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能代工が9冠→無冠に転落。“田臥のひとつ下の世代”でチーム崩壊の危機。当時のキャプテンは監督に反抗、ロッカーを殴って…

集英社オンライン / 2022年12月24日 11時31分

今からおよそ四半世紀前の1996〜98年。秋田・能代工業高等学校は高校バスケットボールの全国タイトルを総なめにし、史上初の「9冠」を成し遂げた。漫画『スラムダンク』山王工業のモデルともいわれる同校は、なぜ最強たり得たのか。田臥勇太ら当事者の証言をもとに、その軌跡に迫る短期連載。第9回は「9冠後の無冠/99年」編をお届けする。

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「9冠」後、新チームの苦悩

能代工の優勝トロフィーが飾られている体育館入口(現・能代科学技術)

あの“事件”を思い出すたびに、温厚な田臥勇太が少しだけ表情に陰りを見せる。

「なんか、大変だったみたいですよね。悔しかったし、残念だなって思ったし。『できることなら一緒に戦ってあげたかったな』と感じることもあるくらいで。辛い思いをさせちゃったのは申し訳なかったな、と」



田臥の世代は、高校に入学した1996年からインターハイ、国体、ウインターカップの高校バスケットボール3大大会で3年連続優勝。前人未到の「9冠」の偉業を成し遂げた、常勝・能代工の象徴でもあった。

監督の加藤三彦が、「次の年、また次の年とプレッシャーがかかるなか、勝ち続けてきた彼らはすごい」と最大限の賛辞を贈るのも頷けるが、裏を返せば、それだけ下の世代への負荷が増すことにもなる。

堀里也が3年生の99年がそうだった。

9冠を達成した前年のウインターカップ直後から、否応なしに「12冠」への期待を寄せられる。

そんな声を向けられるたびに、新キャプテンとなった堀は「自分たちができることをやるだけです」と、機械的に答えるのみだった。

「プレッシャーがそうさせていたのかと言ったら、そうではなくて。入学してから勝ち続けているから、感覚が麻痺していたんでしょうね。勝てるもんだと思ってましたから」

「王者」といわれて…近づくインターハイ

新チームが始動すると、加藤は必ず「お前たちはまだ、何も成し遂げていない」と、それまでの実績が先輩たちの功績によるものだと訴える。そこで彼らは謙虚になり、自分たちのチームを作り上げていくのだが、堀たちの世代にはそれがなかった。「勝てる」という自信に、根拠を持たせられなかったのだ。

2学年上は畑山陽一と小嶋信哉、1学年上では田臥と菊地勇樹、若月徹が1年生からスタメンとして経験を積んできたが、堀たちのチームにはそのような選手がいなかった。

2年生までガードは堀と扇田正博、フォワードでは村山範行が出場することが多かったが、ミスをすれば交代させられる場面が目立ち、不動のプレーヤーとは言えなかった。

チームは未成熟。ただ、先輩たちが残した財産によって「王者」と祭り上げられる。招待試合などの行事が増え、満足な準備ができないまま、夏のインターハイの足音だけが近づく。

「帰れ!」監督とキャプテンの衝突

堀はかなり苛立っていた。

7月恒例のOB戦で、それまでと同じように加藤の怒声が飛ぶ。

「帰れ! 新潟に!!」

怒りが向けられた堀は、加藤に好戦的な目を向け、心のなかで悪態をついていた。

「OB戦前に3週間くらい、先生は高校日本代表の活動かなんかで練習に来てなくて。だから『いなかったくせに、なんだよ!』って」

不貞腐れていると、加藤からまた「帰れ!」とタオルを投げつけられた。堀も負けずに「タオルです」と平静を装って渡す。不毛な応戦のなか、マネージャーの国塚清希に「もうやめろ!」と制止され、体育館の外に連れ出された途端、堀の沸点が最高潮に達した。

「俺らは先生がいなかった間、国塚たちと準備してきたのによぉ!」

大声を張り上げながら堀はロッカーに怒りの矛先を向け、変形するほど殴り続けた。

大人になった堀が、苦笑しながら自戒する。

「まあ、幼かったですね。実際は準備ができてない焦りがあったんだと思います。他の3年生も『経験がない』ってわかっていたから、自分たちのことで精一杯で。そこをみんなで打開しようって雰囲気もなかったですしね」

現在の堀里也さん

勝ち上がれない現実。「12冠」が消えた

8月の岩手インターハイで、能代工の綻びが顕在化した。

瓊浦(けいほ)との3回戦で堀は右足首を捻挫し、満足にプレーができなくなった。自身の地元で、中学時代から知るメンバーが名を連ねる新潟商との準々決勝では右足の自由が利かずに交代し、チームは79-86で敗れた。

敗北の瞬間は、頭が真っ白になった。堀が「敗けた」という事実を自覚したのは、帰りの新幹線で<高校総体バスケットボール 能代工準々決勝で敗退。7連覇ならず>というニュースのテロップが目に入った時だった。

「なんのために秋田まで来たんだろう」

虚無感が支配していた。

堀は小学生時代、能代工で6度目の3冠を達成した91年の中心選手、小納真樹と真良の双子のプレー映像を何度も観るほど憧れていた。

鳥屋野中で全国優勝を果たし、地元の優れた選手が新潟商へ進むなか、堀は「能代工に行きたい」という目標を叶え、中学からチームメートの村山とともに秋田に渡った。それだけに、現実を受け入れられなかった。

堀たちは、負けるべくして負けた。

その大きな原因のひとつに、後輩たちが育っていなかったことが挙げられる。1年から不動のメンバーで勝ってきた田臥たちの世代は、畑山と小嶋が抜けた最終学年時に危機感を募らせ、下級生との連携を深めようと努めた。

堀たちには、そういった思考はなかった。

「全然、頭になかったです。僕ら3年生が三彦先生に怒られてばっかりだったから、そんな考えに至らず。その差ですよね、負けたのは」

「弱いチーム」に厳しいバスケの街・能代

能代という街は敗者に厳しい。

監督の加藤が能代工2年時の国体で準優勝したときも、地元の菓子店で「弱いお前らに食わせるものはない」と追い出された。加藤の世代が3年生となり、屈辱をバネに3冠を達成すると、その店から食べきれないほどの差し入れが届いたという逸話があるが、残念なことに堀たちは敗戦を糧にできなかった。

インターハイ後、堀たちが地元のショッピングセンターへ行くと、見ず知らずの年配の女性から「練習はどうしたの。負けたのに」と言われた。「わりぃっす、わりぃっす」と、頭を下げてその場を立ち去るしかなかった。

「あれは強烈なエピソードでしたね。『負けるとこうなるのか』とショックでした」

能代市のガソリンスタンド内の看板

バスケットボールが描かれた能代市のマンホール

落胆は尾を引いた。選抜メンバーで臨む多くの県と異なり、能代工単独チームで臨んだ10月の熊本国体でも、準決勝で千葉に87-95で敗退。

大会後の加藤との個人面談で、「選抜(ウインターカップ)までやるのか? 引退したほうがいいんじゃない?」と尻を叩かれたが、堀は気持ちを奮い立たせるどころか、また反抗的な態度をとる始末だった。

9冠後の99年世代…「7年ぶりの無冠」

無冠が現実味を帯びてくる。

最後のタイトルとなる12月のウインターカップ前になると、プレッシャーで耐えられなくなった。背水の陣となったこの大会でメンバーに体調不良者が続出し、堀も仙台との準々決勝前夜に感染性胃腸炎を発症した。

すぐに嘔吐してしまうため水分補給もままならない。加えて、インターハイで痛めた右足首も、無理にプレーを続けたことで悪化し、パフォーマンスはどん底だった。チームも東北のライバル相手に73-108。惨敗だった。

7年ぶりの屈辱を、堀はこう甘受する。

「みんなに『次こそは!』って気持ちがあってチームの雰囲気は悪くなかったんです。それでも勝てなかったのは、プレッシャーと、それまでの負けを受け入れられなかった僕らのタチの悪さでしょうね」

加藤の本懐「勝たせてあげたかった」

失意のなか新幹線で帰路に就き、秋田駅に到着すると、加藤から諭すように言われた。

「お前たちはここで終わりじゃないよ。次のステージがあるんだから、東京体育館に戻って大会を見届けるべきだと思う」

堀たち主要メンバーは急遽、夜行バスに乗って東京へ戻ることとなった。

「最悪だよ……こんな仕打ちはねぇ!」

早朝。体育館の開場までファミレスで時間をつぶしていた堀たちは、盛大に愚痴った。

東京体育館に入ると、全員で観客席最上段の片隅に陣取り、素性を隠すようにベンチコートを着込んで大きな体を丸めた。自分たちが「能代工の選手だ」と、周囲にバレることへの気まずさがあったからだ。

選手たちを促した加藤の深謀はこうだった。

「『敗戦から学ぶ』じゃないけど、モチベーションに変えられると思っていたんです。自分たちと同じバスケで戦っている高校生へのリスペクトを感じてほしかったんです」

そして加藤は、まるで自分を責めるように、ボソッと呟いた。

「なかなかね、毎年勝つっていうのは難しいです。でも、勝たせてあげたかった、本当に」

現在は西武文理大教授で、男子バスケットボール部監督を務める加藤三彦さん

卒業を前に下宿の主人がかけた言葉

卒業を間近に控えた3月。堀たちはそんな加藤の親心を、少しだけ感じることができた。

下宿の主人と“最後の晩餐”をしていると、彼からこんな惜別の言葉を贈られた。

「みんな辛い思いをしたけどさ、『若い時の苦労は買ってでもしろ』って本当だよ。負けた苦労がいつか、自分にとって大切なものになるんだって信じて、卒業してくれや」

溜まりに溜まっていた負の感情が、洗い流されるようだった。

嗚咽や鼻をすする悲しい音が、場を包む。

無冠の男たちは、体を揺らし、顔を歪ませ、大粒の涙を流していた。

取材・文/田口元義

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