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あの頃、大黒摩季は6人いた!? 1年364日スタジオに入り続けて駆けぬけた不屈の30年

集英社オンライン / 2022年12月14日 11時1分

デビュー30周年を迎え、60本以上にわたる全国ツアーを敢行中の大黒摩季。12月14日には30周年記念アルバム『BACK BEATs #30th Anniversary -SPARKLE-』をリリース。90年代、ミリオンヒットを連発しつつもメディアに顔を出さず、謎めいた存在だったため「大黒摩季は6人いる」とまで言われていた。本人に話を訊いてみた。

歌うことがずっと義務だった。
今、生まれて初めて歌が楽しい

――今回のアルバムは、新曲を収めたニューソング盤あり、リマスタリングのベスト盤あり、さらにヒット曲のリミックス盤ありの3枚組という力作ですが、完成した今の率直な思いはいかがですか?



全部出し切っちゃって、ミイラみたいになってます。こんなに自分を使い果たしたことないかもしれない(笑)。今回のアルバムはセルフプロデュースで、作る前から最後のマスタリングまで、みんなが嫌がるぐらいこだわって作ったので。

古巣のビーイングに戻ったら、90年代を共にした野武士のような精鋭のクリエイティブスタッフたちがまだ残っていて、彼らにはそんな私に逃げずについてきてくれる持久力がありますからね。そういう意味でも、音の切れ際まで全部、神経使って作り上げました。私、このアルバムを最後に、歌い手としては隠居するつもりだったんですよ。

――そうなんですか! それはいつ頃から思い始めていたんですか?

2022年6月1日の30周年ツアー初日に初めて、自分の限界が見えちゃって、すごいショックだったんです。ホームの北海道で迎えた、人生で1番いいツアー初日だったんですよ。病気から復帰して、体の中で滞っていたものがどんどんつながって、今、最高レンジの成長期ぶっちぎりのところにいるんですけど、天井はきっとここなんだっていうのが見えちゃって。

今まで、常に前に進むことが自分の生き様だったから。その1週間前に、去年亡くなった母の納骨をしたり、『Sing』を母校で録ったりして、人生を振り返っちゃったからっていうのもあって、いいライブだったのに、次の日すごい落ち込んだんです。

明日死んでしまう覚悟で歌っている

――これ以上、前に進めないと思えるところまで行ってしまったんですね。

1個超越したかもしれないみたいなところまで行けて嬉しかったのと同時に、これが折り返しだな、40周年まではこれはもう無理なのかなって思った瞬間に、ガーっと落ちたんですよね。

でも、次のライブまでの間に、札幌の実家近くの森の中にあるご飯屋さんに友達と行って、星を見ながら過ごしたりしていたとき、それからは吹っ切れちゃったの。限界が見えたのなら、ベタ付きで天井にタッチして、ここが本当に限界ですねっていうところまで行ってみようと思ったんです。そこからのツアーは全部、毎本、毎本、全力ですね。

――全60本以上にわたる全国ツアーですが、スタート時点でこの本数は決まっていたんですか?

最初は全47都道府県をまわろうということで、47本だったんです。20本終わった時点で、「折り返しだね」って言ってたら、「まだです」って言われて「えー!?」って。5月27日がデビュー記念日だから、2023年5月27日までできるだけやりたいって言ってスタッフに任せていたら、ここまで増えて(笑)。療養から復帰した2017年のツアーも、気付いたら85本になっていたんです。

スタッフが「また記録更新しますか?」って言うから、「記録はもう出したからいい!」って(笑)。
自分の中では1本1本、明日ぽっくり逝っちゃうかもしれないっていうつもりでやってます。そうは言っても、若い頃みたいに、翌日調子が戻らない時もあるじゃないですか。でもそれはそれなりに、体の中に歌うための新しい回路が生み出されたりして。だから今、生まれて初めて、歌うのが楽しいんです。今までずっと義務だったから。

「一度死んだ気で生きてると楽しいよ」

――え! 今までは楽しくなかったんですか?

相対的に楽しい部分はあるんですけど、お客さんやメンバーやスタッフの中心にいるのはやっぱりボーカリストで、みんなの期待に応える義務があるから、ツアーの終わりが見えてやっと力が抜けてくる感じですよね。大黒摩季はみんなで作るもので、もはや大黒摩季の私物じゃないから、私は強くあらねばならなくて。

ところが、独立して20年が経って大黒組のみんなのクオリティが上がって、やっと私も全部に気を配らなくてよくなったんです。いっつも言ってたの。ライブで早く歌い手だけやらせてよ!って(笑)。

今回のツアーではそれができるようになって、「今日はコンディションがいいからファルセットをここまでつり上げてみよう!」とか、日々、挑戦して新しいものが生まれてるから、絶好調ですね。病気で休む前もそうだったけど、マイクを置く前が一番、楽しいです。やめようと思った時に、愛しくなるんですよね。

――これが最後だと思ったら、大切になるわけですね。

よくMCでも自分のことを「死に損ないのゾンビ」って言うんですけど(笑)。

ムキになって死ぬ気で生きなくても平気よ、死んだ気で生きてると楽しいよってみんなに言っていて。たとえば、コロナ禍で商売がうまくいかなくなったとしたら、一回、終わった気になって始めればいいんだよって言えちゃうぐらい。そういうところに達して、このツアーが終わってアルバムを出したら歌い手としては隠居するぐらいの気持ちで作ったから、こんな盛りだくさんなアルバムになっちゃったっていうことです。

だから歌い手として歌も最高峰を狙ったし、作家としても、大黒摩季に歌わせるんだったらここまでやらせようっていう曲にもなりましたし。

――アルバムを作り上げた今も、隠居する気持ちは変わらないですか?

いやいや、今は、限界にベタっと手が付くまで、全部使い切るつもりです。ツアーもアルバム制作も、明日はないつもりでやってますね。

――作り手としての大黒摩季と歌い手の大黒摩季というのは、デビュー以来ずっと別に存在し続けているわけですか?

そうですね。歌い手の立場が1番弱いんです。だから、いつもシワ寄せが歌い手にくるんです(笑)。実際問題、昔、謎の存在だと言われた頃のとおり、大黒摩季は何人もいますね。歌い手、コーラス、舞台チームの一員でもあって、事務所も自分の事務所だし、今はセルフプロデュースもしてるから。

その中で、1番強いのは作家ですよね。あと、向いてると思います。私は歌い手気質では全然ないです。歌い手ってある意味、エゴイズムがないとダメだし。そもそも私は、作り手である前に大の音楽ファン。自分でやるより、聴いているほうが幸せなんだから。

「離婚もして親が死んで本当につらいのに、
なんでポジティブにならなきゃいけないの?」

――摩季さんの歌はリスナーを元気づける曲が多いですけど、そうすると、歌い手としての摩季さんは、そういう歌を歌うのがしんどいなとか、苦痛になったりすることもあるんですか?

いっぱいありますよ。病んでるボーカリストの大黒摩季がお願いして、作家の大黒摩季に作らせた曲もあります。「ご期待に応えるアゲアゲ」とか「ポジティブの隙間にひとりぼっち」とか、闇の底から叫んだ曲もあって。「離婚もして親が死んで本当につらいのに、なんでポジティブにならなきゃいけないの?」って歌い手が言うと、「そうだよね、その思いを叫んでみよう」って、『SPARKLE』で「使われてばかりの人生なんてごめんだわ」って歌わせたりして。

――本アルバムに収録の『Sing』はまさに、摩季さんの歌い手としての苦悩を歌っていますよね。

私は歌うためだけに生まれてきたんですか? 女として幸せにしてもらえないんですか?って叫びながら歌うなんて、昔のビーイングだったら、いつか出そうねって言われてお蔵入りになってる曲ですよね(笑)。
この歌は特に、LGBTQの方だったり、諦めざるを得ないものを持って生きてきた人にすごく響いてるみたいです。去年11月に東京で介護していた母が亡くなって、今年の正月を迎えて。離婚もしたし、尽くす人がいない正月って、正月じゃないんですよ(笑)。

何もいらないし何も作る気もなく、本当に虚無で、すごく落ち込んじゃって。その正月の3日に、私をオーディションで発掘してくれた初代のチーフマネージャーから電話がかかってきて。「摩季さ、アルバムのリード曲、先に作った方がいいと思うんだよね」って。

こんな時に仕事の話かよ!って思いましたけど(笑)。

「病気で休んだりしたけど、なぜ30年間歌い続けているのか、ファンの人たちも俺も知りたいんだよね」って言われたんですね。私は50歳を過ぎたとき、それまでは期待に応える人生だったから、義務とか責任から解放されて自分のために生きてみようって奮起して。わりとわがままに生きてきたつもりだったんですけど、そう言われた瞬間に、ダム決壊みたいに言葉とメロディーが出て来ちゃって。

涙もぶわーって出て、嗚咽しながら、弾き語りでできたのが『Sing』だったんです。

90年代の楽曲もほとんど実話から生まれた

【『Sing』の歌詞一部】(作詞:大黒摩季)

もしも神様がいるなら
どうして私だけの 大切なものを奪うの?
何をしたっていうの?
この体もこの心も 選ばせてくれもしないで
運命や性を背負って 生きていけというの?

――苦しくても歌い続ける理由に向き合って、できた曲だったんですね。

私、いつも「なんで私ばっかり」って思っていたんですよね。でも、出てきた歌にその答えがあって。結局、自分で選んだんじゃんって(笑)。うだつが上がらないバックコーラス時代、カッコ悪くて、実家にも帰れない20歳の誕生日の時、浅草寺に行ってね、「神様、私に、人間が感じるすべての感情をください」ってお願いしたんです。そのせいなんですよ、きっと。

――そこからすべてが始まったんですね!

自分で選んじゃったんです、20歳の時に。あの時、「私を幸せにしてください」ってお願いしておけばよかった(笑)。

ママが亡くなって1週間も経たないときに、宮崎でのイベントがあって。絶対、大黒摩季になれないって思ってたんですよね。ちっともポジティブじゃないし、ヒールすら履きたくない。「こんなボロボロでも、引きずり出されて歌わされるの? なんなのこの運命は?」って思ったんですけど、ステージが終わってみたら、笑ってましたからね。

結果的には、大黒摩季は、お客さんに喜んでもらえるなら、架空の人物でもいいんだって思いました。音が鳴れば歌うしかないし、始まったら、走るしかない。あの瞬間、お客さんに救われたなと思いました。


――ただ、お客さんの方も、大黒さんの歌にずっと救われていますよね。

私、お客さんのことをファンだとは思っていないんですね。支え合い、盛り立て合いながら生きてきた親戚みたいな感覚。だからライブでも距離が近いです。皆さんも、痛みや苦しみから救ってもらってる感じではないと思うんです。

共感して、気づいたら立ち上がってるみたいなことを、ありがとうと言ってくれてるんだと思う。私は本当にカリスマに向いてなくて、手をつないで一緒に行きましょうっていうほうが合っていて。

昔からそうです。『夏が来る』も、『別れましょう私から消えましょうあなたから』も実話だし、『あなただけ見つめてる』は、ああいうふうになったお友達を救いたくて書いたけど、『ら・ら・ら』も日記です。一番扱いにくい、その時の私を救うために私に向かって言ってることだから。それをみんなが「私もおんなじ!」って感じてくれてるんですよね。

「やっと掴んだ毎日だから、365日でもやらしてください」

――90年代は、そういう日記のようなみんなに近い曲を歌いつつも、どんどんカリスマ化していったわけじゃないですか。当時、そういう状況はどうご覧になっていたんですか?

外に出なかったから、知らなかったんです。だって、考えてみてください。ひとりで全部やってたら外に出られないでしょ? 3か月に1枚のペースで曲を作って、歌を録って、コーラスを録ってる間に、次の発注が来て……私、365日中364日スタジオを3年間続けた記録があります。だから、ぜんっぜん、世間の状況を知らなかった。テレビと通帳、まったく見てなかったから。

――(笑)。

そんな暇、ないんだもん。スタジオでばたっと倒れて仮眠するぐらいで。でも私は、会社がどうしてもって手を伸ばして買ってくれた人ではなくて、バックコーラス上がりの叩き上げだから。いつこの日々を奪われるかわからないって、必死でしたね。

それに、音楽漬けの毎日が幸せなの。

音楽をやりたいのに、スーパーの品出しとか夜中の交通整理とか、やりたくないことをやってやっと掴んだ毎日だから、365日でもやらしてくださいっていう。ハングリー精神じゃなくて、ハングリーだったの、本当に(笑)。そんな日々がずっと続いて、気が付いたら90年代を爆走してたんです。

――当時、「大黒摩季3人説」もあるぐらいのミステリアスな存在になっていましたね。

最後、6人まで増えましたからね(笑)。当時、北海道のノースウェーブのラジオ番組はやっていたんですけど、制作していて時間がないから、メディアに出なくて。写真を撮られるのも不得意だから、写真もほぼ、横顔とかシルエットになっちゃったんですよ。ビデオだって、車を運転してる横を並走して撮るだけとかね。

そういうこともあって、偶像化されて「本当はいないんじゃないか」とも言われました(笑)。

取材・文/川辺美希

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