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「テレビから消えた芸人」ウーマン村本を追いかけた映画『アイアム ア コメディアン』が突きつける日本人の”生きづらさ”の正体

集英社オンライン / 2022年12月29日 13時1分

2022年10月におこなわれた東京国際映画祭で、笑いで日本のテレビ界に立ち向うひとりの芸人のドキュメンタリーが話題になった。ウーマンラッシュアワーの村本大輔氏を追った『アイ アム ア コメディアン』だ。彼が突きつける日本人の“生きづらさ”の正体とは?

「テレビから消えた芸人」村本大輔

©︎DOCUMENTARY JAPAN INC.

笑いやユーモアは、人間が生きていくうえで必要不可欠なものの一つだろう。笑うと、「愛情ホルモン」とも呼ばれるオキシトシンや、幸福感をもたらすドーパミンといった脳内物質が分泌され、心身共に大きな健康効果が得られるという。

また、米スタンフォード大学経営大学院では、ユーモアを信頼構築に役立てとようとする講義が行われるなど、笑いはビジネスの分野にも活用されている。



米作家のマーク・トウェインは「人類が持つ非常に効果的な武器、それは笑いだ」と言ったそうだが、戦場からユーモアによって連帯を広げようとするウクライナ市民の取り組みは、多くの海外メディアに好意的に取り上げられた。

2022年10月におこなわれた東京国際映画祭でも、笑いによって日本のテレビ界に立ち向うひとりの芸人のドキュメンタリーが話題になった。ウーマンラッシュアワーの村本大輔氏を追った『アイ アム ア コメディアン』だ。

難航した制作

©︎DOCUMENTARY JAPAN INC.

2013年、「THE MANZAI」(フジテレビ)での優勝を機にブレイクした村本さんは、相方の中川パラダイスさんと共にテレビで活躍していた。ところが2018年頃から露出が減少し、やがて「テレビから消えた芸人」と称されるようになる。

2017年に200本以上あったテレビ出演は、2020年には1本と激減。理由は自身がネタを作る漫才に政治の話題を持ち込んだからだ。

在日コリアン差別、沖縄県・辺野古の基地移設、原発と、口に出せばテレビでなくても一瞬、場が凍りつきそうなネタをゴールデンタイムに披露。その結果、SNS上で批判を浴び、「炎上芸人」「反日左翼」のレッテルを貼られた。

テレビのお笑い番組に不自由さを感じ、自ら離れていった村本さんは、新たな活躍の場を求めて渡米する。

臭いものには蓋をしようとするテレビの体質

そんな村本さんを追ったのは、外国人受け入れに対する日本の不寛容さに翻弄される在日クルド人青年を描いたドキュメンタリー映画『東京クルド』で注目を浴びた日向史有監督だ。

監督はこれまで、ウクライナ東部紛争時の徴兵制度を取材した「銃はとるべきか」(NHK BS1)や、戦争から逃れて日本に暮らすシリア人一家の行き詰まる生活をカメラに収めた「となりのシリア人」(日本テレビ)などを制作。紛争や難民問題を軸に、国家などの「大きな力」に対峙する個人をテーマに映像作品を発表してきた。

日向史有監督。1980年生まれ。テレビ版「村本大輔はなぜテレビから消えたのか?」(21・BS12)は、第11回衛星放送協会オリジナル番組アワード、2021年日本民間放送連盟賞番組部門のテレビ報道番組・優秀賞、映文連アワード2021の審査員特別賞を受賞するなど高く評価された。撮影/増保千尋

日向監督が本作で村本さんを被写体に選んだのは、「もともとアメリカのスタンダップコメディが好きだったから」だという。『東京クルド』がきっかけで中東の文化に興味を持った監督が魅せられたのが、イラン系アメリカ人のコメディアン、マズ・ジョブラニ氏だ。

9.11同時多発テロ事件後のアメリカでは、イスラム嫌悪が蔓延した。ジョブラニ氏は、笑いでムスリムへの偏見を払拭し、社会の流れを変えようと、エジプト系やパレスチナ系アメリカ人らと「悪の枢軸コメディツアー」と名づけたお笑いグループを結成。宗教や人種をネタにした笑いを、国内外で披露した。

「自分のルーツを強烈な笑いに変え、大観衆を沸かせるその姿に感銘を受けた」と話す日向監督は、自らも笑いをテーマにドキュメンタリーを撮りたいとリサーチを始め、その過程で村本さんの存在を知る。そして初めて舞台を見に行った際、政治ネタの熱量に圧倒された日向さんは、2019年から本作の撮影を開始した。

ところが、テレビや社会という「大きな力」に阻まれ、制作は難航する。村本さんが映画で語ったところによれば、撮影開始時にはテレビドキュメンタリーとしての放映が決まっていた。

だが、同じ頃、村本さんがSNSで大麻の合法化を訴えて、炎上。背景には医療用大麻の効能を知ってもらいたいという思いがあったが、番組の放送はお蔵入りになってしまったという。

その後2021年3月に「村本大輔はなぜテレビから消えたのか?」(BS12)の放送が決まるまで、発表の場もないまま日向監督は村本さんを撮り続けた。

長くテレビ業界に身を置いてはいたものの、監督自身はテレビの表現の自由については、「こんなものだと思っていた」と語る。ところが、村本さんを撮りはじめたことで、臭いものには蓋をしようとするテレビの体質を身をもって知ることになる。

過去に村本さんが出演した番組の映像の使用申請をしたところ、許可が下りないこともあった。また「テレビ版『村本大輔はなぜテレビから消えたのか?』の致命的な欠点」と日向監督が語るのが、当時テレビ局側にインタビューに応じてもらえず、コメントを含められなかったことだ。

日本で言いたいことを言えないのはどんな気持ちか

©︎DOCUMENTARY JAPAN INC.

村本さんは映画のなかでテレビを「得体の知れない存在」と評する。自分をテレビに出すまいとする黒幕は誰なのか。それがわからないまま、村本さんのテレビでの露出は減っていく。

もしかしたらそれは特定の個人ではなく、上を見て勝手に忖度する「社会の空気」なのかもしれない。「テレビ」や「社会」といった大きな主語に悩まされる村本さんの姿が、発表の場が決まらないなかでカメラを回し続ける監督の姿にも重なる。

息苦しい日本を飛び出した村本さんが、次の主戦場に選んだのはアメリカのスタンダップコメディだった。舞台に立つ芸人たちは、政治、宗教、人種、自分のルーツを当たり前のようにネタにする。それらは自分が最も伝えたいことであり、観客の関心事でもあるからだ。

ニューヨークを拠点にするコメディアンで、村本さんに舞台を提供するダラ・ジェモットさんも、黒人差別をテーマにしたネタを披露する。黒人の人生がどれだけ大変かを想像する「種」をまくため、「私は観客が聞きたくないことも喋る」と話す。

日本で言いたいことを言えないのはどんな気持ちか、と彼女に問われた村本さんは、「もちろん辛いけど、それでも伝えるために努力はできる」と答える。

その言葉通り、村本さんは自身の笑いを更新するため、地道な努力をひたすら重ねていく。39歳で英語を学び直し、ネタになりそうなものや観客をつぶさに観察してトライアル・アンド・エラーを繰り返しながら、アメリカでウケる術を磨いていく。件の大麻ネタで笑いの喝采を起こしたときには、カメラに笑顔で中指を立てた。

村本さんの笑いに対する探究は、それだけでは終わらない。基地問題を知るために沖縄へ、慰安婦について学ぶために韓国へ、世間から忘れ去られている被災地へと足を運ぶ。

そこで当事者たちの声に耳を傾け、咀嚼した内容は「被災地で聞いた“こんな救援物資はいやだ”ランキング」といったインパクト大のネタに生まれ変わる。

その過程を見ていると、お笑いというのは何と高度にものごとの本質を捉えようとする創作作業なのだろうかと驚かされる。当事者のリアルな声や問題の背景を理解し、それを観客に伝えようとする村本さんの姿には、相手の立場になってその考えや感情を想像しようとするエンパシーの力を感じた。だからこそ彼のネタには、笑わされ、考えさせられもする。

映画は村本さんの生い立ちにも焦点を当て、なぜ彼がこれほどまでに笑いに情熱を注ぐのかも解き明かしていく。家庭環境が複雑で孤独を抱えていた村本少年にとって、笑いは孤独を癒す手段だった。テレビのお笑い番組に憧れた村本少年は、笑いを磨くことに没頭していく。

悲劇のなかに喜劇はある

©︎DOCUMENTARY JAPAN INC.

「日本の芸人が政治に触れないのは、ネタにするような問題がないから」だという指摘を聞くことがある。だが、日向監督は「日本にもアメリカと同じように、貧困や差別の問題はあるが、それらが可視化されていない。私たちの共通の話題になっていないから、笑いに反映されていないだけでは」と話す。

見て見ぬふりをされてきた社会の問題に光を当て、当事者たちに希望を与える村本さんのお笑いだが、彼は使命感から政治ネタをやっているわけではない、と日向監督は言う。「あくまでも面白いから」それを取り上げるのだ。舞台の上で、村本さんは観客にこう叫ぶ。

「不安のなかにこそ、面白いものがある!」
「悲劇のなかに喜劇はある!」

たしかに、厳しい現実を切り取る笑いは、共感にせよ、反発にせよ、見る人の心に強い印象を残す。村本さんの笑いには陰影がある。舞台で輝く姿を見て、もはや彼にテレビは必要ないのだと気づかされた。村本さんは自身の努力によって、新しい表現の場を見つけたのだろう。

©︎DOCUMENTARY JAPAN INC.

村本さんは、「その気になればモールス信号でも観客とつながれる」と話す。ときに言いたいことを口に出せない日本社会の同調圧力を知る人なら、その自由な姿に心動かされずにはいられないはずだ。日向監督は言う。

「村本さんは、社会の基準ではなく、自分で自分の価値を決めようとしています。39歳での渡米なんて普通なら不安ですが、彼は新しい大きな夢にワクワクしていました。同じクリエーターとして、そこに大きな魅力を感じたし、自分も村本さんのようにありたいと感じています」

小さな枠に収まっていれば、安定を手に入れられると思われがちだが、実はその枠からはみ出せないという不安に苛まれるものだ。枠からの脱出は、リスキーで骨が折れるかもしれないが、テレビを捨てて新たな居場所を確立しようとする村本さんの姿には、私たちの抱える生きづらさを吹き飛ばす痛快さがある。

英作家のジョージ・オーウェルは「すべての冗談は小さな革命だ」という言葉を残したそうだが、村本さんの生きざまはそれを体現していると言える。この小さな革命が封じられたとき、個人、そして国家はどんな運命をたどるのだろう。

たとえばロシアは、スターリンの死を題材にしたコメディ映画『スターリンの葬送狂騒曲』の上映や、プーチンを茶化したイラストの使用を法律で禁じた。笑いの自由を奪われた国が進む先を、注視せずにはいられない。

取材・文/増保千尋

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