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【トー横・暴行殺害事件から1年】ホームレスを土下座させ7時間暴行した犯人は「手加減をしていた」。キッズ支援者の“同志”が裁判傍聴で知った“違和感“と“しんどい子どもたち”のリアル

集英社オンライン / 2022年11月26日 17時1分

「ちょうど1年前の今日。まさに彰さんの命の灯火が消えようとしている時、暴行の現場となったビルからわずか数十メートルしか離れていない路上で、私は10代の子どもたちを対象とした炊き出しをしていました。もともと被害者のかたとは支援活動を通じて知り合った“同志”でした。いっぽうの加害者は、私がおこなってきたサポートが必要な“しんどい子どもたち”でした。一体なぜあんな事件が起きてしまったのだろう? あの日から私はずっと自問自答しています」

2021年11月27日、新宿・歌舞伎町の雑居ビルの屋上で、ホームレスの男性が少年らからリンチの上、殺害された。亡くなったのは氏家彰(うじいえ・あきら)さん(当時43)。肋骨の骨折は38ヶ所で、内出血も多くあり、顔は原形をとどめていないという凄惨な暴力を受けていた。



犯人グループは6名とされ、関口寿喜(27)、亀谷蒼(25)、当時18歳の少年AとBの4人が傷害致死の容疑で逮捕された。残りの少年CとDは暴行に加わらなかったとして、逮捕は免れている。

主犯格である関口寿喜被告の公判は、2022年9月20、21、26、27、28日に行われ、被告人証人は、トー横キッズのCとDの他、被告人母・父・氏家彰さんの兄の計 5 人 が立ち、証言をした。亀谷被告と氏家彰さんとの間に金銭トラブルがあったことがリンチ事件の発端とされている。

関口被告は、トー横キッズやホームレスに炊き出しをする「歌舞伎町卍会」のメンバーで(事件当時はすでに脱会)、路上に集まる子どもたちの役に立ちたいと願う氏家さんとは「友達だった」「氏家さんを助けにいくために現場に向かった」と主張する。だが、関口被告は土下座をして謝罪をし続ける無抵抗の氏家さんに、殴る、蹴るといった暴力を7時間にわたって振るっている。

暴行の理由について、(別の不良グループとのトラブルに巻き込まれていた氏家さんを)「最初は助けるつもりだったが、だんだんイライラして暴行に加わってしまった」と公判で主張した。10月7日、東京地裁は「悪質で残酷な犯行だ」とし、懲役10年の実刑判決を言い渡した。

亡くなった氏家彰さん

キッズたちと同じ年頃の子どもを持つシングルマザーで、子どものための支援団体NPO法人CPAOの代表の徳丸ゆき子さんは、貧困、虐待といった社会の“しんどい状況”に置かれている子どもたちをサポートするため、長年炊き出しなどの活動をしてきた。
氏家さんとは活動を共にする“同志”だった徳丸さんは、今回の事件の裁判を全て傍聴した。
集英社オンラインはこのトー横傷害致死事件について、徳丸さんに話を聞いた。

「事件が起きる前夜、私は大阪から東京に向かっていました。夜22時くらいに新宿に着き、『明日は炊き出しの日だよ』と彰さんに伝えるために、歌舞伎町のシネシティ広場と大久保公園にいきました。彰さんは私たちの団体の炊き出しを手伝ってくれるメンバーだったのですが、炊き出しの日がいつなのかを忘れてしまうので、定住地にしているそのどちらかに誘いに行くことになっていたのです。ところがその日はどちらにもいませんでした。珍しいこともあるなと思いながら、その日はホテルに帰りました」

翌日も氏家さんは姿を現さなかった。妙な胸騒ぎがした徳丸さんは炊き出し中も、氏家さんのことを気にかけていたという。

「子どもたちは『知らない~』と言いつつも、『なんで彰さん、探してるの?』と訝しげに聞いてくる子もいました。ふと見ると、三角座りをしている子が独り言のように『死んだ。アキラ、死んだ』と言っていたのです。『え? 彰さん、死んじゃったの?』と尋ねたところ、隣にいた子が慌てた感じで『この子、パキってる(クスリでキマっている)から。ウソ、ウソ』と言い、『何か変だなあ』と感じながらも、再び炊き出しをしていたビルの前へと戻りました」

トー横に集まるしんどい子どもたち

戻ってしばらくすると、区役所通りを何台ものパトカー、救急車が慌ただしく走り抜けていった。徳丸さんと炊き出しのメンバーは、そのけたたましいサイレンを聞きながら、「一体何があったんだろう?」「事件かな? 怖いね」などと話していたという。

「あの場所に子どもたちが居続けることは危険だ」と思っていた

徳丸さんが事件を知ったのは翌朝のニュース番組だった。

「広場の子ども達の様子、区役所通りを走っていったパトカーや救急車がフラッシュバックしました。彰さんとは21年の夏頃に知り合い、子どもたちのために何かをしたいということで、私たちの炊き出しを手伝ってもらったり、子どもたちのことで相談し合ったり、私が歌舞伎町に行った時には必ず話をする間柄でした。
彰さん自身も様々な問題を抱え、一線は引いていましたが、子どもたちをサポートしたいという思いは同じという一点でつながっていました。ダメなところも多くあるおっちゃんなんだけど、情にもろくて、子どもたちに何かしてあげられることをすごく喜んでいたんです」。

徳丸さん(左)と氏家さん

亡くなる1ヶ月前には、ハロウィンの炊き出しを行い、氏家さんは笑顔でお菓子を子どもたちに配っていたという。かたや、加害者側の少年たちはどのような姿を見せていたのだろうか。

「関口被告については、 積極的な関わりは持っていませんでした。歌舞伎町には様々な支援団体が関わっていて、その中の1つである歌舞伎町卍會で活動していたこともあると聞いていますが 、半グレとの関わりがあるなどの話もあり、支援者という立場なので距離を置いていたのです。
2020年の秋口からは、トー横キッズと言われる子たちだけでなく、特攻服を着る子たちを見かけるようになりました。その中に今回の加害者の子たちもいて、炊き出しの時にも、私がその子らにも食事を渡そうとしていると、彰さんから『あいつらには渡さなくていいですよ!』と言われ、理由を聞くと『あいつらは半グレとつながってるし、女の子たちを騙してお金引っぱったり、暴力をふるったりしているんだ』とそれまでにない口調で批判していました」

2021年夏は、トー横が最も盛り上がっていた時期だと徳丸さんは話す。
最初は子どもがたむろするだけだった空間に、いつしか大人も出入りするようになり、ドラッグや詐欺、パパ活などの犯罪の手が入り込むようになってきていた。

「あの場所に子どもたちが居続けることは危険だ」そう徳丸さんは感じながらも、決定的な解決法を見出せなかった日々の中で、事件は起きてしまった。

誰もが被害者にも加害者にもなりえた

「初めて関口被告の裁判でのやりとりを見たとき、『ああ、この人もまた本当は小さな頃に手厚いサポートが必要な子どもだったんだ』と気づきました。裁判官から質問されたことに対する返答が的を得ないシーンも多々ありましたし、元々は内気な性格で、イジメを受けたこともあったと裁判で明らかになっています。また親との関係も悪く、地元から追い出されるようにして彼は新宿に辿りついています」

トー横には、関口容疑者に限らず、虐待、いじめ、コミュニケーション不全、知的障害、発達障害、精神障害などから学校や地域社会に溶け込めなかったタイプの子どもが多いと徳丸さんは話す。

炊き出しを受ける子どもたち

「傍聴の中でわかったことがあります。ストリートに集まっている子どもたちの誰もが、あの現場にいてもおかしくなかったということです。加害者にも被害者にもなりえました。
逆に、最後までよくわからなかったこともありました。それは、事件の原因です。彰さんが『少年Bからお金を借りていた』、『お金を借りていなかった』と正反対の証言が出てきていました。つまり、原因はお金の貸し借りによるトラブルではなかったのです。

むしろ『俺には木更津の暴走族がバックについているから』と彰さんが吹聴したことで、木更津の暴走族に所属している少年Bと“名前を使った、使わない” というような些細なトラブルが発端となっていたのです。そんなよくわからない原因で、人を殺すまでに激昂してしまうことに関口被告の心の弱さを感じました」

土下座をして謝罪をし続ける無抵抗の氏家さんに7時間もの暴行を続けた関口被告、暴行を続けた理由についても徳丸さんは違和感を覚えたという。

「関口被告は、彰さんとも亀谷被告とも仲が良かったため、彰さんをすぐに助けたら亀谷被告を裏切るようになってしまうから手を出したと主張しています。
でも、それであそこまで執拗に暴力を振るうでしょうか? もしかしたら異様な空気にのまれてしまったのかもしれません。関口被告も証人も『殺すつもりじゃなかったのに…』『本当に助けようと思っていたし、手加減もしていた』『でも、建て前とか筋が通らないといったことに囚われていた」と裁判で答えました。
そのいっぽうで、彰さんの兄が出廷して彼らを非難しても、自身の母が公判中に『親の育て方が悪かった』と泣き崩れても、全く表情が変わらなかったことが印象的でした」

東京地方裁判所

「見ているだけだった」と主張する少年CとDの2人の行動について、徳丸さんは“トー横”という場所が、歯止めをかけられない空気を作ることに加担したのではないかと分析する。

「2人の少年もどこかのタイミングで止めることができたはずです。途中、彰さんが意識を失った際には、彰さんにかけて目を覚まさせるために2リットルの水を買いに行かされています。彰さんがすでに起き上がらなくなってしまった最後には、『かける布を買ってこい』と量販店に行かされ、毛布を万引きしてきています。つまり、ずっと監視されていたわけではなく、いくらでも警察や救急に助けを求める時間はあったし、逃げ出すタイミングもあったのです。でも、なぜか2人は現場に戻っていきました。

なぜ、暴行を止めずに、指示されるがままに動いていたのでしょう?
もしかしたらと答えが見いだせそうな証言がありました。それは、暴行も終盤に近づいたときの関口被告が発した言葉と、それを聞いた少年たちの感想です」

事件を通してみえたものとは…

関口被告は事件直後少年2人に対し「本当ごめんな、巻き込んじゃって。お前ら知らんって言えよ。全て俺のせいだから」と伝えたという。その姿を見た少年C・Dは、「のぼるさん(関口被告のストリートネーム)って、男気あってかっこいいなと思った」と証言している。

「それを聞き、テレビや漫画などを見ているような感じで、その暴行を見ていたんだろうなと感じました。いわば解離状態ともいうのでしょうか。現実を現実として捉えることができず、どこか夢のようにリアリティがない状態で、目の前で起きている凄惨な出来事を見ている…。

でも、それももしかしたら仕方ないのかもしれません。学校にも家にも居場所がなく、路上に集まってきた子どもたちです。家に暴力があり、貧困があり、心を深く傷つける言葉があり、それらを逃れるようにして生きてきたのですから。
つまり、あそこにいる子どもたちは、長い間、夢なのか現実なのかよくわからない状況に居続けているのでしょう。それも当然です。なぜなら、現実をしっかり見つめてしまったら、しんどくて生きていけませんから。
つまり、あの“トー横”という場所で、子どもたちは集団解離状態に陥っているとでも表現したいのかもしれません」

炊き出しを受け取った子どもたち

徳丸さんが事件を通して見えてきたのは、被害者も加害者も、社会の吹き溜まりのようにあの場所に集まっていたということ。そして、社会から見放された結果、事件が起きてしまったということだった。

「以前、家出をした後、グリ下(大阪・ミナミ)に集っていた14歳の少女と関わったときに、彼女がこんなことを言っていました。『自分が悪いからここにいるしかないんだよね』『家にいたら親にも先生にも迷惑かけるから』と。
いじめを受けたり、虐待されたりした結果、子どもたちは路上に行き着きます。そして、学校や地域という社会に居場所を作れなかったのは、自分の責任だと自らを責めているのです。

2000年以降、自己責任が叫ばれるようになり、今や子どもたちにまで自己責任という概念が染みわたっています。子どもたちにまで『自己責任』を押し付けた結果、あの事件が生まれてしまったように思えてならないのです」

氏家さん(左)と徳丸さん

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