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【声優・青山なぎさ】ミスコンへの挑戦と、就職案内を投げ捨てた日。紛争地域の問題解決を志して中央大学へ入るも、人生終了!?

集英社オンライン / 2023年2月5日 12時1分

『ラブライブ!スーパースター!!』に出演する声優・青山なぎさの初エッセー後篇。一介の女子大生がラブライブ!声優になった経緯とは? トップ・サムネイル画像:「週刊ヤングジャンプ」提供 撮影/佐藤裕之

『ラブライブ!スーパースター!!』の葉月恋役で人気の声優・青山なぎさによる書き下ろしエッセー。
前篇では、バレエに打ち込んだ幼少期や、いじめと戦った学生時代のエピソードを綴ってもらった。後篇は、紛争地域の問題解決を学ぶために入った大学で味わった挫折や、ミスコン時代、ラブライブ!シリーズの声優になった経緯が明かされる。

大学生の頃の自撮り

恵まれた子どもが触れた、紛争の報道

私は、幼い頃から好きな習い事をさせてもらったり、行きたいところに連れて行ってもらったりと、恵まれた環境で育ったという自覚があります。


そんな中、父の影響で小学生の頃から毎日のようにNHKのニュースを見ていたのですが、紛争関係の報道には特に胸を痛めていました。物心がついたときには戦うことが当たり前で、それ以外の生き方を知らない人々が戦後どのように生きていくのか。

親もいない、頼れる人もいない子供たちが犯罪に手を染めながら生きていく姿をニュースやドキュメンタリーで見て、どうにかできないだろうかと感じ、中学生の頃から紛争地域の人々の人権を守る仕事をしたいと思うようになりました。
その分野について学べる場所が中央大学総合政策学部であることを知り、勉強して中大に行こうと中学3年生のときに決意しました。

高校生になると、瀬谷ルミ子さんの『職業は武装解除』という本に出会い衝撃を受けました。紛争が終われば平和がやってくるというわけではなく、巻き込まれた人々の悲しみや憎しみは決して消えることがありません。
それでも再び争いが起きないように武器を回収し、戦うことしか知らない兵士たちに職業訓練をして生きる術を教えていく活動、それが武装解除です。
私のやりたい仕事は武装解除だと確信し、そのために大学で何を学ぶべきなのか、情報を集める作業に取り掛かりました。

中央大学総合政策学部では、政治学者である目加田説子教授が国際協力に関する講義を行っていたので、中央大学に入学できたら必ず受講して将来に繋げていきたいと考えていました。また、入学前にも目加田教授のゼミナールの体験授業に参加し、必ず目加田ゼミに入って海外で活躍するんだと胸を躍らせていました。

念願の総合政策学部国際政策文化学科に入学した後、私はすぐに目加田ゼミの先輩方を探し出してゼミに入る前にやっておいた方がいいことを聞きに行くことにしました。これからの生活に目を輝かせ、希望に満ち溢れた顔をしながら、軽やかな足取りで先輩の元へ向かいました。しかし、そこで衝撃的な事実を先輩から伝えられます。

「教授が海外行っちゃうらしくて来年は休講なんだよね」

え……? はい、私の人生終了のお知らせです。

大学の学祭で、ミュージカル「ミス・サイゴン」より「世界が終わる夜のように」をパフォーマンスしている場面

夢が砕け散った瞬間、人間はどんな顔になるか

目加田教授のゼミは2年生から参加出来たのですが、ちょうど私が2年生になる年度から教授が海外に行くという話でした。

絶望です。お先真っ暗です。目加田ゼミに入りたくて中央大学に入学したのに、お目当てのゼミがない!? そんなことある!? と思うかもしれませんが、実話です。大学は真面目に勉強して卒業したらすぐに海外で職業訓練の活動に貢献できるように頑張るぞ!と意気込んでいたのですが、入学早々、私の夢は打ち砕かれました。

さぁ、どうする。

確かかわからないけど、休講するのは1年だけという話も聞きました。もし1年で教授が海外から帰ってくるならば、1年休学してでも目加田ゼミにはいりたいと言っている同期生もいる中で、私はどうしよう……。休学……ありだな? でも親は困るかな。とりあえず、ゼミについて考えることを放棄しました。夢がパッとなくなった瞬間は、悲しいとか悔しいという感情はなく、ただただ目がすわっていました。

この出来事がきっかけで、私の人生の方向は一気に変わっていくことになります。大学で何か夢中になれることを見つけたいと思い、軽い気持ちでミュージカルサークルとアカペラサークルに所属しました。ミュージカルに目覚めたきっかけは、高校3年生の文化祭で『サウンド・オブ・ミュージック』を披露したことです。そこからどっぷりとミュージカルの魅力にハマり、大学時代は週1で舞台観劇をしている時期もありました。

また、高校生の頃から屋上で友達とギターの弾き語りをしたり、放課後にハモりながら熱唱したりすることが楽しみだったので、アカペラサークルは私には合ってるかもと思って入ってみました。

ミュージカルもアカペラも完成度が高ければ高いほど楽しくて達成感があり、毎日のように練習をしました。次第にその環境にも慣れてきて、もっと上に行きたいという気持ちが芽生えたのですが、サークル内では真剣にやりたい派と楽しくやりたい派で分かれることが多く、私は前者でした。

仕事ではないので強要することはできないというのも分かっていたため、自分の求める環境にいきたいなら自分のレベルをもっともっと上げて、プロの世界を目指そうと決めました。

ミスコンの表彰式でウエディングドレスを着用

母が用意した就職説明会の封筒を、ドアに投げ捨てる

実はバレエを習っていた頃、有名な谷桃子バレエ団の公演のオーディションに受かり、東京文化会館で踊ったことがあります。

初めての広い会場、目を閉じてしまいそうなくらい眩しい照明、オーケストラの生演奏、溢れんばかりの拍手と歓声、今でも鮮明に思い出せるくらい印象に残っています。ステージから見るあの素晴らしい景色が忘れられず、またあの華やかなステージに立ちたいと、心の奥底ではずっと感じていたのだと思います。

そうして将来の方向性が固まり、大学2年生の終わりにひとつの挑戦としてミスコンに参加しました。ミスコンといえばアナウンサーを目指す人が多いイメージですが、私はステージに立って歌って踊る人になりたいとアピールし続けました。

このミスコン期間中は1日7回、朝7時から配信をしたり、SNSに力を入れてみたり、24時間をフル活用して真剣に取り組みました。結果は準グランプリ。グランプリは取れませんでしたが、この経験は確実に自分の力になっていると感じています。

目標の場所に辿り着くまでは茨の道だということは分かっていましたが、ミスコン後も自分ができることは全力でやっていました。周りの友人が就職活動をしている中、私はすぐには結果が出ない道を地道に歩んでいたため、両親からは心配され続ける毎日でした。

ある日、家に帰るとリビングの机の上に就職説明会の封筒が置いてありました。私には必要ないと思い、中身も見ずに捨てました。数日後、母が別の就職説明会の冊子を勧めてきましたが、私はいらないと言って読みませんでした。

そしてまた別の日、私の部屋の机の上に新しい就職説明会の封筒が置かれていたので、「こんなものいらないよ!」と言いながらドアに向かって投げつけました。私が真剣にやっている活動をどうして認めてくれないんだろう、誰よりも近くで見ているはずなのにどうして?
悔しくて涙がこぼれていました。両親が私のことを心配してくれているのはわかっていますし、私に辛い思いをして欲しくないからこそ、別の道に進んでもいいんだよと提案してくれているのは理解できました。それでも私はここで諦めたくない、必ず夢を掴むんだと決意してダンスや歌のレッスンに励むことにしました。

Liella!の1stライブツアー最終日に親戚からの寄せ書きをもらう。隣にいるのはラブライブ!シリーズが大好きな従姉妹

ラブライブ!シリーズ初の一般公募オーディション

そんなとき、従姉妹から「ラブライブ!シリーズの一般公募オーディションあるって! 受けてみたら?」というメッセージをもらいました。従姉妹はラブライブ!シリーズの大ファンで、「アニメ見て!」「この曲めっちゃいいから聞いてみて!」「矢澤先輩最高だよ!!」と私にお勧めしてくるので、すっかり私もラブライブ!シリーズのファンになっていました。ラブライブ!シリーズのお仕事には、歌やダンス、お芝居という私のやりたいことが全て含まれています。

そんなラブライブ!シリーズ初の一般公募オーディションがあると知り、すぐに応募を決意しました。歌唱審査やダンス審査、演技審査、自己アピールなどを経て、結果はなんと合格!

オーディション審査員の方に、今までの経験を評価していただいたときは、不安で押し潰されそうになりながらも自分ができることを全力でやってきてよかった、と初めて自分を認められました。そして、やっと両親の心配を取り除くことができるとホッとしました。

私は「ラブライブ!スーパースター!!」の葉月恋役でデビューし、同作から生まれたスクールアイドルグループ「Liella!」(リエラ)の一員としてライブなどにも出演するようになりました。声優・アーティストとしての活動が始まってから、大好きなさつまいもに関する活動や朗読劇出演など、新しいお仕事のお声がけもいただき、少しずつですが着実に結果を残せてきているのかなと思います。

そんな私を見て両親も安心してくれたのか、今では私の活動を全力で応援し、サポートしてくれています。私が家に帰ると出演した番組を何回も見返していたり、夜遅くまで新曲を聞いてくれていたりすることがよくあって、私は愛されているなぁと感じますし、心強いです。

いつも私のことを思って支えてくれる両親がこれからも喜んでくれるように、今後も色々なことに挑戦して頑張っていきたいです。

『週刊ヤングジャンプ』提供 撮影/佐藤裕之

文/青山なぎさ 編集/西中賢治 写真/本人提供

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