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「このままだと沈む…」かわいすぎるショップ店員から6年。俳優オファーが絶えないゆうたろうの転機

集英社オンライン / 2022年11月26日 12時1分

『30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい』や『明日、私は誰かのカノジョ』など話題作への出演が絶えない俳優のゆうたろう。もともと『マツコ会議』への出演をきっかけに“かわいすぎるショップ店員”として話題になった彼だが、そのデビューは「想像もしていなかった」出来事だったという。芸能界で6年たった今もなお、活躍し続けている理由とは。

地元・広島で過ごした10代のころの葛藤

――10月24日に発売したファースト写真集『素直』。布団にくるまった表紙のゆうたろうさんを見て、今までとは違う印象を受けました。

「THEイメージ通り!」のカットもあったのですが、これまでとは違う“素”の自分を見ていただきたかったので布団にくるまったカットをチョイスしました。本屋さんに並んだ時に、僕のことを知らない人が「誰だろう、この人…?」と思って、手に取ってくれたらいいなと思ったんです。


――撮影はゆうたろうさんの地元・広島でも行なわれたそうですね。

やはり自分自身のエピソードがつく場所の方が、テーマも設定しやすいし、イメージしやすいかなと。いい思い出はもちろん、思い出したくないこともある場所なので、感慨深かったですね。

――中学卒業後、大阪でショップ店員として働き始めたゆうたろうさんにとって、広島で過ごしたのは中学生のころまで。中学生のころは、学校に行かなくなっていたそうですね。

人見知りなのもあるし、友だち付き合いもめんどうだしで、学校に行く意味が見出せなくなっちゃったんです。それぞれがキャラを決められて、それに応えるように演じたりする学生ならではのノリも、あまり得意じゃなく……。
そんなことを考えていたら、遅刻癖がついて、いつの間にか行かなくなっていました。気を使われると、かえってプレッシャーを感じちゃいましたしね。

――中学を卒業後は進学せず、すぐに働き始めました。なぜだったのでしょう?

中学を卒業するタイミングで「家があって、ご飯も食べさせてもらえる。甘えられる環境に身を置いたまま、どうなりたいんだ」という現実に気づいてしまいました。それで「このままじゃまずい! 早く自立したい」という気持ちが先走り、タウンワークにある求人に片っ端から電話をかけ、家の近くの洋食屋さんで、ホールとして働きました。

――その後、大阪で一人暮らしをしながら、ショップ店員として働き始めたわけですが、単身で大阪に渡ることへの不安はありませんでしたか?

若いがゆえ、現実として重く受け止めてなかったというのが本音です。家族に話した時は、心配はされましたけど、不登校やひきこもっていた時期に比べれば、自分の進む道を選んで決めたことがうれしかったようで「まずは挑戦しておいで」と背中を押してくれました。否定せず、そう言ってくれたことに、すごく救われたのを覚えています。

――人見知りなゆうたろうさんにとって、ショップ店員は大変だったのではないかとも想像します。

最初はお客さまに声をかけられないし、見よう見まねで使った関西弁は下手くそだし、トークスキルもないし……と、さんざんでした。当時は、お店の服をコーディネートして、SNSにアップする仕事をしているときが1番楽しかったですね(笑)。ただ、2ヶ月ぐらい経って、常連さんが徐々に覚えてくれたり、SNSをフォローしてくれたりしてからは「怖くないんだ」と思えて、どんどん楽しくなっていきました。

“かわいすぎるショップ店員”から芸能界へ

――その後『マツコ会議』で“かわいすぎるショップ店員”と取り上げられ、時の人となりました。あれは、どのような経緯で出演することに?

僕が働いていた「サントニブンノイチ」が原宿に店を出すことになって、オープニング作業を手伝っていたんです。東京に行ったのは2〜3回目とかだったので、原宿の人の多さに怯えつつ、竹下通りを歩いていたところ、『マツコ会議』のディレクターさんが、声をかけてくれたんですよね。

――放送後の反響も大きかったのではないでしょうか?

想像以上にいろんな方が見てくれたようで、SNSのフォロワーも増えましたし、「こんなやつがいるんだ」みたいな感じで、いろいろなメディアが取り上げてくれました。
芸能界への憧れはなかったのですが、ショップ店員としていろんなメディアに出て、僕の認知度が上がれば、お店も広まるし、いいかなと思っていましたね。それで「うん、うん」と言いながら身を任せていたら、いつの間にか事務所に入ることになっていました(笑)。

――憧れはなかったとのことですが、抵抗もなかった?

そうですね。「ショップ店員」という肩書きはありましたけど、将来なりたいものがはっきりあるわけではなかったですし。だからこそ、誰かが手を差し述べてくれるなら、必要としてもらえるならば行きますよ、みたいな感じでした。

沈みたくない、落ちたくない、だから挑戦し続けたい

――軽い気持ちで始めた芸能界でのお仕事。ずっと続けられているのはなぜでしょう?

来た仕事に対しては「とりあえずやってみよう」のマインドで続けてきたのですが、モデル、俳優、タレント、ラジオパーソナリティ……いろんなことをさせていただいている感覚が、僕の根本にある変身願望に通ずるからかなと。ゲームでいえば武器を手に入れたり、武装をちょっとずつアップグレードしていったりする感覚に近いというか。

――着々と出演作を増やし続けていますし、中性的な役から典型的な同世代の役まで幅広く演じられている印象です。どんな役でも楽しめるタイプなのでしょうか?

そうですね。ただ、いろんな役を任せてもらえるようになり、役者としてのゆうたろうを覚えてもらえるようになったのは、ここ数年かなと。最初の数年は「ゆうたろうにやってほしい」「ゆうたろうだからできる役」で選んでいただいた印象が強かったので。

――いろいろな役を任されるようになったのは、なぜだと分析していますか?

この仕事をしている中で、漠然と「このままだと沈んでいっちゃうかも」と感じたタイミングがあったんです。その時にすごい過酷な世界なのはわかっているつもりですが、「まだここから沈みたくない、落ちたくない。ずっと活躍していたい」と思っている自分に気づきました。それで、いい意味でゆうたろうというイメージを壊していきたいと思うようになり、役への向き合い方を変えたんです。

――実際に成長を感じた作品はありますか?

映画『かぐや様は告らせたい』の続編の撮影の時に、監督から「なんかあった?ってぐらい変わったね」と言ってもらえました。それで自信がついて、もっともっとチャレンジしようと思えたら、作品を見た方からも「エンドロールで、ゆうたろうだって気づいた」と言ってもらえることも増えて。どんどん楽しくなったんです。

それから先日まで行なわれていた舞台『桜文(さくらふみ)』は、舞台への向き合い方が変わった作品。コロナ禍で30公演以上走り切るのは、想像以上に大変で途中で何回も心が折れかけましたし、命をけずりながらやっていました。でも、ゲストの方やスタッフ、演出家の方のひとことに救われる瞬間がたくさんあって、やっぱりお芝居が好きだなと思えたんです。

――今後も役者を軸に、幅広く活動していく予定なのでしょうか?


そうですね。今年で7年目になるのですが、7年経った今も新しい経験や、新しい感情に出会えるのが嬉しいんです。そうはいっても、高望みはしないし、これをしたいあれをしたいという気持ちはないんですけど、求められる限りはこの場所にいたいと思います。僕は、求められなきゃ咲かない花だなと思いますしね(笑)。

取材/於ありさ
撮影/梁瀬玉実

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