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【ニッポンの異教世界】俺のバアちゃんの隣村に「農家の居抜きモスク」が…! 宮城県で見つけたパキスタン訪問記

集英社オンライン / 2023年2月1日 18時1分

近年、日本では在日外国人の数が大きく増えたことにより、さまざまな国の人たちが日本国内に自分たちの信仰施設をつくるようになった。なかでも多いのがイスラム教のモスクで、その数はこの10年で約1.6倍に増えた。私たちの知らないところで進む“国際化”を、ルポライターの安田峰俊氏がレポートする。

「うおお。これ、マジかよ……!」

2023年の年明け早々、スマホの画面をのぞき込んでいた私は思わず声を上げた。Google Mapsの検索窓に、イスラム教の信仰施設を意味する「Masjid」(モスク)という単語を打ち込み、日本全体でヒットした結果を北から順番に眺めていたのだ。そこで、宮城県のとあるモスクに目が釘付けになった。場所は黒川郡大衡村、施設名は「オオヒラ・モスク」である。


仙台市内から北に約20キロの場所にある「オオヒラ・モスク」

驚いたのは個人的な事情ゆえだ。同じ黒川郡の大和町に、私の母方の実家がある。小学生時代は夏休みに1ヶ月くらい滞在して地元のラジオ体操に通っていたりしたので、かなり親しみを覚えている土地である。

以前、私は『文春オンライン』で、地元の滋賀県東近江市能登川地区に誕生したモスクの訪問ルポを書いたことがあった(参考)。ところがなんと、自分の「第二の故郷」にもモスクができていたのだ。正確には祖父母の家から12キロほど離れているが、家の前を通る国道457号線をまっすぐ北に進んだ場所であり、過去に通りかかっていたとしてもまったくおかしくない。

モスク、ここ10年で急増中

近年、日本では在日外国人の数が大きく増えた。

東日本大震災の翌年である2012年から、2019年までの伸びは44%増だ(近年はコロナ禍で伸び悩んでいるが、長期的に見れば今後も増えていくだろう)。それとともに目立ちはじめたのが、「ガチ中華」に代表される移民たちの「ガチ」なレストランや、いまやドン・キホーテにも数多く並ぶ彼らの食材である……。だが、実はやってきたのは食だけではない。彼らは母国から「信仰」も持ってくるようになった。

一昔前まで、日本に在留する外国人は中国人が多く、彼らは宗教的には日本人と感覚が比較的近いか無宗教(中国は社会主義国なので信仰を持たない人も多い)だったので、「移民の宗教」というトピックはあまり目立たなかった。だが、近年は在留外国人の多国籍化が進み、事情が違ってきている。ベトナム人、カンボジア人、インド人など、さまざまな国の人たちが日本国内に自分たちの信仰施設をつくるようになったのだ。

兵庫県姫路市内にあるベトナム寺院・大南寺(Chùa Đại Nam)。近年はこうした異国の宗教施設が増えてきた(撮影:Soichiro Koriyama)

私は中華圏を専門とするルポライターだが、コロナ禍以降、日本国内で中国人以外の在日外国人を追いかけることも増えた(ベトナム人不法滞在者については、『北関東「移民」アンダーグラウンド』(文藝春秋)というルポを2月6日に刊行予定である)。その中でいつしか、在日外国人たちのコミュニティの中心に位置している宗教スポットにも興味を持つようになった。

これらのなかでも、多いのがイスラム教のモスクである。現在、日本国内のイスラム教徒は23万人(日本人信者を含む)もいる。モスクについても、2021年10月時点で全国に113施設あるとされ、かつて2011年時点で確認されたのが70施設だったのと比べると、ほぼ10年で約1.6倍に増えた。

Google Mapsの口コミ評価が★5しかない

モスクは首都圏や中京圏に特に多いが、東北においても、青森や岩手・福島など各県に存在している。そのなかでも多いのが宮城県だ。地域で最大の都市である仙台の経済力ゆえか、Google Mapsで確認しただけでも、県内にはモスクが5つもある。

ネット上で確認すると、東北大学のキャンパス内にあるモスク(Kawauchi Mosque)や、しっかりした日本語のホームページを備えているモスク(仙台イスラム文化センター I.C.C.S)などから、明らかに民家っぽい雰囲気の手作り感があふれるモスクまでさまざまだ。

日本のイスラム教団体「イスラミック・サークル・オブ・ジャパン」の系列モスクのリスト。この系列以外のモスクもあるので、実際はもっと多い(撮影:安田峰俊)

私が気になった大衡村のモスクはどうやら後者だが、公式サイトがあるわけでもなく、詳しい事情は不明である(ちなみに、Google Mapsのモスクの口コミは、礼拝にきたムスリムたちがどんな施設でも★5をつけて賛美の言葉を書き込んでしまうので、施設の具体的な環境がよくわからないことが多い)。

これは現地に行ってみるしかないだろう。ちょうど東北を訪れていた私たちは、ひとつ前の取材先である青森県から車を飛ばして大衡村に向かった。2023年1月9日のことである。

「何でも買取ます」の看板と七ツ森

東北自動車道の三本木スマートICで降りて現地に向かうと、「何でも買取ます」(原文ママ)、「合同会社ナワズ・シャヒーン・エンタープライゼス」と書かれた看板と大きな駐車場……というより、やけに広大な広場があった。廃車や廃バスが放置されていたりと、なかなかワイルドな場所である。

敷地内には、私の祖父母の建て替え前の家とよく似たたたずまいの民家があり、その離れの倉庫のような場所にアラビア文字でなにか書いてある。どうやらこれがモスクのようだ。

格闘ゲームのステージに出てきそうな、オオヒラ・モスクのワイルドな立地。すごく寒い(撮影:Soichiro Koriyama)

車を降りると、冬の東北らしい澄んだ空気が心地よかった。周囲一帯は、かなり前に降ったらしい雪が数センチ積もっており、冬晴れの陽光にキラキラと映えている。南の畑の向こうにぽこぽこと見える低い山々には見覚えがあった。

通称、七ツ森。大和町にある7つの小山で、そのうちひとつの大森山は伊達政宗の狩り場だったことでも知られている(ちなみに、この山は正式には笹倉山というが、山麓に住む私の祖父母ほかの村人は大森山と呼んでいるで、私の感覚でも「大森山」である)。

「昨日は村の成人式でした」

周囲には人っ気がなかった。モスクは誰が入ってもいいので、黙って上がりこんでもいいのだが、モスクと建物がつながった形で隣に民家がある。ひとまずこちらに誰かいないかと挨拶に行くと、玄関先に中央アジア風の外見の、痩身の青年がいた。「あ、どうも」と自然なイントネーションの日本語が返ってきたので、名刺を出してこちらの事情を説明し、モスクを見学したいと申し出てみる。

「いいですよ。いま、両親はちょっと国に帰っていて不在ですが、どうぞ見ていってください」

彼はアジズと名乗った。19歳だが、年齢のわりに落ち着いた話し方と立居振る舞いが印象的である。どこの国の人か聞いてみる。

「パキスタンです。僕はペシャワール生まれで、東日本大震災のすぐあと、小3のときに、年齢の近い兄と一緒に日本に来ました。お父さんがモスクを建てたのは、僕が小6のときです」

オオヒラ・モスク。かつては納屋だった(撮影:Soichiro Koriyama)

アジズは前日に成人式があったらしく、村役場の隣りにある会場で同じ新成人の友達と撮った画像をスマホで見せてくれた。彼は地元の大衡中学を卒業後、隣の大和町吉岡にある黒川高校(私の母と同じ高校だ)に通ったという。パキスタン人の両親から生まれた人なのだが、経歴と日本での日常は完全に宮城県の子である。ただし、敬虔なイスラム教徒なので、前日の成人式の後の飲み会の出席は断ったそうだ。

農機具を置くために使っていた納屋をモスクに

「僕はパキスタンの言葉より日本語のほうが楽ですね。あ、でもいまの宮城県の子は学校でも標準語を喋っているので、言葉は東北弁じゃないんです。もちろん、聞いだら意味はわがりますけども(笑)」

この日は不在だった彼の父のナジブさんは、現在40代後半くらいで、ずいぶん前から日本にいるらしい。アジズは小さい頃は故郷の親類の家に預けられて育ち、すくなくとも11年前に兄とともに日本に来たときには、父は「すでに社長だった」。そして、ナジブ一家は大衡村にあった農家の空き家を買って自宅にした。

オオヒラ・モスクの訪問前、青森県六戸町で取材中の私。今年は雪がすくないが、東北の冬は大変だ……(撮影:Soichiro Koriyama)

ナワズ・シャヒーン・エンタープライゼスという社名は、ナジブ社長と妻(アジズの母)の名前を取っており、文字通りの家族経営だ。会社のメインの業務は機械輸出で、いまや県内に複数の支社がある。

父のナジブ社長は、9年前に自宅の敷地内にモスクを作った。かつてこの家に住んでいた農家の家族が、農機具を置くために使っていた納屋を改装したのだ。

「うちのイマームは宮城県でいちばん素晴らしい」

さっそくモスクを見に行ってみる。内部は広大で、男女別に分かれた礼拝室のほか、礼拝前に身を清める水場や、礼拝者用の複数のトイレがある。空間はかなり清潔に保たれており、個人が建てたモスクにもかかわらず、私が過去に見たことがある滋賀県や中京圏の一部のモスクよりも「ちゃんとしている」印象だ。

モスクの水場もかなり本格的。「個人経営」なのに、なかなかちゃんとしたモスクだ(撮影:Soichiro Koriyama)

モスク内。アフガニスタンともほど近いペシャワールの信仰空間の空気を持ち込んだような、静謐な雰囲気(撮影:Soichiro Koriyama)

モスク内には、ガラスの扉があるしっかりした本棚にイスラム教の経典が備えられていた。そこで母屋に戻り、アジズに「ここ、イマームもいるんですか?」と訪ねてみる。イマームはイスラム教徒のコミュニティの指導者で、礼拝を主催する役割も担う宗教者のことだ。通常、教義について深い学識を持っており、いわば「専従」の形でモスクで勤務している(この表現が適切かはわからないが)。

「いますよ。イマームがいなきゃ、モスクらしくないし。イマームがいるから人が来る。うちのイマームは宮城県でいちばん素晴らしいイマームです。すごく立派な人で、物静かで信頼できる。まだ30歳になっていないですが、みんな大好きなのです。いまは一時帰国中なんですが」

宮城県で最高のイマーム。範囲が広いのか狭いのかよくわからないが、宮城県には東北地方で最大のムスリム・コミュニティが存在しており、そのなかでは特別な存在ということだ。特に秋田県と山形県にはモスクがないので、これらの県からも大衡村のオオヒラ・モスクにイスラム教徒たちがやってくるという。

「イード(犠牲祭)のときは100人くらい来て、このモスクのなかが満杯になります。建物の外にカーペットを引いて、そこにまで人があふれるんですよ」

コンビニにパキスタン人、西友にインドネシア人

「来る人はパキスタン人が多いですね。うちのすぐ近所でも、国道沿いのむこうのコンビニの近くにパキスタン人が数人います。ほかに近辺だと古川(大崎市古川地域)と大和(黒川郡大和町)に多い。うち(ナジブ社)の仕事は機械輸出ですが、他のパキスタン人は9割方、クルマ関係の会社をやっています。ドバイやパキスタン国内向けに、中古車がよく売れるんですよ」

モスク内には、お祈りの時刻を示す「礼拝時計」も!(撮影:Soichiro Koriyama)

「あと、日本の会社で働いているインドネシア人も来ます。彼らを西友とかで見かけたときは、同じイスラム教徒だから声をかけて『うちにイスラムの場所あるよ』と教えてあげるんです。それで昨日も、インドネシア人が20人くらいここに来ていました」

ちなみにモスクは、このオオヒラ・モスクのように個人がお金を出して作るパターンと、信者たちが共同でお金を出し合って作るパターンがある。

「みんなで作ったところだと、ちょっと駐車場を広げたいとか、小さなことでも合議にかけないといけないので大変なんです。それに借地だと、礼拝に来た人の駐車が難しいとか、そういう問題も出ます。うちのモスクは個人でやっていて、自分の家の敷地にあるから、そういう意味ではラクなんです」

モスク内で午後の礼拝をおこなう「コンビニの近くのパキスタン人」とアジズ。この日はあまり人が来なかったが、それでもきっちりお祈りする(撮影:Soichiro Koriyama)

いわば、自腹の持ち出しで公共施設(ムスリムにとってのモスクは公共施設である)を作っているようなものだ。ただ、彼らの間では「モスクを建てると金持ちになる」という言い伝えもある。

アジズにいわせると、その理由は「神様のおかげ」だ。とはいえ客観的に考えると、自腹でモスクを建てるような徳の高い人は、コミュニティの内部で圧倒的な信頼を集めるので、商談が成立しやすかったり騙されにくくなったりするはずである。さらに、自分のモスクに近隣一帯の同胞が集まることでビジネスの人脈も広がっていく。モスク建設は一挙両得というか、損して得取れという結果になるのだろう。

バアちゃんの家っぽい屋内にアラビア語

「建てるときはちゃんと村の許可をもらいましたが、お父さんは昔から大衡村に住んでいたし日本語もできるので、難しくなかったみたいです。近所の苦情とかも、過去に一度もないですね。お祈りに来る人にはうるさくしないように言っていますし……。というか、そもそも土地が広くて周囲も畑なので、近所にあんまり家がないんですが」

アジズの許可を得て、母屋に上げてもらった。私の祖父母の以前の家とあまり変わらないつくりの、東北地方の田舎に多い感じの日本家屋だが、壁にアラビア語のタペストリーが掛かっていたり、ピンク色の大きな花束を生けた花瓶があったりと、日本の奥州とペシャワールが微妙に混淆した不思議なイスラム空間である。

母屋の居間でインタビューに応じてくれたアジズ。日本家屋にパキスタンっぽい調度品が並ぶ。(撮影:Soichiro Koriyama)

「小学校のときは、学校に『外人』は僕と兄だけでした。でも、礼拝のときに先生が別の部屋を準備してくれたり、食事は特別に弁当の持参を認めてくれたり、先生からも友達からも理解はありましたね。給食でバナナが出たときに「これ、アジズも食えるんじゃね?」と言ってくれたり。中学と高校はバスケ部に入っていて、すごく楽しかったです」

小・中・高と地元の公立校に通っていただけに、アジズは日本人の友達もかなり多いらしい。

「村の役場でうちを知らない人はいないし、村長も知ってます。前に東京から、日本語ができないパキスタン人が役場に相談に来たときに、父に『通訳してください』と電話が掛かってきたこともありますよ」

モスクと母屋の見学後、辞去にあたって近所にオススメのハラル料理(イスラム教徒が食べてよい料理)のレストランはないかと聞いてみた。どうやら村内に1軒、さらに隣の古川にも1軒あるらしい。そこで昼食を食べに行ってみたところ、生姜をたっぷりきかせたパキスタン系の辛いカレーが出てきて、大変美味しかった。

村内にあるパキスタンカレー店。パキスタン人がおすすめするだけに本場の味。ただ、コック以外の従業員は日本人であり、地元の客も意外と多い。大衡村の人は、ガチ中華ならぬ「ガチパキスタン」の味を楽しんでいるらしい。(撮影:安田峰俊)

イスラミック宮城県。いつのまにか、私たちの知らないところで東北の片田舎では足元からの国際化が進んでいた。しかも、(すくなくとも大衡町については)けっこう地元の人に受け入れられていたのであった。


取材・文/安田峰俊

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