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「結婚して子供を持つ夫婦生活」か「漫画・アニメに浸る独身生活」か。大阿闍梨が説く本当に幸せな人生とは?

集英社オンライン / 2023年1月16日 14時1分

約1000日間、比叡山の山中などを祈りながら歩き続け、9日間断食・断水・不眠・不臥で不動真言10万回を唱える「堂入り」など、過酷さで知られる千日回峰行を達成した光永圓道さん。幾多の苦行を達成した僧侶に、一般市民が抱える悩みをぶつけてみた。

大人になっても漫画・アニメにドハマり

【漫画・アニメ】36歳男性(千葉)公務員・Rさんの悩み



私は、ある漫画にどハマりしたことがきっかけで、その世界観から抜けられなくなりました。漫画だけでなく、アニメを観たり、キャラクターのフィギュアをはじめ関連グッズを収集したり、休日には同人イベントに参加したりしています。
両親からは「そんなことだから、いつまで経っても彼女ができないんだ。もう子供じゃないんだから、いい加減に漫画やアニメから卒業しなさい」というようなことを、陰に陽に言われます。
学生時代や社会人になってから、数人の女性とお付き合いしたのですが、どの人とも2カ月も続きませんでした。自分から告白した経験はなく、向こうから言ってくれたのに、あっさりと振ってくるのです。もう、女性のことがよく分かりません。
漫画を好きになってからは、3次元の女性に興味がなくなってしまいました。同人の世界で友人も増え、趣味の時間を確保するために会社の仕事も効率的にこなせるようになったので、今が幸せです。
誰にも迷惑をかけていないのですから、このまま自分の人生を謳歌することは間違っていないと思っていますが、両親は納得してくれません。
「結婚して、子供を持てば『本当の幸せ』がわかる」と言うのですが、それこそ本当でしょうか。妻帯をなさらない阿闍梨さまはどうお考えになりますか?

漫画・アニメは日本の誇る「文化」、世界に必須な「産業」

お子さんのいらっしゃる信徒の方から、親御さんとしての立場で、類似のご相談をいただくことがあります。そんなときはまず最初に、私自身が楽しみに読んできた作品についてお話することにしています。

私は1975年生まれですので、世間的にはファミコン世代であり、少年漫画誌全盛世代の真ん中です。そのように目されることを私は恥じませんし、どちらかといえば自負心に近い気持ちさえ抱いております。

私が、誰はばかることなくお勧めするのは、河合克敏さんの作品です。『帯をギュっとね』は、浦沢直樹さんの『YAWARA!』と並ぶ柔道漫画の金字塔ですし、延暦寺の住職になってからも熱意を持って臨書に取り組めたのは、『とめはねっ! 鈴里高校書道部』の影響も大きかったのです。

競艇の世界を活写した『モンキーターン』には特に驚かされましたが、河合さんの作品は緻密な取材に基づいて描かれているだけでなく、フィクションとしての飛躍とリアリティの天秤が、きわめて高い次元で釣り合っているように思います。

80年代後半から90年代初頭にかけて、漫画とアニメの両面から欧米に衝撃を与えた『AKIRA』から、タイで民主化運動のシンボルとして掲げられる『とっとこハム太郎』まで――漫画とアニメは、今や日本の誇る「文化」であるとともに、世界が必要とする「産業」として成長を遂げました。その客観的事実を、ご両親が理解なさっていないはずはありません。

親御さんは、漫画やアニメを責めることで、遠回しに「あなたに対する不満や不安」を表現しているのではないでしょうか。それは一種の優しさの表れです。
けれど同時に、あなたが、今の暮らしで〈本当の幸せ〉を感じていらっしゃるなら、漫画やアニメを卒業する必要はないと思います。その選択もまた、ご両親に対する婉曲な返答でしょうから。

「誰の助けも借りずに生きる」などあり得ない

私があなたの今の暮らしを肯定する理由は、あなたが〈幸せである〉とおっしゃるからで、あなたが〈誰にも迷惑をかけていない〉からではありません。そして、あなたのおっしゃる〈幸せ〉の一部が、もしも〈誰にも迷惑をかけていない〉という理屈に支えられているのなら、残念ながらその幸せは〈本当〉ではないでしょう。

山奥や僻地で、電気や水道を使わずに暮らしている人々を指し、メディアはしばしば「誰の助けも借りずに生きる」と紹介しますが、この表現は、根本ではまったく誤っています。

たとえば、僻地で暮らしている人々が、盗賊や焼き打ちといった理不尽な暴力に襲われずに済むのは、周囲に人がいないからではありません。ごく単純にいえば、その僻地が国家(という公共的、共同体的枠組)の内側にあるからです。そしてまた国家の内側が安全なのは、俗世の人々が三権を活用して法を整備し、法の実効性を担保する裁判所や警察機構を維持しているからでしょう。

「迷惑」という言葉は、「厄介」と呼び替えたほうが通りがよいかもしれません。私たちはただそこにいる、存在しているだけで、どなたかの厄介になっております。それは仏教も同じです。いいえ、仏教のみならず、すべての宗教と宗教者は、世俗の厄介になることで存続を許されているのです。

〈本当の幸せ〉とは何か?

私たち僧侶ほど極端ではありませんが、あなたも同じです。ご両親に厄介をかけなければ、あなたは生まれてくることもなく、育つこともありませんでした。
そして現在、ご両親があなたに対して不満や不安を抱えているとすれば、やはり、あなたは親御さんに厄介をかけているのです。

あなたは「厄介をかけていない」という理屈で、親御さんが「あなたを認めるべきである」とお考えのようですが、ご両親はそもそも厄介を厭うていないのです。たとえあなたが「厄介をかけた」としても、それ以上に、あなたが幸せになることを願っていらっしゃるのです。

では果たして、〈本当の幸せ〉とは「結婚して、子供を持つこと」なのでしょうか。一足先に、私に寄せられた問いにお答えします。

私は大行満大阿闍梨として妻帯しておりませんが、その理由は「幸せ」とは関連いたしません。加持祈祷をおこなう際、行者自身の生活環境によって生じ得る「私性のゆらぎ」を極力排するためです。
千日回峰行を満行いたしましたが、私はまだまだ修行の途におり、妻帯する自信がないのかもしれません。
あなたはいかがですか。

もしも、心の奥底で、私と同じような気持ちでいるのなら、ご両親にその旨を伝えてください。親御さんは厄介をいとわず、あなたのために協力してくれるはずです。
あるいは、漫画とアニメに浸る現在進行中のライフスタイルを〈本当の幸せ〉だとお考えになるのであれば、それが「どれほど素晴らしい幸福であるのか」を親御さんに表現してください。

ご両親は〈本当の幸せ〉に執着しているのではなく、ただ、あなたの幸せな姿を眺めていたいだけだと思うのです。

取材・文/山田傘 写真/黒石あみ

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