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今から20年前“労働者の街”に突如、イタリア街が出現。川崎はいかにして“カルチャーの街”になったのか

集英社オンライン / 2022年12月24日 15時1分

川崎臨海工場地帯を擁し、かつては“労働者の街”と言われた川崎。JR川崎駅前にあるシネコン「チネチッタ」やライブホール「クラブチッタ」を運営するエンタテインメント企業「チッタグループ」は、エンタメで地域を牽引し、川崎をカルチャーの街へと変えた。2022年に創業100周年を迎えた、その軌跡を追う。

圧倒的に街から浮いていたイタリア街

JR川崎駅東口にはかつて、プロ野球・大洋ホエールズ(横浜DeNAベイスターズ)やロッテの本拠地である川崎球場(現・富士通スタジアム川崎)があった。フジテレビ系「プロ野球・珍プレー好プレー大賞」で視聴者をよくざわつかせていたのは、川崎球場の観客席を捉えた映像だった。

昭和の空気漂う年季の入った球場の観客席に陣取っていたのは、自宅で観戦しているかのごとく、自由気ままに振る舞っていたり、ウィットに富みすぎた野次を響かせている香ばしい大人たち。筆者は子どもながらに、このエリアに足を踏み入れるには相当な勇気が必要だと思ったものだ。



そこに1988年、日本初の大型シネコン「チネチッタ」、1987年にオールスタンディングのライブホール「クラブチッタ」がオープンした。

特に後者は久保田利伸のこけら落とし公演にはじまり、THE BLUE HEARTS、オアシス、レディオヘッドら国内外のトップアーティストがステージに立った。1997年にはまだ日本では馴染みがなかったハロウィン・イベントもはじまり、欧米の最先端のカルチャーに触れられる若者の憧れの地となった。

そして2002年、同地に突然出現したのがイタリア・トスカーナのサン・ジミニャーノをモデルにした商業施設「ラ チッタデッラ」である。
のちに愛知・名古屋イタリア街や東京・汐留イタリア街など、外国の都市を模した街は各地に誕生したが、当時は斬新で、しかも「あの川崎に!?」という驚きが先に立った。
運営会社の株式会社 チッタ エンタテイメントの広報宣伝室長・土岐一利さんが振り返る。

「ラ チッタデッラができた当初は、圧倒的に街から浮いた存在でした。カルチャーをアメリカで学んで日本に持ってきた今の会長(美須孝子さん)は、川崎がダサいとか言われるのが悔しくて、街を変えたいという気持ちが強かったのだと思います。ラ チッタデッラは“1mmも妥協しないで作ろう”という思いでした」(土岐さん)。

チッタとイタリアとの深い関係

日暮里にあった第一金美館

改めて同グループの歴史を紐解くと、先見の明と“やるからにはとことん”の精神が垣間見える。原点は1922年2
月11日(諸説あり)に東京・日暮里にオープンした映画館「第一金美館」。

その後、映画館事業を拡大し、1937年に湿地帯だった国鉄川崎駅前の土地を購入して川崎に進出。最盛期には東京と神奈川で27館を経営し、映写技師養成のための「日本映写技術学校」も日本で初めて設立させた。日本映画史に果たした役割は大きい。

1959年の川崎の映画街のにぎわい

しかし第二次世界大戦でほぼ全てを焼失。戦後は、映画街を中心とした川崎の街づくりに集中することになる。

その基盤を作った創業者、美須鑛(みす・こう)さんの孫に当たるのが孝子さんだ。1980年代に2代目社長の母、君江さんから事業を引き継いだとき、孝子さんはイタリアのファッション・ブランドFENDIの日本PR代表であり、夫はイタリア人外交官で、イタリアと非常に縁が深かった。
その人脈と文化を、事業に投影していくことになる。それがイタリア・ローマの老舗撮影所と同じ名を持つ映画館チネチッタであり、ラ チッタデッラだ。

チネチッタ開館のポスターは、イタリアの巨匠フェデリコ・フェリーニ直筆のイラストがデザインされ、こけら落としとして『インテルビスタ』(1987)が上映された。
また、ラ チッタデッラのデザイン・プロデュースを、「キャナルシティ博多」や「六本木ヒルズ」を手がけた建築家ジョン・ジャーディーに託した。
オープン時には歌手・福山雅治が写真家として参加し、ラ チッタデッラのデザインモチーフとなった、古くからのイタリアの街並みを捉えた写真展を開催した。

「モデルにしたサン・ジミニャーノは塔がいくつもあることで有名ですが、それを模したのがガラスのタワー。さらに丘の上に教会があるのですが、ウチもスロープを登っていくと頂上に教会があります」(土岐さん)。

“川崎にあるイタリア”は映像作品のロケ地としても有名で、松本潤&石原さとみ主演のドラマ『失恋ショコラティエ』や、広瀬すずと牧瀬里穂の共演が話題を呼んだ山下達郎「クリスマス・イブ」30周年記念エディションのプロモーション映像も撮影されている。

尖った施設が、街に馴染むまでの20年

そのラ チッタデッラのオープンから20年。JR川崎駅西口には109シネマズ川崎の入るショッピングモール・ラゾーナ川崎が、京急川崎駅前にはTOHOシネマズ川崎もあり、東京の新宿や銀座に匹敵する一大映画館街となった。

チネチッタは、クラブチッタのスタッフが音響監修した「LIVE ZOUND」が実写映画のみならず多くのアニメ作品で好評で、“アニメ映画の聖地”と称される。チネチッタのスタッフで構成される「手芸部」が手がけた、こだわりすぎるキャラクター衣装の展示も話題となっている。

「たかが20年ですが、時代も変わり、“尖っている”と言われたラ チッタデッラも街に馴染み始めているように思います。テナントも当初は“神奈川初出店”が多く、遠方からたくさんのお客さんが来てくださいましたが、実際にリピートして訪れてくれるのは半径5kmの住民のみなさん。これからも尖った部分は残しつつ、地域に合った施設であり続けたいと思います」(土岐さん)。

川崎は工場夜景が観光名所であるとともに、プロバスケットボールチームの川崎ブレイブサンダースや、日本代表選手を多数輩出しているサッカー・川崎フロンターレのホームタウンとして街のブランド力も上昇中。

さらに市が進める都市開発プロジェクト「キングスカイフロント」は、国際的先端研究開発の拠点となっている。

「川崎には都心にも、横浜にもない魅力があり、川崎ならではの観光資源も豊富です。これからも我々が川崎のエンタメ界を牽引して行けたら」(土岐さん)。

今、ラ チッタデッラのガラスのタワーには次の文字が書かれている。

「チッタ、たった、100年」

何をやらかしてくれるのか……。これからも目が離せそうにない。


文/中山治美

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