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20年前から実施し功を奏している高校サッカー界の「補欠ゼロ」施策は、高校野球でも実現できる?

集英社オンライン / 2022年11月28日 15時1分

高校サッカー界が約20年前から取り組み始めた「補欠ゼロ」施策。新しいリーグの創設などを経て、高校の部活動でサッカーをする生徒達は、何らかの大会へ参加することが容易になりつつある。本記事では高校サッカーの実情と照らし合わせながら、何十年も変わらない高校野球界について考察したい。

試合数とプレーできる期間

各高校のサッカー部は10月から全国高校サッカー選手権の地区予選を戦い、11月半ばまでに代表が出そろった。全国大会は年末年始に行われる。
高校野球は9月から10月にかけて秋季大会が行われ、11月18日から各地区優勝校が集まって明治神宮大会が開催された。

そう書けば、高校サッカーも高校野球も「秋深まってなお盛ん」な印象を受けるが、両者には決定的な違いがある。


サッカーの選手権予選には3年生も出場するが、野球の秋季大会は2年生以下だけの大会となる。野球部の3年生は「夏の甲子園」の予選で敗れた時点で引退するからだ。あとは就職活動または受験勉強に集中する時期というわけだが、その慣例が戦後70年以上変わっていない。
バレーボールも、バスケットボールも望む生徒は、12月まで試合に出ることができるが、高校球児はレギュラーも補欠も2年半で引退だ。人気の部活動として沢山の生徒を抱えながら、他競技に比べて試合数も少なければ、活動できる期間も少ない。

このように改めて他競技の視点、例えばサッカーの常識から高校野球を眺めると、高校野球がいかに前時代的で高校球児のためになっていないかがよくわかる。

また、筆者は元高校球児であり、現在も野球を愛してやまない。だからこそ、甲子園至上主義である高校野球界に一言物申したいのだ。

Jリーグ初代チェアマンの言葉

まず何故サッカーとの比較なのか?

筆者は、テレビのとある討論番組でJリーグ初代チェアマン・川淵三郎氏と一緒になったことがある。その時、川淵三郎が言った言葉が忘れられない。

そのエピソードとは、十数年前のキャンプの時期に、松坂大輔からもらったサインボールを高値で転売するファンが現れ、そのモラルが物議を醸したことに発する。ファンサービスに対して、何らかの規制を加えようとする野球界の動きを、番組中に川淵が一笑に付したのである。

「野球界はなんでも規制しようとする。ルールを作れば必ず破る者や抜け道を探す者が出る。だから私はJリーグを始めるとき、なるべく規制するルールは作らないと決めたんです。やりたいヤツにはやらせておけって」

この言葉に、感服した。野球界は規制をかけることばかりに熱心で、根本的な解決が進まないのだ。
つい最近も、埼玉県の強豪校の部員が寮で飲酒・喫煙した事例が問題になった。定期的に監督・コーチの体罰が告発されると言っても過言ではない。いくら規制しても、十年一日、体質が変わらないのだ。

「補欠ゼロ」を実現しつつある高校サッカー

高校野球の大きな問題のひとつは、「一度も公式戦出場の機会がないまま卒業する球児が大勢いること」だ。部員が50人以上、いや100人前後いる高校も珍しくない。そのような高校では「試合に出られないのが当たり前」という現実がある。そして高校球界は、その事実をほとんど問題視していない。

甲子園出場が唯一無二の価値とする考えに支配され、部内のレギュラー争いに敗れた者に野球の試合をする資格はない、と言わんばかりの優勝劣敗思想に覆われている。

高校野球は教育の一環、部員それぞれの充実や成長を尊重すべき「高校の部活動」なのに、野球部には勝利至上主義が横行しており、野球の試合をする機会さえ与えない。それを美化するばかりで放置・容認する「高校野球ムラ」の思い込みは異常ではないか?

対照的に高校サッカー界は、20年近く前に新たな取り組みを始めた。「補欠ゼロ」をテーマに掲げ、トーナメント制の選手権とは別にリーグ戦を導入したのだ。全国を東西12チームずつに分けて行う「プレミアリーグ」を頂点に、その下には全国9つの地域で行われるプリンスリーグ1部、2部がある(県によっては1部だけ)。

更にその下に各都道府県リーグがあり、例えば新潟県の高校リーグなどは4部まである。部員の多い高校は、AチームのほかにB、C、Dと複数チームを組織し、別カテゴリーに所属して試合ができる。多くの部員がリーグ戦を戦えるから、怪我などない限り多くの生徒がプレーヤーとしてサッカーの試合に臨めるようになったのだ。

高校野球でも同じことはできないだろうか?
筆者は、実際に高校球界に提言したことがあるが、「球場がない」「予算がない」「審判が足りない」「日程に余裕がない」などと拒絶された。

ちなみに、リーグ戦を実現するなど自由な活動の機会を作るため、「春の地区大会を廃止し、各地区、各高校が自由に大会を提案できる時期にしよう」という提案が、実際に4年前の2018年に、新潟県高野連からなされていると知っていただろうか?
ただそれも、全国の都道府県高野連のほぼすべてが反対を表明し見送られてしまった。

レギュラーとサブではなく、AチームとDチーム

「補欠ゼロ」の取り組みを実際に指導者がどう感じているか。2019、2020シーズンに全国高校選手権で2年連続ベスト4に入った帝京長岡高校サッカー部の谷口哲朗総監督に聞くことができた。

「私は最初、抵抗がありました。やはり高校サッカーは年に一度の選手権を目指して、チーム内の戦いに勝ったレギュラー選手がユニフォームを渡されて戦う。そこに価値があると思い込んでいたからです。
ところが実際にリーグ戦を始めてみると、やってよかったと思うことばかりです。すべての選手が試合でボールを追いかけている姿に感激しますし、例えばDの試合の時、Aの選手が仲間のために一生懸命、ドリンクを作ったり、暑い日のハーフタイムにはタオルで仰いでやったり。そうすると、選手権でAチームが戦う時、Dの選手が彼らを応援する気合がぜんぜん変わってきます。以前よりずっとチームの絆というか、全体がひとつになって戦う気持ちも熱くなったと感じます」

AチームかBチームかの違いはあっても、選手と補欠の区別はない。部員はみな選手であり、常に試合が控えている。それぞれが次の試合に向けて練習し、工夫と準備を重ねる。みんなが選手だから、練習以外の時間の過ごし方、食生活への意識にも緊張感が高まる。

なぜ高校野球は、こうした高校サッカーの取り組みを学ぼうとしないのだろう。同じ学校の中で、すでにサッカー部では「補欠ゼロ」の概念が取り入れられて久しいのに、「高校野球もそうしよう」と声が上がらないのはなぜか?
高校サッカーができたのだから、高校野球でも、甲子園以外に、サブのメンバーが試合できる機会を創出すべきなのだ。

真夏にプレーすることの危険性

この夏も厳しい猛暑だった。国民に対して、テレビで熱中症の予防を呼び掛けるアナウンスが繰り返し放送された。その同じテレビで、高校野球が中継されることに違和感を覚えたのは私だけだろうか? 気温30度を越えたら原則として屋外での激しい運動をしないようスポーツ庁もガイドラインを設定している。

ところが高校野球をはじめ野球界は、まるで自分たちは特権階級で、治外法権が認められているかのように、この警鐘を無視し続けている。それを許すメディア、文科省、世論も完全に「甲子園という熱病」に冒され、冷静な判断力を失っているのではないだろうか。

筆者は、なでしこジャパンの中心選手として活躍する岩渕真奈が小学校時代を過ごした強豪クラブ、関前サッカークラブの小島洋邦監督にも話を伺ったことがある。その時の話も興味深かった。

「夏休みは練習をしません」

私ははじめ開いた口がふさがらなかった。夏休みは普段よりみんなで練習しやすい時期ではないか。野球の常識でいえば、指導者の手配さえつけば、週末以外も練習する道を模索するだろう。私は気を取り直して、小島監督の真意を訪ねた。するとあっさり、

「夏休みは、家族で過ごす時期ですから」

それからずっと小島監督の言葉をかみしめて過ごしてきた。サッカーは野球以上に運動量の激しい競技だから、暑い時期に練習するリスクを避けた方がいいという判断もあったのかもしれない。「夏休みは練習しない」という関前サッカークラブの方針に向き合うと、野球界がずっと変えることのできない様々な因襲の見直しにつながる。

甲子園を廃止せよと言っている訳ではない。ただ甲子園の開催期間をズラすこと、補欠の球児達が輝けるリーグや大会を創出することは、そこまで難易度が高いことだとは思えない。
高校野球界も高校サッカーに学び、根本的な方向転換をする時期に来ているのではないだろうか? そうでなければ、野球を選ぶ親子は減る一方になることを野球界全体が認識した方がいい。


文/小林信也 写真/共同通信

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