰な学生でした(笑)。

バレエを辞めたときはそんな自己嫌悪のピークで、その後受験して唯一受かった高校に入ったものの、入学から一週間で通わなくなり、そのまま一学期で中退しました。

今思うと、入学費を払ってくれた母親に対して申し訳なかったなと思います。“納得してから進みたい”“熱中すると猪突猛進”と言えば聞こえはいいですが、学生時代の自分はただただ協調性とやる気のない人間だったと思います。

高校中退後に見つけた自由な場所“メイド喫茶”、
そして新たな道と新たな学び

――その後光宗さんは、大阪のメイド喫茶でバイトをされていますよね。

自分は非日常的なことに興味がある気がすると思っていたので、高校中退後、ネットで“変なバイト”と検索し、一番上に出てきたメイド喫茶でアルバイトを始めました。これが人生を振り返ってもトップ3に入るくらい居心地がよかったんです。

“自分なりの考えや趣味嗜好を持っていればいるほどおもしろい”とされる場所で、集団で過ごす上では周囲に同調したり自己主張を消した方が上手くやれる、というこれまでの自分の考えをひっくり返す価値基準に初めて触れ、どこか解放された気持ちになりました。

――メイド喫茶からモデル、アイドル活動と居場所を変えられたのも印象的です。

モデルへの道はメイド喫茶で出会った女の子が長期で行われるモデルオーディションを受けると聞き、一緒に受けたのがきっかけです。そのオーディションではグランプリをいただけましたが、モデルという職業について学ぶうち、私がモデルを目指していくのは少し違うのではと感じ、別の道を探すなかでAKBのオーディションを知りました。

当時、度々メイド仲間と訪れていたこともあり親近感のある“秋葉原”に活動拠点である劇場があることに惹かれ、新たな居場所になるかもと受けたオーディションで合格をいただき、同時にいろいろなお仕事を一気にいただきました。

幸運なことでしたが、当時は全てが初めての経験な上にダンスや歌やポジションや役柄のセリフなど、覚えなければならない物事が多く、正直記憶がないくらい、毎日目の前の仕事を必死にこなしていた気がします。

この頃、“納得して進みたい性格”に再び悩まされました。
当時の私には、案件ごとに違う能力を求められる芸能界において、理想を掲げては何も上手くできない状態で世間に“光宗薫”として顔や名前を知られていくことの連続に感じ、落ち込む日々に塞ぎ込んでいました。

今思えば駆け出しなんてそういうものだとも思えるのですが、そんな風に捉える余裕やドライさも当時は持ち合わせていませんでした。

そして、そんな考え自体が“贅沢な悩み”と周りに思われるのでは、と自分を苛み、次第に自分が何に悩んで何に怯えているのか人に上手く伝えることのできない状態になりました。

そんな状態に比例して、ストレスや不安を食へぶつける機会は多くなり、食べ物が食べられなくなったり、極端な量を食べることが止められなくなったりと、不安定な状態になっていきました。

周りと繋がりを絶った日々のなかで、
ふと手に取ったボールペンが自分を教えてくれた

――そして芸能活動を休止し、1年間実家に籠もられた。

人を感じたり、接したりしたくなかったのでテレビもネットも遮断していました。次第に月日の感覚がなくなり、あるときから、“今日が何日なのか”を忘れないためにボールペンで日記を書き始めたんです。

でも、人に会わず部屋の中にいるだけだと、日々何が起こるわけでもなかったので書く内容がなく、絵なら描けると絵日記にしました。

――今や光宗さんの代名詞とも言えるボールペン画の始まりは絵日記だったと。

そのとき目の前にあった“無印のボールペン”で描き始めたのですが、この無印のボールペンは筆圧の強弱で陰影が出るのが好きで今も使い続けています。

――最初に描いた絵日記はどんな内容だったのでしょうか。

食べ物の絵です。摂食障害からくる食欲を抑えたい気持ちと、食べ物を見ていたい気持ちを絵にして整理したかった。気づくと絵を描くこと自体が楽しくなり、いろいろなテーマを大きな紙に描くようになりましたね。

絵日記が貯まるにつれ「これを人に見せたらどうなるのだろう……」という考えが浮かんできました。

――そこから絵を見せるに至る心境の変化はどんなものだったのでしょう。

自分を含めた色々な物事への憤りから絵を描いていましたし、これまでの活動経験から本心はさらけ出さない方が無難だと学んでいたこともあり、見てもらうことを躊躇する気持ちがありました。

しかし、同時に誰かに絵を見て、自分を知ってほしい気持ちも強くありました。当時は引きこもっていたので、自分には失うもの自体あまりない。それこそ、裸をさらけ出すくらい思い切った行為だけど、最終的には『いいや、見てほしい』と。

ボールペンのインクがだまにならないように“だまとり”をしている紙。絵を描き始めた当時のもの

――そして2013年の初個展「スーパー劣等生」を迎えるわけですね。

皮肉なタイトルですよね(笑)。個展開催直前の気持ちは今でも鮮明に覚えていて、『過去最高の自爆行為だ!』くらいに昂っていたのですが、いざ開催してみると世間の反応は拍子抜けするくらいナチュラルな評価でした。

自分で犯したと思っていた、負の感情を表に出すという“タブー”への反応はあまりなく、『自分の内側って絵を通してならば出しても怒られないんだ。じゃあ、これからも絵を通せばどんな感情でも表現できる』と何かがストンと落ちた気がして、社会への向き合い方が一変しました。

同時に、開催期間の68時間を丸々個展会場内の小さな箱の中で過ごすインスタレーションを行い、最終日には人生で初めてやりきった達成感や自己肯定感を得ました。

与えられたものに全力で応える人生だったので、初めて自分で0から100まで考えて制作し完結する喜びを感じたんです。

――この初個展を経て、ボールペン画家として歩む決断をされたのですか?

これが自分の道と確証を得たわけではなかったです。絵を描き、見てもらうことでしか自由を感じられなかったので、手放したらこの開放感が逃げていく気がしました。だから絵を描くこと、とりわけ個展を重要視しているのかもしれません。

私は自分が満足いく形まで突き詰められるものがないと、ストレスが溜まってしまうタイプなのだと思います。個展のようにテーマを持って絵を描くことは、気持ちのガス抜きの側面もあると思います。絵は納得のいくまでいつまででも待ってくれますし、知らない間に形を変えたりしないところが大好きです。

でも、そんなパーソナルな個展活動も、回を重ねるごとに“見に来てくださる方”にどう映るか、どうしたら想いを伝えられるかということを意識するようになっていきました。
今度は、そうした楽しくも難しい試行錯誤がはじまりました。

取材・文/TND幽介(A4studio) 写真/井上たろう

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