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「テレビで忙しいのに、漫才のネタまで作って偉い? それ、逆やん」村本大輔が語るスタンダップコメディと日本のお笑いの決定的な違い

集英社オンライン / 2022年12月30日 13時1分

テレビから消えた芸人――ウーマンラッシュアワーの村本大輔は今、何を考え、何をしているのかに迫る連続インタビュー。日本のお笑い界やテレビとは距離を置き、現在、渡米準備中の村本。言葉や文化の壁に直面しながらも、なぜ彼は挑戦を続けるのか?

アメリカに行って解消された「日本のお笑い界への違和感」

現在、アメリカでスタンダップコメディアンとして活動するための準備を進めている村本。英会話もそのひとつだが、文化も風習も違う人々を、異国の言葉で笑わせることは並大抵のことではないはずだ。



――今、英語を勉強する頻度はどのくらいですか?

ドキュメンタリー映画監督のミキ・デザキって知ってる? 彼が俺の英語の先生。彼は日本国内外の社会問題に対してすごくいろんな考えを持っていて、『主戦場』という映画を撮ったんだけど、コメディーも大好きで、俺のことも追おうとしていたんだよね。

社会問題についての知識と語学力。その二つを持ってる先生ってなかなかいないから、彼との会話の中で新たなネタが生まれたりもする。

でもさ、一時間のプライベートレッスンでギャラが7500円なんだよ。ぼったくりじゃね? それでいて俺が勉強嫌い過ぎて逃げていたら「逃げるな!」って連絡が来たりします(笑)

勉強をするのはそんなときかな。

――村本さんはすでにアメリカやイギリスでもライブをやって来ていますが、スタンダップコメディと日本のお笑いの一番大きな違いは何でしょうか?

ずっと長い間抱いていた疑問があって……。

例えば日本で人気のある若手芸人がM-1グランプリなんかに出たとき、彼らのファンの人たちが「テレビにたくさん出て忙しいのに、漫才のネタまで作ってすごい!」とか言うけれども、「本職どっちやねん」って俺は思うね。

「漫才のネタをたくさん作るのに、テレビにも出てすごい」だったらわかるけど。逆やん。

テレビで披露する漫才って、お茶の間で一体誰が笑っているのかすらわからず、笑わせているという実感が持てない。そこにずっと違和感を持っていたんだけど、アメリカに行って解消された。

ケヴィン・ハートっていうコメディアンは、ひとりで十万人もの集客が出来るんだけど、ロサンゼルスの『ザ・コメディ・ストア』という小さなクラブで、まだやってんのよ。普段から、普通に。

何故かって、コメディアンはお客さんの生の空気感を忘れてしまったらコメディアンではなくなるから。

もちろんスベって失敗するときもあるんだろうけど、生身の客を前に毎回、挑戦を繰り返しているのは圧倒的な違いだと思う。ネタを披露するからこそ、自分は「芸人」なのだということがわかっているんだよね。

福井にいたころは原発のネタなんて考えもしなかった

あと、もう一つ。俺がイェール大学で授業をしたときに、日本の文化についてすごく詳しい生徒から受けた質問が面白かった。

「あのー、“インテリ芸人”って言葉はなんですか? アメリカでは芸人は、大学に行って勉強して賢い人がやるものです。日本のバラエティー番組を観て思ったのですが、あえて“インテリ芸人”って呼ぶのは一体何故ですか?」と。

芸人というのはいろんな物事に精通していて、アメリカでは芸人のことを思想家、哲学者、アクティビストといった名称で呼ぶ人もいるくらい、社会で起こっている物事と繋がっているわけ。

本当のインテリジェンスは、ただ高学歴だとか偏差値が高いところに通っていたということではなく、リテラシーを持って自分の意見をしっかりと言えるということだと俺は思う。

日本に関しては、例えば朝の情報番組でニュース速報が入っても、そこにいる芸人はそのことについて一切触れない。いや触れるんだけど、そこに専門知識は無いんだ。

さらに専門知識を持っている人へのリスペクトも無いし、テレビ局もそれを求めていない。例えば出演者のコメンテーターが、ネット上のデマを鵜呑みにして拡散しても、最後は芸人の洒落で済ませてしまう。

結果的に今、起こっていることに対して、何も無いように振舞っていて、まさにそれが、テレビの前にいる人間の無関心さを画面に映し出しているように俺には思える。

――改めて聞きますが、日本ではなく、何故アメリカでチャレンジをしようとしたのでしょうか?

俺はよく地元の福井県の原発についてのネタをやるんだけど、それは福井にいた頃は思いつきもしなかったのよ。それについて特に何も思わなかった。

だけど、地元から出てみて気付いた。日本のことも、外から見ることによって気付くわけやん。同じ場所にずっといると、「日本人として……」とかって思うことも無い。アメリカに行ったらそういうことも考えるだろうし。

一方で、「〇〇人として」って国籍で縛るのは嫌だと思う自分もいる。でもそれをどう実感して、自分の中に落とし込んでいくのか。自分がマイノリティーな存在であるときの方が、アイデンティティーについて考えることも増えるだろうしね。そこでアメリカに行こうと考えたってわけ。

「そのネタ、アメリカでは聞き飽きとんねん!」

――村本さんの著書の中に「当たり前を疑えない人が増えている」とありますが、そう思われる一番の原因は何でしょうか?

それはやっぱり、いつも同じ景色、同じ会話、同じ物、同じ人……。ずっと同じルーティーンを続けているからだと思う。食べ物ひとつにしても、命をいただいているという実感もないでしょ。

『アンパンマン』の作者、やなせたかしさんは貧しい戦時中、目の前に食べ物(アンパンマン)が現れたらいいなーって夢があったそうなんだけど、今はもうコンビニとか、いつでも食べ物が手に入る世界が平気である。

アンパンマンが頭ちぎるときに一発「痛ッ!」とか言ってくれたら、あ、これは命なんだなって気付けると思うんやけど…(笑)

――コメディはそういう気づきを与えるツールでもある?

アメリカの芸人のネタを見ていると、ハッとすることはよくあるよ。

例えばデーオン・コールという人のネタに、「女性のニュースキャスターに白髪が生えたら弱々しく見えるからと若いキャスターに代えられるけれど、男性だと多少白髪があった方が説得力があると言われる。それって不平等じゃない?」というのがあるのよ。

そういうとき、笑ったあとで「確かに……」とハッとしたりして。真面目に考えると難しい議論でも、コメディで面白く伝えられることはあると思う。気づきというものは本来、面白いものなんやけどね。

――私も留学体験がありますけが、アメリカに行くとコメディアンとして、言語の壁とはまた違う壁に当たると思うんです。芸人として外国との文化の違いに苦しむことはありますか?

あるね。

例えばカトリックのネタをしたとき、「そのネタ、アメリカでは聞き飽きとんねん!」って言われたときに、「え……」と思った。

日本だと宗教ネタってタブーに触る感覚があって、キリスト教の大国だともっと希少かと思ったんだけど、むしろやり倒されていた。

やべ……じゃあ俺には何のネタが……って。

何もない、何もわからないのが楽しい

――日本でならウケるネタでも、海外だと面白さが伝わらないネタもありますよね。日本に住んでいる人なら誰もがわかるような単語だったり、前提になっているものが、そもそも向こうでは通じないのでは。

せやねん、せやねん。

それはアメリカのコメディアンでもそうで、ネタの中でアメリカの俳優の名前が出ても、俺にはわからなかったりする。

だけど俺がこれからやっていきたいのは、そういった固有名詞なんかを徐々に無くしていって、もっと本質的で普遍的なネタを作ること。

俺が世界で一番尊敬しているコメディアンのジョージ・カーリンにはそれが出来たから、彼のネタは彼が亡くなった後も残ってる。俺の場合はまず、言語の壁もあるから難しいけどねー……。

でもふと考えたときにさ、俺らみんなもともとは、胎児やったやん。この世に生まれるときに胎児が産道を通るのと、どっちが難しいんだろうって思うわけ。自分の手も足もわかってないやつが頑張って産道から出てきたのよ。

そう考えたらさ、なんかこう……俺には英語を教えてくれる先生もいるし、最高じゃない?

楽しい。楽しいよ。何もないのが。何もわからないことが。


文/金愛香 撮影/U-YA

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