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レイザーラモンRG「もう時効だから告白します…」。相方HGの大ケガ、月給7000円生活を経て誕生した「あるある」ネタはフジモンのパクリだった

集英社オンライン / 2023年1月17日 14時1分

2023年で結成25周年を迎えたお笑いコンビ・レイザーラモン。「フォー!」の決め台詞で大ブレイクしたHGの陰で逆境を経験しながらも、「あるある」ネタを提げて支持を広げてきたRGにインタビュー。いまや彼の代名詞といえる、あるあるネタの誕生秘話を打ち明ける。(文中敬称略)

「フォー!」大流行で“破格のおこぼれ”

お笑いコンビ・レイザーラモンの名が広く知れ渡ったのは2005年。

レイザーラモンHG(以下、HG)が腰を激しく振りながら「フォー!」と叫ぶ芸風で流行語大賞トップテン入りを果たしたのだ。

当時、世間的には無名の存在だった相方、レイザーラモンRG(以下、RG)は相方の活躍をどう感じていたのか。RGが振り返る。



「嫉妬とかはまったくなくて。というのも、その頃はまだ大阪から東京へ進出して売れた芸人が今ほどいなかったんです。

2000年代の頭といえば、ちょうどM-1グランプリが始まった頃。大阪の芸人では、優勝した中川家さん、フット(ボールアワー)さんが全国区になって。あとは『はねるのトびら』に出ていたキングコングくらい。

だから、むしろうちの相方がすごいことをやってくれたという誇らしさを感じていました。あれだけテレビやイベントに引っ張りだこだったんで。僕もおこぼれをもらってましたし」

レイザーラモンRG

2005年の流行語大賞を受賞したのが、ライブドアの社長だったホリエモンこと堀江貴文の「想定内(外)」。六本木ヒルズ森タワーに本社を置くベンチャー企業の社長が頻繁にメディアに取り上げられていた。

「あんときは景気がよかったなぁ。ITバブルの追い風が吹いていて、相方のCM撮影についていったら100万円もらえたなんてことも。

大阪から出てきたのに相方だけが売れ、自分はたまに仕事があってもスベってばかり。籍を置いていた吉本新喜劇で当時座長だった小藪(千豊)さんが必ず出番を用意してくれたことをはじめ、芸人仲間にはとにかくお世話になりました」

突如、月給7000円生活へ暗転

その後、HGのブームは落ち着いたが、コンビでの活動は増え、お笑い以外にプロレス興行「ハッスル」ではレスラーとしても活躍。出身大学が違うふたりが出会ったのもプロレス同好会だった。数年の時を経て、お互いの趣味を仕事にできた。

「ファイトマネーがけっこうよくて、2007年あたりまではちょっと広めの家に引っ越したり、車を買ったり、それなりに順調でしたね」

しかし、芸人として足場を固めつつあった2009年にまさかの暗転。HGが全治8カ月の大ケガを追う。さらにその2カ月後、追い打ちをかけるようにハッスルが運営会社の資金難により、興行開催もできなくなった。

「月給7000円! 人生最大の経済危機ですよ。子どもも生まれたばかりで……。相方が売れたからという理由で吉本興業から特別に借金ができたんで、それでしのいでいました。

HGがケガで動けないから、自分ひとりでなんとかしなきゃと手当たり次第オーディションを受けるんだけど、落とされまくる日々。

その頃の僕の持ちネタは、市川海老蔵さん(当時)のモノマネ、市川AB蔵くらい。相方の結婚式で、丸坊主の礼服姿でスピーチ練習をする僕を見たケンコバ(ケンドーコバヤシ)さんが『お前、市川海老蔵みたいなってるやんけ』と突っ込んでくれたのがきっかけで生まれたネタです。

石井明美さんの『CHA-CHA-CHA』を歌い、サビの部分で『お~いお茶』と言うだけ(笑)。展開にとぼしく、オチも弱いんで、テレビで使ってもらうのは難しかったですね」

「あるある」ネタはフジモンからパクった?!

RGの芸人人生を大きく変えたのは、2009年に出演した『リンカーン』(TBS)の人気コーナー「芸人エレベーター」だった。

マネージャーにうながされ、番組の出演権を得るためにオーディションを受けた。向かった先はシオプロ。『水曜日のダウンタウン』(TBS)、『ゴッドタン』(テレビ東京)、『クレイジージャーニー』(TBS)などの人気番組を手掛けている番組制作会社だ。

「芸人がエレベーターに乗り、松本(人志)さんや宮迫(博之)さんが待ち受ける階で扉が開いたら『あるある』を言う企画でした。仕事がほしくてほしくて追い詰められていた時期でしたからね。

あるある? どうすりゃいいんだろう、と必死でした。そんなとき、たまたま楽屋でFUJIWARAの藤本(敏史)さんと一緒になって。なんかの話の流れで『歌舞伎の師匠、鏡越しに弟子を怒るけど』って突っ込みを入れられたんです。

あっこれは面白い!と。もう時効だから告白しますけど……(笑)、それをまんまパクってオーディションに挑んだんです。ただあるあるを言うだけだと一瞬で終わるので、市川AB蔵で『CHA-CHA-CHA』にのせて『歌舞伎あるある、早く言いたい』と歌い、とにかく間を持たせようと。

語尾は『怒りがち』に変更しました。言い切るよりも響きがマイルドになって、よりあるある感を出せるなと思ったんです。オーディションでは、シオプロの塩谷(泰孝)さんに『あるあるをなかなか言わないって新しいね』と評価してもらい、晴れて合格しました」

意気揚々と臨んだ収録当日。RGは『CHA-CHA-CHA』に合わせて「歌舞伎あるある言いたい、早く言いたい」と歌った。

「初めてやるネタだったんで、歌が長引くにつれ、松本さん、宮迫さんが『はよ言えや!』『言わへんなぁ』と突っ込みを入れ始めたんですが、僕があまりに歌を引っ張るもので、あるあるを言う前に(「芸人エレベーター」の)扉がガシャーンと閉まってしまったんです。

それで、スタッフの方が『いや最後に本当にあるあるを言うんですよ!』と慌てて、撮り直し。これが無事オンエアされて、記念すべき“初あるある”となりました」

だが、人気番組でのあるあるネタ披露も、すぐにブレイクとはいかず、ここからRGの怒涛の“あるある千本ノック”の日々が始まる――。

取材・文/小林 悟
撮影/柳岡創平

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