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【祝・決勝T進出!】田中碧・三笘・権田・板倉伝説。4人のW杯戦士を輩出した奇跡の「さぎぬまSC」代表は語る

集英社オンライン / 2022年12月2日 15時33分

スペインに歴史的勝利をおさめ、決勝トーナメント出場をかち獲ったカタールW杯・日本代表。そこにもっとも多くの選手を送り出したサッカー少年団が、神奈川県川崎市に存在する。その名も「さぎぬまSC」。17期生の権田修一、25期生の板倉滉、26期生の三笘薫、27期生の田中碧を輩出した同クラブ代表の澤田秀治氏に、少年時代の彼らの秘話を語ってもらった。

「8歳ですでに『ゲーゲンプレス』を実行していた」
三笘薫(ブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFC)

小2の春に見せた、“華麗なる攻守の切り替え”

「今から17年前も前に、現代サッカーの基本となるようなプレーを小学2年生が見せていた」と聞いて、信じられる人が果たしてどれだけいるだろうか?



三笘は、8歳のときにすでに「ゲーゲンプレッシング」を見せていた――。

そんな伝説がさぎぬまSCには残っている。なお、「ゲーゲンプレッシング」はドイツ語で、英語では「カウンタープレッシング」と訳される。守備に転じたあと、相手からボールを奪い返して再び攻撃に移るために“即座に”プレスをかける動きを指す。現代サッカーでは基本となるアクションだ。

しかし、小学生のサッカーを描写する際に「団子サッカー」という言葉がしばしば用いられることからもわかるように、この年代ではみんながボールの周りに集まってしまうことが多い。小学校低学年の子であれば、その傾向はなおさら強いのだが……。

三笘の「ゲーゲンプレッシング伝説」は本当なのだろうか? 今から17年も前のことなのに、さぎぬまSCの澤田代表はハッキリと覚えている。

「あれは薫が小学2年生のとき、川崎市の春季サッカー大会という公式戦の準決勝でした。当時のチームには薫と同じくらい上手なFWの選手がいました。多くの試合では、そのFWの子がドリブルで持ち込んでいってゴールを決め、それでチームも勝ち上がっていくようなかたちでした。

そのため、薫はそのFWの子がドリブルで持ち上がっていく3mから5mくらい後ろにつくようにしていたのです。そして、そのFWの子がボールを奪われたら、薫が相手からボールを奪い返しに行き、そこから一気にシュートまで持っていく。逆に、そこですぐに奪い返せないとわかったら、今度はいち早く自陣に戻って、守りだしていたんですよ」

WBを難なくこなす“サッカーIQ”の高さ

三笘は、日本代表きっての理論派として知られている。川崎フロンターレのU-18に所属していた高校3年生のときにプロへの昇格を打診されたのだが、当時はプロでやっていくだけの実力はついていないと自ら判断し、筑波大学へ進学した経歴の持ち主だ。それは当時でも異例と言える決断だった。

ただ、大学でしっかりと力をつけて、古巣の川崎フロンターレにプロ選手として舞い戻ると、大活躍して日本代表に上り詰めた。なお、大学時代に書いた卒業論文のタイトルは「サッカーの1対1場面における攻撃側の情報処理に関する研究」だという。
日本サッカー界を振り返ってみると、ドリブルが上手な選手といえば、天性の才能に恵まれているタイプや感覚派と言われる選手が多かった。

しかし、三笘は違う。昨シーズンはベルギーで、今シーズンはイングランドで活躍しているが、世界で通用するドリブラーとして認められつつあるのは、三笘が感覚だけに頼るのではなく、脳を使ってプレーをできるからだろう。自分の能力を冷静に分析し、(ときにはそれを言語化することで)課題を理解して、自らのプレーに反映することのできる理論派なのだ。

もっとも、冷静にチーム力を分析して、自分に必要なプレーがどのようなものかを考え、実行に移す小学生など普通ではない。澤田代表が断言する。

「当時の薫をみて、『小学2年生でこんなことができる子なんて、今までいなかったよね!』と我々は驚いていました。ものすごくドリブルが上手い子にはたくさん出会いましたけど、攻守の切り替えの重要性をあの年齢で理解し、ボールを奪われたらすぐに奪い返しにいくような子など見たことがありませんでした。とても冷静に状況判断できていたということでしょうし、そういう意味で、彼はあの頃から本当にすごい子でしたね」

歴史的勝利をあげたドイツ戦で、日本代表では初めてWBのポジションを任されながらもしっかりと結果を残せたのは、小学生にしてゲーゲンプレッシングを実行できた“サッカーIQ”の高さと無関係ではなかったのだ。

「チームが静まり返っても鼓舞できるのが“ゴンちゃん”だった」
権田修一(清水エスパルス)

“ゴンちゃん”の最初のGKコーチ

権田のGKとしての成長を振り返るとき、最初にあがるのは彼の父親の貢献だ。これは、さぎぬまSCとしての方針とかかわってくる。このクラブでは保護者も積極的に指導にたずさわってほしいと呼びかけているからだ。

「うちはフロンターレさんのようなところとは違い、ある種のボランティアチームという側面もあるので」

澤田代表はそう話す。当然ながら、専門のGKコーチなどいなかったが、チームで攻撃のメニューなどに取り組んでいた時間帯は、グラウンドの隅で権田の父親がGKのトレーニングに付き合っていた。

「専属のGKコーチなどいないなかで、お父さんは“ゴンちゃん”の最初のGKコーチという感じでした。それくらい熱心に取り組んでくれていました」

澤田代表が“ゴンちゃん”と愛称で呼ぶのには理由がある。澤田代表の愛息は権田のひとつ下の18期生だった。愛息の入団に合わせ、澤田代表も“お父さんコーチ”となり、そこからさぎぬまSCとのかかわりがスタートした。だから、父親とともにトレーニングに励む権田の一挙手一投足を目にする機会も多かったのだ。

キャプテンではないのに光っていたリーダーシップ

GKとしてのプレーや技術以外にも、当時から権田には光るものがあった。

「チームが勝つために大きな声を出して、いつもチームを盛り上げることができる子でしたね。うちの息子が5年生のときに、ゴンちゃんがいた6年生の試合に帯同してじっくり試合を見る機会があったのですが、その元気な姿は印象的でした。みんなが静まり返る場面でも、鼓舞できるのがゴンちゃんなんですよ。『何やっているんだ!』と厳しい声を出すこともあれば、『もう少し頑張れば相手を抑えられるぞ!」と盛り上げることもあって」

当時のチームキャプテンは、川崎市の選抜チームにも選ばれていたCBの選手が務めていた。ただ、権田がその陰に隠れる存在だったわけではなかった。むしろ、キャプテンという役職を与えられていなかったからこそ、澤田の目には権田の秘められた“ある資質”が光って見えた。

小学生年代ではそもそも、キャプテンを任され、率先して口を開くように求められて初めて声を出す子も少なくない。逆に言えば、キャプテンマークを巻かない選手が自発的に声を出していたとしたら、それは本当のリーダーシップを備えているということでもある。権田はまさに、そんなリーダーシップのある子だった。

「GKの子には『いちばん後ろにいて、いろいろと指示を出せる立場にあるんだから、右サイドを警戒しろとか、どこがフリーなのかを大きな声で教えてあげよう』とは伝えています。でも、あそこまでしっかりコーチングできる子はなかなかいないでしょうね」

W杯最終予選“2敗目”で感じた責任感

権田で思い出されるのは、カタールW杯最終予選の第3戦、サウジアラビアとの試合のあとのことだ。あの試合では柴崎岳のバックパスを相手にカットされ、そこからゴールを許してしまった。最終予選3試合目にして2敗目を喫するという危機的な状況だったため、日本代表の監督や選手のなかでも、そのプレーについて触れないようにしようという空気があった。

ただ、権田は違った。あのプレーは柴崎だけのミスではなく、チーム全体としてのミスだと語り、仲間をフォローしていた。権田の責任感とチームメイトを思う気持ち、そしてリーダーシップが垣間見えた言動だった。

「もちろん、小学生のときから身体も大きくてやんちゃな一面もあったと思うんですけど、そういう部分も含めて、チームを鼓舞できるというのがゴンちゃんなのかもしれませんね」

日本代表にひとつしかないGKのポジションで、W杯最終予選のレギュラーとして本大会に導いたのが権田だった。

代表チームでは通常、ベンチ入りの2人も含めた3人のキーパーでポジションを争ってきた。シュミット・ダニエルや川島永嗣など、それぞれの長所を持つGKがいるなかで、権田は森保一監督からそのリーダーシップを高く評価されてきた。彼が厳しいW杯予選で日本のゴールを守り続けた要因のひとつはそこにある。

そして、それはさぎぬまSCでプレーしていた小学生のときから、彼がチームメイトに声をかけ続けてきたなかで養われたものだったのだ。

「試合開始後すぐ『こいつら強いよ! すごく上手い』と
少年ジャンプの主人公のごとく叫んだんです」
田中碧(フォルトゥナ・デュッセルドルフ)

体験会で号泣した田中碧(5歳)。その驚くべき理由とは?

田中には伝説しかない。

さぎぬまSCでは、新年度の入団を考えている新1年生のための体験会を毎年3月に行っている。実際に入団してみて、「クラブの方針や雰囲気に合わない」と思う子もいるため、「来る者は拒まず、去る者は追わず」がポリシーのクラブにとって、体験会は大切な機会だ。

1998年度生まれの子供たちのための体験会が行われたとき、ワンワン泣いている子がいた。それが田中だったのだ。澤田代表が振り返る。

「幼稚園の年長の子が集まるわけですから、泣いている子はよくいます。たいていは『親から離れたくない』とか『みんなのように上手くボールを蹴れない』とか、そういう理由からです」

「この子も何か“不安”を抱えているのだろう」と考えた澤田代表は田中を落ち着かせるために膝の上に乗せ、彼が泣き止むのを待ってから発した質問をきっかけにやりとりが始まった。

「どうしたの? お母さんから離れるのがいやなの?」

田中が首を振る。澤田代表は優しく続けた。

「何ができなかったの?」

甘えん坊で人懐っこい雰囲気をすでに漂わせていた田中は、しかし、驚きの答えを口にした。

「こんな練習、つまんない!」

テレビゲームでもやりたいのか、それとも、ほかのスポーツに興味を持っているのか。澤田代表はあれこれ思案したのだが、田中の答えはこうだった。

「ぼく、もっと難しい練習をしたいんだ!」

田中の頭を支配していたのは“不安”ではなく、“不満”だったのだ。

同年代との紅白戦にしぶしぶ参戦→ドリブル無双

澤田代表は苦笑しながら、孫の生い立ちを語るかのようにこう振り返る。

「私も長くやってきましたけど、あんなことを言った子は彼だけですよ……」

あとになってわかったことだが、田中は幼稚園のときからサッカースクールに通っていたという。初心者も受け入れるさぎぬまSCのなかでは、すでに頭ひとつかふたつ抜けるような才能に恵まれていたのだ。

だからだろう。ボールの上に片足ずつ交互に乗せたり、ボールを大きく投げ上げてから落ちてくるまでの間に手をひとつ叩いたりする、いわゆる子供向けのメニューなど、当時の田中にとって朝飯前だったわけだ。

もっとも、どれだけ激しく泣いていたとしても、周囲の意見に聞く耳を持っている素直な性格は今も変わらぬ田中の才能だ。

「もう少し頑張って、みんなと一緒にやってみよう。あとで『試合』もあるからさ! そこまで頑張ってみないかい?」

「試合」というのはいわゆる紅白戦のようなものだが、それを聞いた田中は、同じ年代の子の輪の中にしぶしぶ戻っていった……。

もちろん、その日の最後に行われたゲーム形式の練習では、水を得た魚のようにドリブルをして、大活躍したのは言うまでもない。

「戻れー! あいつらが狙ってくるぞ!」

もっとも、ここまで挙げたエピソードは、田中や川崎フロンターレに興味を持っている人たちの間では比較的知られている話かもしれない。しかし、それだけではなかった。田中伝説には“エピソード2”があったのだ。

田中が小学2年生のとき、さぎぬまSCよりも格上のチームとの試合が行われた。試合開始の笛が鳴ってから1分も経たない時点で、田中がベンチの監督に向かって叫んだ。

「こいつら強いよ! すごく上手い!!」

マンガ『ドラゴンボール』の主人公・孫悟空が強い敵にあったときに発しそうなセリフである。ただ、そんな試合でも田中は先制点を叩き込んだ。

そして、得点の直後にチームメイトを集めて、今度はこう伝えたという。まるでマンガ『SLAMDANK』で主人公の桜木花道がインターハイ出場をかけた試合終盤にチームメイトへ呼びかけたみたいに……。

「戻れー! あいつらが狙ってくるぞ!」

澤田もこのエピソードには舌を巻く。

「相手チームがものすごいパス回しをしてきたり、自分のチームの選手たちが次々とドリブルでかわされてしまったりするのを見て、相手チームの実力を子供たちが試合中に気づくことはあると思います。

でも、普通はせいぜい5分とか10分経ってから気づくものですよね。まだ、小学生なので。それなのに彼は1分も経たないうちに、相手チームのひとつかふたつのプレーを見ただけで、『自分たちとはレベルが違うな』と判断できたみたいなんですよね。

しかも、得点した後には、監督よりも先にチームメイトに守備をするように呼びかけて。すごいですよね。そういえば、この前、彼が出演したNHKの番組を見たときも『相変わらずこの子は話すの“も”上手いよな』と思いましたけど(笑)」

田中はまだ24歳だが、将来は監督になりたいとすでに公言している。「田中ならいい監督になりそうだ」という声はすでに挙がっているが、さぎぬまSCに残るエピソードはそうした意見の正当性を証明するものになるかもしれない。

「下級生ながら2得点。学年を越えての『縦割り試合』が伝統行事に」
板倉滉(ボルシア・メンヒェングラートバッハ)

下級生が活躍しづらい「縦割り試合」で大活躍

「板倉選手だけは、どのようなプレーをしていたのかという具体的な記憶がほとんどないんです」

さぎぬまSCの澤田代表がそう語る理由は、板倉が2年生の1年間だけ在籍したのちに、当時住んでいた横浜市の古豪サッカークラブ「あざみ野FC」(日本代表経験もある横浜F・マリノスの水沼宏太などを輩出したクラブ)へと移っていったからだ。

「ただ、彼はうちの夏合宿の『縦割り試合』で小学2年生にして2ゴールを決める大活躍を見せたんです。当時は今とは違い、前線の選手だったんですけど、それは本当にすごいことで」

さぎぬまSCでは、小学生の男子チームを学年ごとに6つにわけて強化をはかっている。これはほかの大半のクラブと同じだ。

ただ、夏合宿では、あえて普段とはちがうかたちでチームを編成する。学年の垣根を取り払い、1年生から3年生までが均等に属する低学年の部で6チーム、同様に4年生から6年生までがミックスされた高学年の部で6チームを作り、それぞれ総当たり戦で優勝を争う。

体育祭やスポーツ大会がものすごく盛り上がる学校があるが、さぎぬまSCでも、この「縦割り試合」は子どもたちが目の色を変えて取り組む伝統行事となっている。

ただ、小学生年代の1学年の差は身体の成長面でも、技術などの面でも、とても大きなものとなる。とりわけ、発育やサッカー経験にばらつきが見られる低学年となると、その影響は特に大きくなる。そのため、高学年の部で4年生や5年生の子が活躍することはそれなりにあっても、低学年の部で1年生や2年生が活躍するケースはあまりないのが実情だ。

だが、板倉は違った。

2年生のときに夏合宿に参加し、下級生が活躍しづらいと言われている低学年の部の「縦割り試合」で2得点を決めたのだ。

今では日本を代表する守備的なポジションの選手となった板倉だが、当時はFWなど攻撃的なポジションを担っていた(その面影はプロになった今でも、守備的なポジションの選手とは思えないような攻め上がりやシュートからうかがい知ることができる)。

文集に記された板倉少年の“喜びの声”

夏合宿が終わったあと、クラブが記念に発行する文集に板倉はこうつづっている。

「ぼくのゴールを見てくれていた6年生の人たちから、『まだ小2なのに、2ゴールを決めるなんてすごいな!』とほめてもらえて、とてもうれしかったです! これからもたくさん練習して、もっと点をとれるようになりたいです」

この板倉の感想は、夏合宿の「縦割り試合」を企画したクラブの狙い通りのものだった。

「縦割り試合」を行う理由のひとつは上下の学年との交流を生むという教育的な側面もあるが、競技面での狙いとしては、さまざまな刺激を受けさせて選手の心を刺激するところにある。上級生とともにプレーし、年齢差によって生まれる壁に直面することで悔しさを覚え、それを日々の練習のモチベーションにしてもらうこともそうだ。

逆に、「上級生に混ざってゴールなどの結果を残したり、活躍を認めてもらったりすることで、サッカーをするやりがいや楽しさを覚えて成長の原動力にしてもらいたい」と澤田代表たちは考えている。

だから、さぎぬまSCが大事にしているこのような取り組みについて、今では日本代表だけではなく、ドイツのブンデスリーガを代表するDFになった板倉がお墨付きを与えてくれたことには大きな意味がある。

FW経験が活きたドイツ戦の“決勝点アシスト”

9月に左ひざをケガしてから、板倉が初めて90分にわたって試合でプレーすることになったのがW杯の大事な初戦・ドイツ戦だった。

ケガから復帰したばかりで不安がないはずもない板倉だったが、あの試合でも彼は「与える男」だった。前半33分に相手に先制を許したあとも、キャプテンの吉田麻也とともにチームメイトに落ち着くよう呼びかけ、両手を叩いて鼓舞していた。

「ドイツ相手だったので、1点とられてしまうことはありえます。(試合前には)そういう状況も想定していたので。だから、『一喜一憂している場合じゃない、ここで落ち込んだら一気にやられてしまう相手だ』と伝えたんです」

こともなげに板倉は振り返るが、若い選手にもベテランの選手にも、ナチュラルにコミュニケーションをとれる彼の振る舞いはチームに安心感を与えた。そして83分には、大会前にともにリハビリに励んでいた浅野琢磨に最高のパスを送り、決勝ゴールをアシストしたのだ。

「あれは琢磨がすごかったです」と板倉は謙遜するが、「自分がボールを持ったときに前線の選手の動きを見てあげられれば、彼らも動き出しやすいはず」と普段から語っているとおり、前線の選手の気持ちがわかるのも板倉のよさだ。

あのアシストの場面では、板倉がさぎぬまSC時代に前線の選手として活躍した経験が活きたのだった。


取材・文/ミムラユウスケ 写真/Getty Images

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