「新聞記者の仕事って、実はテニスプレーヤーとすごく似ているんです。テレビの人たちはチームで動きますが、新聞記者は取材に行くとなると、自分で飛行機や宿を予約して、1人乗り込む。どこに行くか、何を取材するかも自分で決める。目標から逆算して色々と準備してから現場に向かう点なども、テニス選手と似ていると思うんです」
丁寧に言葉を紡ぐ彼女の名は、長野宏美。
職業、毎日新聞社記者。
ただし往年のテニスファンなら、同姓同名のテニスプレーヤーを思い浮かべるかもしれない。1990年台半ばにプロとして活躍し、シングルスでは全豪オープン、ダブルスでは全ての四大大会本戦に出場した長身のストローカー。そしてこの両者は、まぎれもなく同一人物である。
グランドスラムのコートを飛び出し、大統領選取材の最前線へ! プロテニス選手から毎日新聞記者に転身した長野宏美の数奇なキャリア
集英社オンライン / 2022年12月4日 14時1分
毎日新聞の記者として、米国大統領選からスポーツまで幅広い分野で取材・執筆する長野宏美さん。30歳を過ぎて開花した、記者としての資質の土台を培ったのは、アスリートの経験だった。
海外志向に導かれたテニスプレーヤーへの道
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2015年からの4年間、ロサンゼルス支局に勤務していた頃の長野さん
1971年生まれの長野さんは、元世界4位の伊達公子らと同世代だ。トップ100に常時5人以上の日本人選手がランクインし、グランドスラム本戦に10人以上が出場していた女子テニス界の黄金期。
その時代に生きた彼女は、「自分がプロで通用するとは思えなかった」と、10代後半の頃を回想する。
「学校や勉強が好きだったので、大学進学以外の選択肢はありえないと思っていたんです。ですが、高校の時に全日本ジュニアなどの大会で思った以上の結果が出て、周りからはプロになれと言われて。それが正直、嫌だったんです」
地元千葉県のテニスクラブで、数ある“習い事”の一つとして始めたテニス。ピアノや公文式にも通ったが、それでも最終的にテニスを選んだのは、この競技が“世界”と直接つながっていたからだ。
「中学2年生の時、関東圏のジュニア大会で上位に入り、ご褒美でアメリカ遠征に連れていってもらったのがすっごく楽しかったんです。オレンジボウルという世界のトップジュニアが集う大会に出させてもらい、みんなでご飯を食べに行ったり、メキシコの物が売っているショップに行ったり。
一緒に遠征に行った子が海外にも慣れていて、英語で話しているのを見て、かっこいいって思った。テニスというより、英語への意欲やアメリカ文化への関心の方が、私にとっては大きかったです」
この遠征で心に刻まれた衝撃は、後に長野さんのキャリアにおける、一つの羅針盤となる。一端は大学に進学するも、「勉強はいつでもできるが、テニスは今しかできない」と思い、プロ転向を決意した。
テニスで染みついた習性が、記者への扉を開くカギに
プロになった後は、練習環境を求めて1年間は米国フロリダ州を拠点とし、世界各地の大会に出場する際は、基本は自分一人での遠征。1995年には、全豪オープンの予選を突破しシングルスで本戦へ。ダブルスでは全豪、全仏、ウィンブルドン、そして全米オープンにも出場した。
だが翌年は戦績を落とし、精神的にも苦しい時期を過ごす。
「遠征中も、新聞の求人広告を見ていた」という日々の末に、1997年初頭に東レパンパシフィックオープンに出場するも、予選1回戦で敗退。結果的にこの試合が、“プロテニスプレーヤー”としての最後の試合となる。25歳の時だった。
心がテニスから離れ始めたこの当時、ある出来事が、最終決断へのスイッチとなったという。
「東レの試合を終えた2月に、図書館の帰りに運転していた車が衝突事故にあったんです。大ケガをしたわけではないんですが、『テニスを辞める』というスイッチを入れるには十分でした」
交通事故の衝撃と共にテニスと決別した長野さんは、その後も求人広告に目を通すも、なかなか思うような職は見つからない。
「どこの世界にも求められてない——」。そんな自己否定感にも襲われる中、今につながるきっかけを得たのは、なじみの飲食店という意外な場所だった。
「そのお店の常連に毎日新聞社の方がいて、その方が週刊誌の『サンデー毎日』でバイトを探しているという話をしていたそうなんです。お店の方を介してそれを聞いて、『サンデー毎日』の編集部にバイトに行きはじめました」
かくして「学生バイト」扱いで得た職で、長野さんが任されたのは、「読者アンケートはがきの集計と整理」だった。元トップテニスプレーヤーの待遇に、周囲は「これでいいの?」とやや気兼ねもしただろう。ただ本人は、初めて経験する仕事が楽しかった。
そのうち記事を書くことにも興味を持った長野さんに、当時の編集長が「お題作文を書いてきたら添削してあげるよ」と提案してくれる。早速、長野さんは作文を提出するようになった。それも、毎日欠かさずに……。
「後から言われて笑い話になったんですが、私は赤入れされたらそこを直して、次の日に持っていってというのを毎日やっていた。それはもう、テニスの練習で身体に染みついた習性みたいなものなんです。でも周りの人は驚いていたみたいですね、毎日持っていってるよって」
目標を定めたら猪突猛進する長野さんの姿勢に、編集長は記者の適性を見たのだろうか。そのうち誌面作りを任されたり、取材に連れていってもらうようにもなる。
「すごく楽しいし、ずっとこういう仕事をやりたいと思った」という長野さんは、週刊誌の仕事をしながら毎日新聞社の中途採用試験を受け、2度目の挑戦で見事合格。
2003年に入社し、水戸支局の配属となった。31歳の時である。
“夜討ち朝駆け”の日々。モノを言ったのは気力と体力
新人記者の支局配属は新聞社の慣例で、そこでは政治からスポーツまで、あらゆる取材・執筆を経験し、力を養う。長野さんも実地で多くを学んだ。それも急激なスピードと、猛烈な情熱で。
「支局の取材は、まずは事件・事故、あとは野球ですね。午前中に3時間運転して事件現場に行き、午後には戻って高校野球の取材をすることもありました。
いわゆる“夜討ち朝駆け”もよくやりました。私が水戸支局に居た時は、刑法犯の事件件数が多い時期だったんです。未解決事件も多かったので、昼間は県警本部の記者クラブ室に詰め、朝になると担当の警察官の家に行く感じでした」
“夜討ち朝駆け”とは、深夜や早朝に取材先を訪れて、公式の会見等では聞けないコメントやヒントを得る手法のこと。そのような苛烈な取材を重ねる時、モノを言うのは体力、そして探求心だ。
「気力・体力があるんですよね。そこはやはり、アスリートの基礎がすごく役に立ったと思います。私がプロでやっていた時のテニス界には、伊達さんをはじめ世界のトップで戦う日本人がたくさん居た。その方たちの『やるぞ!』と決めた目標に対する入り込み方は、ちょっと他の人たちとはレベルが違ったんです。
私はあの域までは行けなかったけれど、そういうのを見ていたので、それが普通と思っていたところもありました」
知りたいことがあれば、現場に足を運んで自分の耳目で見聞する。気になる情報があれば、関係者を渡り歩いて裏取りを徹底する。
実直な姿勢で実績を積み上げた長野さんが、記者としての力を急速に身につけたのは当然だったろう。
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ゴールデングローブの授賞式を取材する長野さん
2015年に長野さんは、自ら志願して、ロサンゼルス支局に異動する。アメリカの西部を中心に、事件裁判から映画や野球のメジャーリーグまで、あらゆるジャンルの取材に邁進した。
とりわけ印象に残っているのは、もとより興味のあった「再犯防止」。刑務所内で受刑者たちが大学の講義を受け、その後の人生が大きく変わっていく姿を取材できたことは、長野さん自身にとっても人生観が変わる体験だった。
加えて多くの時間を割いたのが、ドナルド・トランプとヒラリー・クリントンの対決となった、2016年大統領選挙の取材である。
アメリカの光と闇を肌で感じたロサンゼルス支局時代
「私がアメリカにいた2015年からの4年間は、いろんな意味で国内外の動きが激しかった。特にトランプ大統領になってからは、分断や格差が表に出てきた、興味深い時でした。
アメリカが今まで抱えていた歪みや分断が一気に噴き出し、揺れ動きながら一方に傾いたらもう一方が激しくぶつかるダイナミックさを、目の当たりに出来ました。そんな時に、トランプ支持者も含めた一般の人たちの話を聞くのが、とにかく楽しくて刺激的だったんです」
少女時代に憧れ、テニス選手キャリアの原点ともなった、アメリカ。その国が大きく揺れた時代に現地で暮らし、大国の光と表裏の暗部にも直に触れたことは、長野さんの新聞記者のキャリアにおいても、一つの集大成となった。
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ロサンゼルス勤務時代には、離れていたテニスの熱も再燃! なお写真中央、長野さんの隣に立つのは、元世界1位で元祖天才少女と呼ばれたトレーシー・オースチン
2019年に帰国し東京本社勤務となった今、長野さんの仕事は、デスクワークが中心となりつつある。それでも彼女の本質は、どこまでも記者でありアスリート。今でも可能な限り現場に足を運び、自身の体験や皮膚感覚を大切にしている。
「私は『石橋があっても、泳いで渡る』みたいなタイプなんです。ここを通れば安全ですよ、と言われているのに、『いいんです、私はこっちを泳いで行ってみたいので』と、苦しい方を選んでしまう。でもその方が面白いし、途中で大切な物が見つけられるかもしれない。私はやっぱり自分の身体を使って、色々と感じることが好きみたいです」
泳いで渡るのは苦しい道だが、予め最も困難な状況に備えていれば、橋が崩れても大丈夫という利点もあるだろう。自らの身体で水の温度や抵抗を感じ、手足で掻いて進んでいく――。
そんな風に長野さんは、持ち前の探求心で今日も世界の真理へとつき進んでいく。
取材・文/内田暁
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