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【漫画あり】風俗店で、くも膜下出血に! 看護師、女医、母にどこで倒れたかをひたすら隠し続けた闘病記

集英社オンライン / 2022年11月15日 11時1分

風俗店で「くも膜下出血」を発症したアラサー男の闘病生活を描いた実録漫画『くも漫。』が集英社オンラインで配信決定。作者の中川学氏に、漫画家になるまでのあゆみと近況について語ってもらった

風俗店で、くも膜下出血発症

――『くも漫。』は生死に関わる病気を描いた作品ですが、あまり悲壮感なく読めるのは、中川さん自身のキャラクターによるところが大きいのかなと思いました。

でも、楽天家とかではまったくなくて、本当にネガティブだし、悲観的だし、心配性なんです。この漫画に悲壮感がないのは発症から時間が経っていたので、客観的に描けたからじゃないかなと思います。



――漫画家になる以前は職を転々として、ひきこもりのような時期もあったそうですが、性格的にもずっと変わらないですか。

そうですね、心配性な感じはずっとありました。 教育大学を卒業した後に臨時教師の職に就いていたんですけど、最初から駄目だったんですよ。全然向いてなくて、25歳のときに教員住宅のテーブルの上に「探さないでください」って手紙を置いて失踪したんです。だから、社会人になってすぐに躓いて、そこからずっと躓き続けてる感覚ですね。 ちなみにその失踪話も『探さないでください』(平凡社)という一冊の漫画なっています(笑)。

――中川さんが25歳ぐらいの頃(2000年頃)は、社会的にもそういう風潮があった気がします。

そうですよね。いわゆるロストジェネレーションというか、就職氷河期第一世代のど真ん中で、僕の周りも無事にいってる人が少ない気がします。失踪している人も結構いましたよ。

――そういったタイミングでくも膜下出血を発症したことが、漫画家を目指すきっかけにもなっているんですよね。

そうですね、やっぱり人間いつ死ぬかわからないから、やりたいことをどんどんやっていこうって気持ちになりました。

30歳を過ぎて漫画家を目指す

――漫画家というのは昔からの夢だったんですか?

大学生のときから趣味で描いてたんです。映画が好きなので、本当は映画監督をやりたい気持ちがあったんですけど、お金もかかるし、仲間を集めなくちゃいけないので、ひとりでできる漫画の方が合ってるかなと思って。ちなみに映画は、大学生のときに『Shall we ダンス刑事』というひどいパロディみたいな作品を自主制作で撮っています(笑)。

――漫画家として影響を受けた作品は?

さくらももこ先生の『ちびまる子ちゃん』と、藤野美奈子先生の『友子の場合』という漫画が大好きでした。どちらもシチュエーションコメディっぽくて、そういう作品が好きです。あとは、漫☆画太郎先生も大好きでした。でも、人並みに漫画が好きというくらいでオタクというわけではなかったと思います。

――学生時代は何に夢中になってたんですか?

お笑いが好きでダウンタウンさんと爆笑問題さんが好きでした。 芸人への憧れもちょっとあって、上京してから「トキワ荘プロジェクト」(※プロのマンガ家を目指すクリエイターを支援するための総合プログラム)の漫画家仲間3人で「キングオブコント」の予選に参加したこともあります。
「おもしろ軍団ナンバーワン」というグループ名だったんですけど、完全に出落ちでしたね。一回戦も通りませんでした(笑)

――上京してすぐに「トキワ荘プロジェクト」に参加したんですよね?

最初は実家で漫画家になろうと思って、札幌の出版社とやりとりをしていたんでけど、あまり進展がなかったから上京するしかないと、ネットで住むところを探してたんです。
そうしたら、たまたま格安で住む場所を用意して漫画家を支援するという「トキワ壮プロジェクト」を見つけたので、それを頼って34歳で上京しました。当時は応募要件も「30歳ぐらいまで」とふわっとしてたから、34歳なら四捨五入したら30歳だしギリギリまあいけるだろうと思ったんですよね(笑)。

ルポ漫画を描く上で大切にしていること

――無事に入居できて、そこから漫画家さんの横の繋がりができていくわけですね。

そうですね。一軒家を5人でシェアしていたんですが、みんな漫画家の卵でした。集英社さんだと、いま『となりのヤングジャンプ」で『服福人々―ふくふくひとびと―』 を連載している坂本拓さんと一緒の家に住んでましたね。もしかしたら、彼は僕と一緒に住んでいたことを隠したいかもしれませんけど(笑)

――中川さんは初めからルポ漫画っぽい作風でやっていたんですか?

最初はルポとフィクションの両方書いていました。「トキワ荘プロジェクト」の忘年会に来ていた編集者の方に両方見せたら、ルポの方が面白いと言われてデビューに繋がったので、そこからはルポやエッセイ漫画ばかり書くようになりました。

――ルポ漫画を書くときに大切にしていることはありますか?

なるべく事実に近い形で書くことを心掛けています。0を1にするような嘘は絶対につかないし、誇張するにしても1から10にはせず、2、3くらいにとどめています。
ただそうなると面白さを自分で作れなくなってしまうので、「おもしろ」を足すための努力としてモノローグの言い回しなどは工夫していますね。

――実際に群馬県大泉町に引っ越しをした『群馬県ブラジル町に住んでみた ラテンな友だちづくり奮闘記』(メディアファクトリー)などの作品もありますが、身の周りに面白いことを起こすための行動をあえてすることもあるんですか?

実際に連載が決まらないと積極的には動かないかもしれないですね。
ネタを探して常に行動をするという事はそんなになくて、仕事だからやってるという感じです。

漫画家デビューして10年で稼いだ額は?

――「こういう企画をやりたいんです」と提案して、通ったら実際に動くような?

提案もしなくて、言われてやるだけです(笑)。だから、『電波少年』なんですよね。
『群馬県ブラジル町〜』の時は編集者さんに3か所くらい行き先を提示されて、その中からいちばんしんどくなさそうな場所を選びました。

――ちなみに、少々失礼な質問ですが、いまは漫画だけで生活ができているんですか?

全然食べれてないですよ(笑)。ぶっちゃけると、デビュー作が出版された2日後に父が他界して、その時に入ってきた遺産を食いつぶしながらやってきました。僕が漫画家デビューしてちょうど10年なんですけど、この10年の生活費は自分の印税と原稿料をギュッとしたら4年分くらいで、あとの6年分は父の遺産ですね。
ただ、この遺産がいま底をつきそうなんですよ。 だからみなさん、こんな僕ですが、ぜひ漫画を読んでください!

――これから先の人生の目標はありますか。

『くも漫。』のあとに彼女ができたこともあるんですが、いまはいなくて。でも、僕はまだ結婚を諦めていません。まだまだ目は死んでないですね。

――出会おうとする努力はしているんですか?

婚活パーティーとかはないですけど、顔が広い知り合いの飲み会に参加してがんばってはいます。なかなか上手くいかないんですけどね。

――それこそ、結婚まで行ったらまた一冊の漫画になりそうですね。

いや、それも言われれば全然やりますよ。なんなら、その依頼を機に本腰入れて婚活を頑張りたいくらいです(笑)。

取材・文/森野広明

漫画を1話ごと読みたい方はこちら。くすりと笑える中川先生のレビューつき

【漫画】バレたら最後のドキドキ実録コメディ「風俗店で、くも膜下出血になった男の悲劇」(すべての画像を見るをクリック

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