1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. ライフ総合

APDの診断ガイドラインを作りたい。専門医が語る当事者の声とAPD普及・研究を行う理由

集英社オンライン / 2023年2月5日 15時1分

「APD/LiD」。聴力に問題はないのに、特定の状況下だと人の言葉が聞き取れない障害だ。APD/LiDに関するルポ『隣の聞き取れないひと』(翔泳社)から、APD専門医が語ったAPDの現状について抜粋して紹介する。

「APD/LiD」は、聴力に問題はないのに、特定の状況下だとなぜか人の言葉が聞き取れない障害だ。そんなAPD/LiDに焦点を当てたルポ『隣の聞き取れないひと』(翔泳社)では、APDの専門医や関係者にも話を聞いている。

今回はその中で、自身もCODA(耳の聞こえない親のもとで育った、聞こえる子ども)としてマイノリティ経験を持つ著者が、APDに関する普及啓発や研究を行う大阪公立大学大学院 耳鼻咽喉病態学の阪本浩一准教授に、APDと診断されることに対する当事者の反応や、APDに関する活動を行っている理由について聞いた部分を、抜粋して紹介する。


うちの子を障害者にしないで

診断名がつくこと――つまり、得体の知れない聞き取りにくさにAPDという名前がつくことを、阪本さんはとても意味のあることと捉えている。それによって少しでも楽になる人がいることを、これまでの経験を通して実感してきたからだ。

「全国でもAPDを診察してくれる病院は少ないから、当事者はどこに行けばいいのかを必死で調べている。そうやってわたしを訪ねてくる人たちというのは、基本的に〝明確な診断結果〞を求めているんです。APDには現状、治療法が存在しない。だから当事者の親御さんには『うちの子を障害者にしないでほしい。先生たちが研究するための道具じゃない!』なんて怒り出す人もいます。ただ、当事者はやはり聞き取りに困難を抱えていて、その原因を明らかにしたいと願っているんです。だからわたしは、診断してあげたいと思う」

原因がわかれば、治療法はなくとも対処法は考えられる。阪本さんの考える診断とは、その先の人生を前向きに生きていくためのものなのだ。

「だからこそ、まずは急務として、APDを全国の耳鼻科で診察できるようにしたい。そのために必要なのが、統一された診断基準だと考えています」

APDかどうかを調べる場合、いまはまだその検査内容にはばらつきがある。医療機関によってさまざまなのが実情だ。

阪本さんが在籍している大阪公立大学医学部附属病院では次のような流れで調べていく。

一 質問票(チェックリスト)による聴覚認知検査
二 聴力検査
三 聴覚情報処理検査(APT)
四 脳波の測定による聴力検査
五 画像検査
六 発達面の検査
七 心理面の検査

聴力に問題がないことを調べ、脳の状態や発達面、心理面など多角的に検査する。そうやって初めて、APDであると診断できるという。他の病気や障害の可能性をひとつずつ潰していった上で、APDであると特定できるかどうかを見極めるのだ。検査の過程で軽度難聴やオーディトリー・ニューロパチーといった別の障害が見つかることもある。APDを特定するための検査は決して簡単なものではなく、時間も労力もかかってしまう。

しかしながら、のんびりしている暇はない。悩める当事者は全国にいて、自身が抱える生きづらさの原因を一日でも早く明確にしたいと願っているからだ。

そこで阪本さんが取り組んでいるのが、AMED(国立研究開発法人日本医療研究開発機構)の研究公募で採択された、『当事者ニーズに基づいた聴覚情報処理障害診断と支援の手引きの開発』だ。AMEDに採択されたことで、国から研究予算へ補助金を受けられるようになった。

二〇二一年度よりスタートした本研究では、APDの診断基準と、当事者への支援の在り方を明確にすることを狙いとしている。まずは国内での実態を明らかにすべく、二〇二一年の秋からは大阪と首都圏を中心に、およそ五千人の子どもを対象にした大規模調査も行われた。そうして研究・調査を重ね、その結果から導き出せるAPD診断のガイドラインを発表するつもりだ。

もちろん、それはゴール地点ではない。そこでの反応を見ながら調整を重ね、二〇二三年度には集大成となるものを発表したいと計画しているという。

「いま、大阪公立大学医学部附属病院で行っているような検査方法を、すべての耳鼻科で行うのは現実的ではない。だから、もう少し取り入れやすい検査方法を提案し、ひとつでも多くの耳鼻科がAPDを診断できるようにしたいんです。たとえば必須検査とオプション検査にわけて、APDと診断できる最低限の内容は必須検査とする。そしてもっと詳しく調べる場合は、それなりに大きい病院でオプション検査を受けてもらうようにする。そうすると、『あなたはAPDに該当しますね』という最低限の診断が、全国各地の耳鼻科でできるようになります。そのために必要なのが、明確な診断基準なんですよ」

ちなみに、阪本さんが進めている研究には、当事者会も協力をしているという。研究タイトルに「当事者ニーズに基づいた」とある通り、専門家のみで進めていくのではなく、当事者の声に耳を傾け、二人三脚で進めている。それは阪本さんの理想でもある。

「当事者のニーズを踏まえて研究を進めていく。それが非常に重要なことだと考えています。やはり、現実社会で困っている人たちの声を聞かなければ、本当に必要なことにたどり着けません。当事者会のみなさんのおかげで、素晴らしいデータを集めることもできています」

障害って、なんだろう

メカニズムにいまだ不透明なところもあるなか、APDというものの謎をどうにか解き明かす。それはぼくなんかにはイメージもできないほど、困難なことのように思えた。

それでも目の前で話す阪本さんは、困っている様子を一切見せなかった。その理由は明確だ。

苦しんでいる人をひとりでも救いたい――。

シンプルだが容易ではないその思いを胸に、日々、阪本さんはAPDに向き合っているのだ。

「障害って、なんなんですかね……」

阪本さんが話してくれたことを振り返りながら、思わずこぼしてしまった。

先の見えない道程を、当事者と協力しながら一歩ずつ進んでいる阪本さん。それに対して、「うちの子を障害者にしないでほしい」と言う親がいる。その言葉はまるで、阪本さんたちの活動や思いを全否定するものではないだろうか。

「診断というのは、その人を知るために大切なことです。その人が得意なもの、不得意なものを明らかにする。その結果、不得意な分野をフォローしてもらったらできることも増えていきますし人生がプラスになっていく。診断がついたからとってマイナスじゃないですし、診断が下りた後もその人の人生は続いていきます。障害というのはその人の持っている症状によって生まれるのではなく、その人と社会とのコミュニケーションによって生まれるものだと思うんですよ」

ここで阪本さんは専門分野のひとつである「吃音」を例に挙げて話してくれた。

「吃音というものも治らないと言われています。ただ、一生懸命訓練することで、どもらない喋り方を習得することはできる。でもそれは、その人本来の喋り方ではない。素に戻ると、やはり症状が出てしまう。だから理想なのは、彼らを無理やり矯正するのではなく、どもりながら喋ることをそのまま受け止める社会を作ることじゃないかな、と。あるとき、吃音当事者の子どもがこう言っていました。『自分が吃音だってことを知っている友人の前で話すのは、嫌じゃない。話し方に詰まったとしても、みんな理解してくれているから。でも、初対面の人の前で話すのは苦しい。もしも詰まってしまえば、嫌なことを言われてしまうかもしれないから』。つまりその子は症状に悩むというよりも、周囲の反応に悩んでいるということですよね」

阪本さんの話を聞きながら、ぼくは両親との関係について思い出していた。

耳の聞こえない彼らに対してネガティブな感情が芽生えはじめたのは、小学生になった頃のことだ。それまで「家庭」という小さな世界で生きていたぼくにとって、親の耳が聞こえないことはふつうだった。なかなか話を伝えられなくてもどかしさを覚える瞬間はあったものの、それが自然なことだったのだ。

でも、小学生になり、他の家庭や親子の関係を目にすることが増えた。そしてなかには、聞こえない親がいるぼくのことを「可哀想」だとか「おかしい」などと差別してくる人たちもいた。それからぼくは、親に対してネガティブな思いを抱くようになっていった。

そう、自分のなかにある「ふつう」が悩みに変わったのは、たしかに社会からの反応が一因だった。

そう考えると、APDと診断された人の親がそれを否定するのも、もとをたどれば不寛容な社会に原因があるのかもしれない。

他の人とは違った特性を持つマイノリティ当事者が、この現代社会を生きるには、さまざまな障壁が存在する。そのため、そんな困難な人生を歩んでほしくないと思うあまりに、診断結果を否定してしまうのだろう。

しかし、阪本さんの言う通り、APDであることがわかったからといって、そこで人生が終わるわけではない。原因がわかれば、次にそれをフォローしていく手段を考えればいい。むしろ、それまで正体不明だったものに名前がつくことで、やっと自分自身を知ることができ、人生がはじまるとも考えられる。

「わたしね、左利きだったんですよ」

阪本さんが目の前で左手をユラユラさせた。「わたしが子どもの頃、一九七〇年代なんて、左利きはあり得ないとされていました。小学校に入ると左利きの子たちが教卓の前に座らされて、左で鉛筆を持つと長い定規で手を叩かれる。『右で書きなさい!』って矯正されるんです。そのまま右で文字を書けるようにはなったけど、お箸は左手のままで。結局、どっちつかずになっちゃいました。

でも現代は左利きを無理に矯正しようとはしないですよね。わたしからするとそれが羨ましくもあるんだけど、社会ってこうやって変化していくものなんだなとも感じるんです。電車の自動改札機って、切符の投入口が右側にしかついていませんよね? あれって右利きの人しか想定していないってことです。だからわたしからすると、非常に使いにくい。でもね、阪急電車はその投入口を左手でも入れやすいように傾けてくれたんですよ。とても感動しましたし、ありがたかった。そうやって社会があらゆる人に寄り添えたら、みんなが楽に生きられますよね」

誰もが生きやすい社会がやって来れば、「うちの子を障害者にしないでほしい」と訴える親の気持ちも変わるかもしれない。だってそのときには、そもそも「障害者」という概念すらなくなっているかもしれないのだから。

「そのための第一歩としてまずは、自分の身近にもAPD当事者がいるかもしれないってことを知ってもらいたい。APDは見た目ではわからないから、困っているようにも見えない。でもぱっと見ではわからないけれど、本当は困りごとを抱えている人がいる。そこを知ってもらえると当事者の生きづらさも少しは緩和されるんじゃないかな、と思います」

阪本さんの奮闘はまだまだ終わらない。
でもそれが近い将来、大きな実りになる予感がした。

『隣の聞き取れないひと APD/LiDをめぐる聴き取りの記録』

五十嵐 大

2022/12/12

1,760円

208ページ

ISBN:

978-4798175324

みんなの言葉が、聞こえるのに聞き取れない。
ずっと、自分が悪いんだろうなと思っていた。


ある晩、著者のもとに一通のメッセージが届く。
「APDで悩む当事者たちのことを書いてくれませんか?」

聴力には異常がないにもかかわらず、うるさい場所や複数人が集まる場などでは相手の言葉が聞き取れなくなってしまう――。「APD/LiD」と呼ばれ近年注目を集める、この目に見えない困難について、自身もマイノリティ経験を持つ著者が当事者や支援者、研究者やメディア等へ丁寧な聴き取りを行い、「誰一人取り残さない社会」の実現に向けて社会に求められる変化を問う。渾身のノンフィクション。

【著者について】
五十嵐大(いがらし・だい)1983年、宮城県出身。元ヤクザの祖父、宗教信者の祖母、耳の聴こえない両親のもとで育つ。高校卒業後上京し、ライター業界へ。2015年よりフリーライターとして活躍。著書に、家族との複雑な関係を描いたエッセイ『しくじり家族』(CCCメディアハウス)、コーダとしての体験を綴った『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』(幻冬舎)など。2022年、『エフィラは泳ぎ出せない』(東京創元社)で小説家デビュー。Twitter:@daigarashi

【目次】
第一章 聞こえるのに、聞き取れない
第二章 治療法がないなかで
第三章 「名前がつく」ということ
第四章 社会に働きかける当事者
第五章 当事者の隣で

【APDとは】
聴力に問題はないにもかかわらず、特定の状況下で聞き取れなくなってしまう困難のこと。Auditory Processing Disorderの略称であり、日本語では「聴覚情報処理障害」と訳される。 APDを理由に人間関係が壊れたり、仕事を辞めざる得ない状況にまで追い込まれてしまったりする当事者は多いが、国内での認知はまだ低く、その訴えはなかなか理解されない。近年では「聞き取り困難(症)」を意味するLiDと呼ばれることもある。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください