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病気で引退を覚悟したときに吉川晃司に救われた一言「お前はさびない女だから大丈夫だよ」―大黒摩季の歌が色あせない理由

集英社オンライン / 2022年12月14日 11時1分

1992年のデビューから30周年を迎え、オリジナルアルバム+リマスタリングベスト集、リミックス盤までを収めた3枚組記念アルバム『BACK BEATs #30th Anniversary -SPARKLE-』をリリースした大黒摩季。2023年5月までの30周年ツアーを敢行中の彼女に、苦しくても歌い続ける理由を聞いた前編に続き、後編では休養に至った病気のことや、あの名曲の誕生エピソードを訊いた。

大黒摩季は昭和生まれの初音ミク!?

――90年代に、実際に世の中ですごいことになっていると実感したのはいつだったんですか?



私の子どもの頃の写真が週刊誌に出たことがあって(笑)。

「あの謎の大黒摩季の秘蔵写真!」みたいな記事で、金太郎みたいな私の子ども時代の写真が載ったんですけど、そこに掲載されていた大黒摩季の説明を読んで、「あ、今、そんな事態になってるの?」って。私は人にちやほやされるのが嫌いだし、テレビも出なくていいならそれでいいって思っていて。

でも、とうとう大黒摩季が6人にまで増えて、これは収集がつかないし、どこかできちんと出た方がいいっていうことで、97年の8月1日にレインボースクエア有明で初めてのライブを開催することにしたんです。

――当時は、あの大黒摩季がついに!っていう盛り上がりでしたよね。

そうそう。「ベールを脱ぐ!」って。「ベール着た覚え、ないけどね!」みたいな(笑)。

――(笑)。

『ミュージックステーション』にも出て、そのままアリーナツアーに入って、また潜った感じです。当時は、売れてるけど、誰も私の顔を知らないっていうのが心地良かったですね。だから、初音ミクのはしりですよ。昭和生まれの初音ミク(笑)。

当時は、自分でもこんなアメリカンドリームみたいな面白いこと、起こるんだって思ってました。1枚目の『STOP MOTION』は、「北海道の親戚が買ったんですか?」っていうぐらいしか売れなくて、またバックコーラスに戻されて。

ある日、ビーイング(所属レコード会社)のビルで、お世話になったCMプロデューサーの方に会って「明日、プレゼンがあるのに全然、曲がないんだよ。お前、書けるか?」って言われて、恩返しのつもりで、その日徹夜で作って出したのが、『DA・KA・RA』だったんです。1万枚いくかいかないかみたいなところから、100万枚売れて。作家でよかったーって思いました。

以来、「落とし物には福がある」って、私の座右の銘です(笑)。

6年の病気療養を経て、歌手として復帰

――ライブも控えたまさにピークの頃に病気が発覚したそうですね。何か兆候はあったんですか?

10代の頃は、ホイットニー・ヒューストンも歌えるし、マライア・キャリーのキーが高い曲も歌えるし、何を歌ってもかっこいいなっていう時期だったんですね。それで東京に出て来て、20代に入ってからどんどん歌がへたってくるようになって。なんだろう、なんだろうって言ってたら、病気だったんです。生理は重いし排卵痛もひどい、生理になる前の感覚の重さもすごくて、1か月の間で普通の日が1週間もない感じ。常にどこか不調だっていうのが始まりでしたね。

いよいよ病気がやばいってわかったのが、97年、お台場で4万7000人のステージに出る半年前だったんです。卵巣嚢腫、子宮腺筋症、子宮内膜症、子宮筋腫があって、ピークで悪かったのが2010年末。先生に、このまま腹腔内の炎症を何度も繰り返してたら死んじゃうかもしれないって言われて、当時の夫が、「それはダメだ」って。「治ったらまた戻ればいいんだから」って説教されて、2010年11月から完全に休みました。

――6年の病気療養を経て、歌手として復帰したきっかけは何だったんですか?

2回目の手術で子宮全摘をしたんですけど、体の中はつながってるから、声を出そうにも力が入らなくて。歌い手としては引退だなって覚悟をしてました。でもそんな時に吉川(晃司)さんが、レコーディングスタジオに呼んでくれたんですよ。全然歌ってないから無理だって言ったら、「お前はさびない女だから大丈夫だよ。いいから来なさい」って。

それで歌ってみたら、ちょっと鳴ったんですね。前みたいにガツンとは出ないけど、いい響きが出て、一発OKで。「自分のことは自分がいちばんわからないもんだよ。お前の魅力はお前が決めるんじゃないんだから。早く帰ってきなさいよ」って言われて。
そこからですね、歌ってもいいのかもしれないって思い始めたのは。身体面のトレーナーもポジティブな人で、ないものを元に戻すのは無理だから、あるものを活かして、長生き奏法できるボーカリストのスーパーボディを作ろうって言ってくれたんです。

お腹の空洞を支えるための腹斜筋をつけたりして、そういうところがようやく2年ぐらい前から全部、整って。2019年の『MUSIC MUSCLE TOUR』ぐらいから、自分が描いた通りに体が歌ってくれるようになったんです。ここまで体の全部を使えるのは、生まれて初めてかもしれないですね。

『SLAM DUNK』の主題歌抜擢も当時は…

――先日、『SLAM DUNK』の映画が公開されましたけど、当時のアニメの主題歌「あなただけ見つめてる」も大ヒットしましたよね。主題歌が決まったときは『SLAM DUNK』は知っていたんですか?

ブームになって女の子も観るようになったけど、当時は少年漫画って男の子のものだったし、ジャンプも読んでなかったから、知らなかったんですよね。後からアニメも観ましたけど、タイアップが決まったあたりは、毎日ひたすら曲を作っていて。

北海道から上京した友達と会ったとき、その子たちに「すごいことになってるよ」って言われて、「そうなの?」って(笑)。アニメのプロデューサーがあの曲を選んでくれて、そこから少し直しましたけど、いいコラボができたなって思ってます。

――「ら・ら・ら」は、ドラマ『味いちもんめ』の主題歌でしたが、これは書き下ろしですか?

ドラマの台本を見せていただいて、書き下ろしました。人情ものだから、それに合った曲にしたくて。それに当時、時代の最先端みたいなものには限りがあるって感じていて。デジロックも頭打ちだなと思っていたし、「これからどこに行くんだ、大黒摩季」って思ってた時に、やっぱりバンドに立ち返りたいなと思ったんですよね。

当時、私が生まれた頃のウッドストック(フェスティバル)のビデオを観ていたこともあって、3コードや4コードでみんながセッションできるようなシンプルでいい曲っていう、一番崇高なところに挑戦したくなったんです。それができたら、ここでもし私が終わっても、スタンダードになれるんじゃないかなと思ったんですね。

ユーミンがあるテレビ番組で、「『ふるさと』の作曲家を知らないでしょう? 私もそういう作り手の名もなき名曲を書きたい」っておっしゃっていて、超生意気ですけど私、「アグリー!」って叫んじゃって。100年後に残る曲を作りたい、その思いをぶつけて作ったのが『ら・ら・ら』です。あのあたりが、私の意思の目覚めでしたね。当時は、B’zもTUBEもZARDもWANDSもみんなロックで、私自身はロックファンだけど、ロッカーではないっていう気持ちもあって。

――ロッカーだと名乗ったことはないわけですよね。

口が裂けても言わないです(笑)。性格がキャッチーだし、私は音楽、全部が好きなんですよね。あれから安室(奈美恵)ちゃんやあゆ(浜崎あゆみ)とか、女性アーティストがたくさん台頭してきて、それぞれの文化があったけど、大黒摩季はそれとも違って。

レコード店ではロックに分類されたりするけど、私は何者なんだろうって。アーティストというほどアーティスティックにものを考えていなかったから、アーティストと呼ばれるのも違和感があったし……自分を救うためにすごいパーソナルに音楽を作っていたし、私の今日を変えるだけでもいっぱいいっぱいなのに、世の中なんか見てられませんよ!っていうのが大黒摩季だから(笑)。

ジャンル分けされることとか、90年代のバブルで勢い付いた虚構の世界に対する違和感がたくさん生まれてきて、そういうときに作ったのが、『ら・ら・ら』だったんです。

ツアーが終わったら「まず消えたいですね(笑)。世の中から」

――パーソナルに音楽を作る自分と、受け手にとっての大黒摩季のあり方に向き合ってきたんですね。

この30周年アルバムのジャケット写真も、その発想で作ったんです。スパンコールのドレスのほうは、暗い世の中にひとり光を放つゴールドミューズ。黒いドレスのほうは、世の中が明るい時に心に闇を抱えてる人を抱き留めるブラックミューズ。

常に「四の五の言わずについてきな!」って引っ張ってくれる存在と、私のようにぶきっちょで、取り残されがちな人たちを抱きしめてくれる存在、どちらも描きたいなと思ったんです。このふたりは最終的に私が目指す人ですね。私の中に、夜明けに地球の裏側まで沈むじゃないかってぐらい落ち込む暗くて怖がりなA子と、クリエイターのB子がいるんです。落ち込んでいるときに書いた曲には、A子が出てるんですよ。

でも、レコーディングで冷静に聞くと、暗すぎる(笑)。そうしたらB子が出てきて、「こっちですよ」っていう一行を入れるんですよね。その言葉がたとえば、『夏が来る』なんです。あの歌の主人公は、周りにも呆れられちゃって、それでも私は本当の愛を見つけるの!とか言っている痛い女で。だけど「春が来る」じゃなくて「夏が来る」って言った瞬間に、それが怨念じゃなくて、キラっとした、ちょっと格好のいいものに見える。

『別れましょう私から消えましょうあなたから』だって、奪われて家政婦のように扱われてつらいところに最後、B子が「マイナスだらけの未来はいらない」と入れる。だから前向きに別れるんでしょう?って。私、ひとりになりたくて電源全部オフって、誰にも連絡しない日とかあるんですよ(笑)。ほんとに、よくぞ私みたいなタイプが30年もやれたもんだなって、俯瞰してる自分がいます。


――ツアーは2023年春まで続きますが、このツアーが終わったら次にやりたいことはありますか?

まず消えたいですね(笑)。世の中から。

――え! 消えないでほしいです(笑)。

今、ツアーもしてアルバムも出して、テレビにも出て、大バーゲンですから(笑)。もう皆さん、私のこと知りたくなくなっちゃいますよ! 今、書きたいものがいっぱいあって。病気療養や介護の経験を活かして、皆さんが得する情報を提供してあげたいんです。それを書くために2ヵ月くらい海外に行きたいですけど、周りからもう次のツアーを期待されているし、どうなるかわからないですね(笑)。

取材・文/川辺美希

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