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無期限のライセンス停止処分。ボクシング界を干された飯田将成が『Breaking Down』最強の男になるまで

集英社オンライン / 2022年10月29日 18時1分

1分間ルールの格闘技大会『喧嘩道 presents Breaking Down』。その第5回大会にて、圧巻のKO劇を披露した格闘家・飯田将成。元日本ランカーのプロボクサーであり、精悍なルックスも相まって多くの注目を集めた。なぜ彼ほどの人物が、これまで陽の目を見ることがなかったのだろうか? 本人の口からその裏側を語ってもらった。

ライセンス停止処分となった一件は…

――元々プロボクサーで日本ランカー(国内ランキング10位以内の選手)だったという経歴をお持ちなのに、キャリア半ばでライセンス停止処分になったとのことですが、その件についてお聞きしてもよろしいですか?

22歳で日本ランカーになった頃、以前一度対戦して勝っていた相手から、再戦のオファーをもらいました。所属していたジムの会長も「一回勝っているから大丈夫だろう」という感じでOKを出して、試合が決まりました。



その試合で、フラッシュダウンみたいな感じで倒されて、すぐに立ち上がったんですが、レフェリーが止めに入ってしまい…。当時「止めるのが早い」ことで有名だったレフェリーが担当だったんです。自分としては“効いていなかった”ので、判定に納得できず、レフェリーを押し退けてしまい…。そのまま負けになってしまって。

当時若かったこともあり、帰り際も怒りが収まらず、椅子とか看板を蹴っちゃって、その結果無期限のライセンス停止処分が下されました。

――現役復活は不可能だったのですか?

その後も一年ほど同じジムに在籍していたんですが、停止処分の影響で試合を組むことができず、結局当時の会長とも仲違いしてしまい、練習でも教えてもらえず、ほぼジムにも行かなくなりました。

別のジムへの移籍も試みたんですが、当時のルールでは、所属ジムと移籍先ジムの許可がなければ移籍はできない、とされていました。所属ジムが当時中部地方で一番有名なジムだったので、近くの他のジムも少なからず関係性があり、「あそこで暴れたんだったら、ウチでは扱えない」となってしまって。だから会長に「移籍する」と伝えても、「移籍先のジムの署名入りの書類を持ってこい」と言われ、でも移籍先が書類を書いてくれない、みたいな。

東京を含めて色々なジムを回ったのですが、合うところが結局見つからず、そのままボクシング界からフェードアウトしていきました。

36歳でやっと巡ってきたチャンス

――ボクシングの夢は諦めざるを得なかったのでしょうか?

なかなか諦めきれなかったので、「じゃあ自分で開いちゃおう」と思って、ジム経営を始めたんです。練習環境も一応あるし、会員さんを集めて教えながら、地道に進んでいこうと。

その頃、現役復活に向けた話もちらほらあったのですが、「現役のプロボクサーはジムを開いたらダメ」というルールもあって。当時仕事はジム経営だけしかしておらず、現役復活かジム経営か、という選択肢の間で悩みながらも、そのままトレーニングは続けて。

JBC(日本ボクシングコミッション)にも何度か掛け合っていて、28歳の時に「これで最後だ」と覚悟を決めて直接電話しました。 “無期限停止処分”とは言っても、グレーゾーンというか、“1年経てば復活できる”という暗黙の了解があるんです。過去の選手も大体1年で停止処分が解けていましたし、僕の場合すでに6年くらい経っていたので。でも「無期限は無期限。5年かもしれないし、10年かもしれない」という返事しかもらえず、「もうボクシングはやめよう」とその時に踏ん切りがつきました。

それでも「ベルトを取りたい」という夢は諦めきれなかったので、それからもずっと一人でトレーニングを続けていました。その後、コロナ禍があったり、交通事故で膝を怪我してしまったり。

36歳でやっとチャンスと巡り合い、アマチュアの大会ですけれどベルトを賭けて戦えることになって、初めてそれを獲得することができました。そこから『Breaking Down5』に繋がっていった、という感じです。

――モチベーションを保つのは難しかったですか?

かなり厳しかったですね。何度もやめようと思いました。筋トレは継続していたんですけど、ボクシングの練習は一年近くやらなかった時もありました。

今でも周りから「元日本ランカー」とは言われるものの、13年くらい経っていて、その間にトレーナーがいたわけでもないし、強い人とスパーリングしてきたわけでもない。本当に自分一人でずっとやってきたので、モチベーションを維持するのは大変でしたね。

――“無期限停止処分”の一件がなければ、日本チャンピオンになれていた?

“たられば”になってしまいますが、日本チャンピオンは現実的な目標として見えてはいました。もちろんその過程で負けもあったとは思いますが、当時22〜3歳だったので、30歳くらいまで続けていれば、日本と東洋チャンピオンのベルトには届いていたんじゃないか、と思います。

ただ、ボクシングだけのキャリアを考えていたわけではなく、当時『K-1』で魔裟斗さんが全盛期の時代で、キックボクシングにも興味があったので、日本チャンピオンを取ったら『K-1』の舞台に行きたいな、と考えていましたね。

『Breaking Down』が引き寄せた出会い

――何歳まで格闘技を続けますか?『Breaking Down』を含め、今後の展望は?

40歳くらいまではやってもいいかな、と。ボクシングを早めに引退したので、頭にあまりダメージを受けていなくて、歳の割に脳は元気です。肘とか関節とかは消耗品なので、少し痛くなってきてはいるんですけど、瞬発系はそこまで落ちた感覚はないですね。

『Breaking Down』に出なければ、YouTubeでも渡嘉敷勝男さんや竹原慎二さん、畑山隆則さんなど、元ボクシング世界チャンピオンとのコラボもできていなかっただろうし。格闘技以外でも色々な方と出会えたので、ありがたいと感じています。

自分の世代的に、魔裟斗さんともお会いしたいですし、ずっと第一線で戦っている武尊さんにもお会いしてみたいです。でも『Breaking Down』だけ、格闘技だけに寄らないように、やったことがないことには常に挑戦してみたいです。自分のアパレルブランドも持ってみたいですし。

――『Breaking Down6』に出場決定しましたね。

今度は、『Breaking Down』と『THE OUTSIDER』の対抗戦という感じで、6対6でカードが組まれています。バシッとKOで勝てれば、そこから色々な道や選択肢がまた増えると思うので、しっかりと勝利を収めたいです。

取材・文/佐藤麻水 撮影/浅井裕也

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