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賢い若者だけが気づいている、Netflixの「常識破りの人事戦略」がつくる働き方の未来

集英社オンライン / 2022年11月4日 17時1分

オリジナル作品のヒットなど、短期間で大躍進を遂げたNetflix(ネットフリックス)。その裏には大胆な人事戦略があったことは有名だが、会社やサラリーマンをとりまく働き方の潮流は日本社会でも変わっていくのだろうか?

年収1億円以上でヘッドハンティングするネットフリックス

ほんの10年ほど前まで、多くの知識人が、終身雇用・年功序列の日本的雇用が日本人(男だけ)を幸せにしてきたとして、「ネオリベによる雇用破壊を許すな」と大合唱していた。最近になってこのひとたちが黙るようになったのは、OECDをはじめとするあらゆる国際調査において、「日本人は世界でいちばん仕事が嫌いで、会社を憎んでいる」という結果を繰り返し突きつけられるようになったからだ、



しかも、これは必ずしも「ネオリベ改革」のせいではなく、バブル絶頂期の1980年代ですら、日本のサラリーマンよりアメリカの労働者のほうがいまの仕事に満足し、友人に勧めたいと思い、生まれ変わったらもういちど同じ仕事をしたいと考えていた。

日本的雇用と対称的なのがネットフリックスで、2009年、自分たちの人事方針を説明した社内文書「カルチャーデック」が一般公開されると、革新的なシリコンバレーですら大騒ぎになった。そこには、これまでの常識とはぜんぜんちがうことが書かれていたからだ。

たとえば、有給休暇の制度は廃止する。これは有給がとれないということではなく、上司(マネージャー)が合意すればどれだけ(無制限に)有給をとってもいいということだ。同様に、経費精算の規則も廃止し、経費の使い方は個人に委ねられた。

どちらも人事の専門家から「そんなことしたら大変なことになる」と警告されたが、社員はこれまでどおり常識的な有給の使い方(夏とクリスマスシーズンの1~2週間の休暇と、子どものサッカーの試合を観戦するとか)をし、経費を悪用したりもしなかった。これは、社員を「大人」として扱うということだ。

あるいは、すべてのポストに優秀な人材を採用し、業界最高水準の報酬を支払うこと。ネットフリックスでは、必要な人材を年収数千万円、あるいは1億円以上でヘッドハンティングしているのだ。

ここまでなら、「そんな会社もあるのか」で終わるだろう。ほんとうに驚くのは、優秀な人材を採用するために、そこそこ優秀な社員(ただし期待には満たない)でも、解雇手当をはずんで辞めてもらうという方針だろう。だが、考えてみればこれは当たり前でポストに空きがなければ、新しい人材に来てもらうことはできない。

会社をプロスポーツチームとして考える

ネットフリックスがこうした大胆な人事戦略を採るのは、ビジネス環境がものすごい勢いで変わっているからだ。映画などのDVDの宅配からスタートしたネットフリックスは、オンラインでの映像配信へと事業を大きく変え、オリジナル作品を積極的につくるようになった。わずか数年でこれほどの変革を達成するためには、従来のやり方にこだわっていたり、新しい技術や知識に適応できない社員には、どれほど功績があっても辞めてもらわなければならなかったのだ。

ほとんどの日本人は、これを「冷たい」と思うだろう。それは無意識のうちに、会社を共同体(家族)のようなものだと思っているからだ(だから「家族的経営」を自慢する経営者がたくさんいる)。だがネットフリックスは、会社をスポーツのチームのように考えている。

たとえば、FIFAクラブワールドカップでトップに立つサッカーチームをつくろうと思ったら、ゴールキーパーからフォワードまで、世界中のサッカー選手のなかから最高のプレイヤーを集めなくてはならない。フィールドに出るのは11人で、リザーブまで入れてもせいぜい20人だから、監督の構想から外れた選手は他のチームに移ってもらうしかない。

こうして考えると、ネットフリックスの人事方針はぜんぜん驚くようなことではなく、サッカーでも野球でもバスケットボールでも、プロのスポーツチームがごくふつうにやっていることだ。

それに対して日本の会社は、ビジネス環境がどれほど変化しても、たまたま新卒で採用した社員だけでなんとかやりくりしようとする。これは、「陸上部のあいつ、ちょっと足が速いからフォワードにどう?」とか、「ゴールキーパー、身体がデカいからあいつにやらせればいいんじゃないの」とかいっているのと同じだ。

ところが日本には、そんな素人チームが、メッシやネイマールがいるパリ・サンジェルマンと互角の勝負ができると思っているひとがまだたくさんいる。これは「妄想」だと思うが、その結果は数年後には誰の目にも明らかになるだろう。

仕事の分権化が進んでも「会社」がなくならない理由

さまざまな仕事が分権化され、プロジェクトとして切り分けられるようになると、会社はなくなってしまうのだろうか。そんな予言をするひともいるが、おそらく会社は(当分の間)存続しつづけるだろう。

その理由は、もっとも早く(1950年代から)プロジェクト型に移行した映画産業でも、いまだに映画会社が大きな影響力をもっているからだ。

大作映画をつくるには数十億円、ハリウッドなら数百億円の制作費をかけることもある。こんな莫大な資金を個人(プロデューサー)が管理することはできないから、投資家が安心してお金を預けられる映画会社が必要だ。

いったん映画が出来上がると、今度はそれを全国の劇場で上映したり、DVD販売やネット配信したり、海外に版権を売ったりしなければならない。作品を市場に流通させるには膨大な事務作業(バックオフィス)が必要で、これも映画会社がやっている。

仕事のなかには、プロジェクト化しやすいものと、そうでないものがある。ギグ・エコノミーにもっとも適しているのはコンテンツ(作品)の制作で、エンジニア(プログラマー)やデータ・サイエンティストなどの仕事や、新規部門の立ち上げなど、尖った才能と経験が必要な仕事へと拡張されていった。

それに対して、利害の異なるさまざまな関係者の複雑な契約をまとめたり、スタッフの管理や顧客サポートなどを必要とする仕事はこれまでどおり会社に任されることになるだろう。フリーエージェントがギグで制作したコンテンツ(音楽や映画)も、多くの場合、会社のブランドで流通している。

新しく創造する仕事か、クソどうでもいい仕事か?

プロジェクト型の仕事をするひとは、誰もが自分の得意なものを持っているはずだから、そこはクリエイターとスペシャリストの世界だ。それに対してバックオフィス部門には、少数のマネージャー(管理者)と、時給で事務作業をするたくさんの労働者がいる。

クリエイターやスペシャリスト(クリエイティブクラス)は、プロジェクト単位で仕事の契約をして、バックオフィスの助けを借りながらコンテンツを完成させていく。彼ら/彼女たちの収入は時給ではなく、コンテンツが生み出した利益を分配する成果給だ。

それに応じて会社も、プロジェクトの進行を管理しつつ利害調整を行なうマネージャーと、経理や法務などバックオフィス部門の専門職に二極化していくだろう。――こうした仕事は、高給だがやりがいがない「ブルシットジョブ(クソどうでもいい仕事)」と呼ばれている。

テクノロジーの指数関数的な進歩によって、働き方は大きく変わりつつある。それでも会社はなくならないだろうが、日本の「サラリーマン」はクリエイティブクラスとバックオフィスに分離し、いずれ絶滅することは間違いない。

そんな「いま目の前にある未来世界」で、どのように生き延びるかを一人ひとりが真剣に考えなくてはならない。

文/橘玲

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