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「小雪姉ちゃんを撮りたい」映画監督・いしだ壱成が語る酒井法子との“姉弟共演”仰天計画と度重なる金銭トラブルの背景にあった「実母とのサバイバル生活」

集英社オンライン / 2022年12月30日 11時1分

取材当日、現場に現れたいしだ壱成(48)は、黒いレザーコートに白いTシャツという、自身が特別出演する映画『TURNING POINT2』(ハシテツヤ監督・配信日未定)の役柄である悪徳プロデューサー・藤本雅彦そのままで現れた。“いぶし銀”のシルバーヘアが印象的ないしだは、記者を前にすると、落ち着いた笑顔を見せ、ゆっくりとした口調で語り始めた。

「植毛したことにより自信がつき、人生がV字回復しました」

本作はいしだにとって2018年に公開された映画『それ~それがやって来たら…』以来4年ぶりの俳優復帰作となる。

「今年デビュー30周年を迎えたのですが、実はガッツリと“悪役”というのは、芸能生活でも初めてのこと。多重人格っぽい要素を入れてみたりと監督とアイデアを出し合い、試行錯誤しながら役作りをしていきました。



僕自身、現在はほぼ完治しているものの、『うつ病』や『解離性障害』を患っており、そのせいで今年の夏前には決まっていた連続ドラマの仕事も飛んだ。その“悔しさ”のようなものや、闘病時の苦しみなどを、演技に全部を詰め込みました。自分にとっては“挑戦”の作品になったと思っています」(いしだ・以下同)

トルコでの植毛により人生が「V字回復」

そう語るいしだの表情は、穏やかながらも自信に満ちみちていた。
芸能界から一線を退き、石川県でYouTubeを主戦場として活動していた頃の、どこか悲壮感漂う様子はもうない。
その変化について尋ねてみると「植毛ですね。植毛したことにより自信がつき、人生がV字回復しました」と笑った。

いしだといえば、22年3月、トルコに渡航し、約80万円かけて植毛手術を受けたことが大きな話題となった。12月10日に行われた同作の試写会では、舞台から降り、手術を受けてフッサフサになった「ナマ頭部」を観客に見せて歩く一幕もあった。

「一時期半ば引退状態となっていた僕が、今、俳優に復帰したきっかけをよくよく考えたら『植毛』があったのかと。主演のお二人(雛田真依羽、X-GUNのさがね正裕)にも『壱成さんと初めてお会いした時って、もうちょっと暗かったですよ』って。まだ髪が薄かった時ですけど『性格違いましたよね』って言われて、ああそうだったのかと気づきました。“たかが髪の毛。されど髪の毛”で、人って変わるんだなって」

薄毛の窓口・ハゲリーマンちゃんねるより

ポジティブな心境の変化の影響もあってか、現在は、俳優としての仕事のオファーが殺到しているのだという。

「来年の頭に映画が2本と舞台が4本。さらにバラエティー番組やCMの仕事などが決まっていて、1年先までスケジュールが埋まっている状態です」

今後の目標は「カメラマン」と「映画監督」

そんないしだが「役者」と並行して力を注いでいるのが「カメラマン」としての活動だ。

「僕、元々フィルムカメラが大好きで、10代とかの頃から趣味で写真を撮り続けていたんです。本作の監督であるハシさんからも『趣味としてではなく仕事としてカメラマンをやってみないか』と声をかけていただき、カメラの勉強も始めています。
今はまだ、静物やポートレートの撮影が主で、カメラマンとしての本格的な始動は来年になると思いますが、グラビアアイドルさんも撮っていきたいと考えています」

更には、日本国内だけではなく中国からも「映画監督」としてのオファーが急増しているという。

「実は、中国からは監督としてメガホンを取らないかという依頼もいただいていて、来年か、再来年を目途に、2本ほど撮影をする予定が入っています。中国は2010年に歴史大河ドラマ『恕の人 〜孔子伝〜』に出演させていただいたことから、現地の大物たちと太いパイプがあるんです。

インタビューに応じるいしだ壱成

この年になって、“自分は人に育ててきてもらったんだ”ということが理解できるようになりました。石川県にいた頃にも演劇のワークショップを開催したんですが、自分なりに体得してきた演技論のようなものを後進に伝えたいという気持ちが湧いてきて。
今後は僕が“演者”として活動するだけでなく、プロデュースや、また、監督として作品を撮ることもやっていきたいと考えています」

いしだが「メガホンを取りたい」と思った背景には日本の芸能界の“実情”があったという。

「僕もそうなのですが、麻薬取締法違反で逮捕されたピエール瀧さんや沢尻エリカさんしかり、日本の芸能界は、一度“失敗”した人の再生を許さない土壌がある。自分が作品を撮るということが現実みを帯びてきた今、キャスティングを考えた時に浮かんでくるのはどうしてもそういった方々なのです。
おこがましいのですが、僕の撮る映画が、そういった方々が『世界』に出ていく足がかりになればいいと」

姉ちゃん「酒井法子」にオファー。
「駄目な弟だったけどオレは本気だゼ」

そんな彼が、いま一番「撮りたい」と切望するのがタレントの酒井法子(55)だという。
酒井といえば、09年、覚せい剤取締法違反容疑で逮捕状が出た後に逃亡。清純派女優の大スキャンダルは日本中を大きく騒がせたが、いしだとは、95年、国民的人気を博したドラマ『ひとつ屋根の下』(フジテレビ系)で、酒井が長女・小雪、石田が三男の和也を演じた「姉弟」の仲だ。

ひとつ屋根の下

「声はすでにかけています。すごく忙しくされているので、難しいかとは思いますが、策は練っています。『ひとつ屋根の下』ではお姉ちゃんに心配ばかりかけるダメな弟の役で、『また今回も壱成がわけのわからないこと考えてる』くらいに思われてるかもしれないですけど、実は『姉ちゃん、オレは本気だぜ』っていうところは、時間がかかっても説得していきたいですね」

所持金は数十円、「帰りの電車賃1000円」を借りた

海外からも熱視線を受け、まさに「再ブレイク」に向かい始動している印象のいしだ。一部週刊誌では「薄毛でしょぼくれたおっさんから年収1000万円に」と報じられたが、ここまでの「復活」への道のりは順風満帆なものではなかった――。

前述のとおり、“心の病”を得てからは働くこともままならなくなり、22年3月下旬に上京してきた際には、住む場所もなく、友人の家を転々とし、約270万円の借金も抱えていたという。

当時は「トラブルに巻き込まれることが多かった」と語る。

インタビューに応じるいしだ壱成

「薄毛の植毛は企業さんとのタイアップでもあり、仕事としてギャラも発生していたのですが、そのお金も信頼していたスタッフに全部持ち逃げされちゃって。別の企画のために作った資金まで持っていかれました。
でも、それは自分の甘さもありましたし、病気のせいにしてもいけないとは思うのですが、正直、鬱もひどくて。そういった状況で人に逆らえないというか、他人に対する恐怖心もあった。

それでもう、最終的には、所持金が残り10何円とかになり、今回の作品の監督のハシさんに初めて会ったときにも、お金がなくて、1000円借りました。
『これから一緒にやろう』ってなったときに監督から『まず僕は何をしたらいいですか』って聞かれたので『1個だけお願いがあります、帰りの電車賃がないので1000円貸してください』って。そうしたら監督は一瞬、ぎょっとした様子でしたが『わかったわかった。まあ頼ってくれ』って言ってくれたんで、頼らせていただいた。そのくらいギリギリの生活でした」

多発する「金銭トラブル」の背景には
幼少期の「母とのサバイバル生活」

いしだといえば、「フェミ男ブーム」で一躍時代の寵児となった90年代に父親である石田純一(68)からギャラを搾取、使いこまれていたことを告白するなど「金銭トラブル」のイメージがつきまとう。また、結婚と離婚を繰り返したことにより、現在も多額の慰謝料を支払い続けている。
そうした理由について、「人が良すぎるんだと思います。ノーが言えない」と分析する。
そして、「僕の金銭感覚がどこか異常なのは、少なからず育ってきた環境に原因があったのかもしれません」と、話は自らの成育歴に及んだ――。

物心ついたときには両親は離婚していたといういしだは、幼少期には作家である母・星川マリ(67)と国内外のコミューンを転々として暮らしていたという。

「母は、伯父の星川淳とともに日本にヒッピー文化を持ち込んだ人。ずっと女手一つで働いて僕を育ててくれたのですが、僕が小学校4年生になったくらいから、その“思想”が顕著になってきたように思います」

その頃から屋久島や八ヶ岳のコミューンで同じ思想を持つ「同士」たちと「共同生活」を始めたといういしだ。生活は基本的に自給自足だ。

屋久島

「島での暮らしは、電気、ガス、水道がないときもあって、電気はランプで、水道は自分で川へ水汲みに行って、ガスがないから、火を起こして。読み書きは東京にいたころに小学校に通っていたのでなんとかなりましたが、とにかく自給自足の生活はやることが多くて忙しいから学校にも行けない。

母は『行きたかったら行きなさい』といいますが、片道4時間くらいかかるんですよ。日の出とともに起きて、日が落ちて20時くらいに暗くなったら寝るという生活。いいか悪いかという話でもなく、自分の子供にこの生活をさせるかと言われたら考えるところですが、まあ、自分で火起こしができる子供はいないだろうと(笑)。

だから、所持金が10何円になっても生きていける、お金がなくてもなんとかなるという考え方は、このサバイバル生活の中で学んだ面もあるのかなって。人によってはお金の問題で自殺してしまう方もいます。でも、お金が無くなっても死ぬことはないんだよ、と」

そんな、野山でのびのびと育ったいしだ少年の生活は91年、彼が16歳の時に大きな転機を迎える。父・石田純一と初対面を果たしたのだ。

父親、石田純一との再会

「幼い頃から、テレビに『石田純一』が映っていると母から『パパだよ』と教えられていたし、月々10万円くらいの養育費が振り込まれていたから、存在も名前も知っていた。でも『テレビの中の人』という印象で、『父親』という実感はなかった。

初めて父と会ったのは、16歳の時。父の姉でジャズピアニストの石田桃子さんから母に連絡があり『こんど弟がコンサートに飛び入り参加するから来てくれ』と声をかけていただき、会場に行ったのです。そこで初めて父と会ったのですが、『父だ』という実感や感慨ははなく、『あ、芸能人だ』と思ったことを覚えています。それまで、手紙が来たことも、電話で話したこともありませんでしたが、不思議と『棄てられた』という気持ちや『恨み』のようなものはなく、淡々と『連絡できなかったのは、忙しかったからだろうな』と思っていました。でも、父との出会いは、間違いなく、僕の人生の一回目のターニングポイントとなったと思う。

親子としての初めてのきちんとした対話はその翌日でした。それまでに交流がなかったこともあり、話すこともなくて……。会話がない中で『将来どうすんの』と質問され『なんだ偉そうに聞きやがって』と思いながら『いやバンドとかで食っていこうと思ってるんすよ』って言ったら、バンドなんかダメだって。
なんでダメなんだよジジイ、とか思うじゃないですか。そうしたら『俳優になってドラマに出た方がいい』と助言を受けて。それで今に至ります」

父のアドバイスにより、俳優の道を選んだいしだ。だが、ほどなくして、女性誌により「石田純一に隠し子」とスクープされる。当時、トレンディ俳優として一時代を築いていた37歳の石田は、現在でいうならば小栗旬(39)レベルのトップ俳優。その人気者に突如ふってわいた「スキャンダル」は世間を大いに騒がせた。だが、その騒動で父子はつぶされることなく、いしだは、父の元で、一世を風靡する人気俳優となるのだ。

「島で川の水を汲んでいた生活から『純一ファミリー』となったことで、一晩で何万円もするワインを開けたり、焼き肉屋で何万円も使う生活をするようになった。そしてそのまま人気俳優に……。
お金の感覚がないまま大金を手にしてしまったので、いまだに持ち逃げされたりとかの金銭トラブルが絶えないのかもしれません」

(♯2に続く)

取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
撮影/撮影/Soichiro Koriyama

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