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〈犯罪史上最凶悪・北九州監禁連続殺人事件〉10歳の女の子が生きる希望を無くすまで拷問、そして殺害。主犯・松永太の極悪非道な手口

集英社オンライン / 2023年2月10日 17時1分

犯罪史上類を見ない残酷な「北九州監禁連続殺人事件」。事件を追い続けたジャーナリストだからこそ書くことができた、残酷なその詳細をレポートする。

最も凶悪な事件、という例えを使うことに躊躇の生じない事件。起訴された案件だけで7人が死亡している「北九州監禁連続殺人事件」を主題にした、ノンフィクションライター・小野一光氏による『完全ドキュメント 北九州監禁連続殺人事件』(文藝春秋)が刊行された。

稀代の大量殺人は、2002年3月7日、福岡県北九州市で2人の中年男女、松永太(死刑囚)と緒方純子(無期懲役囚)が逮捕されたことにより発覚する。



最初の逮捕容疑は17歳の少女に対する監禁・傷害というもの。奇しくも2000年1月に新潟県で発覚した、少女が9年2カ月にわたって監禁されていた事件の判決(懲役14年)が、この2カ月前の2002年1月に出たばかりだった。

今回も少女が6年以上(後に7年以上と判明)にわたって監禁されていたとの情報が流れ、同事件の再来を想起させた。

だがやがて、この事件は想像以上の展開を迎える。まず少女の父親が殺害されていたことが明らかになり、さらには逮捕された女の親族、子供を含む6人全員が殺されていたことがわかっていく。

しかもその方法は、男の命じるままに肉親同士で1人ずつ手を下していくという、極めて残酷なものだった。

ここでは同書のなかから、松永と緒方により、一家6人を殺害された緒方家の悲劇の一幕(第四章P421~426)を紹介する。

98年6月7日、10歳の花奈ちゃんが殺害されるまでには、既に松永は緒方一家からせしめられるだけのお金をせしめており、松永にとって役立たずとなった緒方の父と母、妹夫婦をも殺害している。

更に、殺害された夫婦の子であり、花奈ちゃんの弟である緒方祐介くん(死亡時5歳)の殺害と、遺体解体作業を花奈ちゃんに行わせているのだ。松永は、生かしておけば事件の発覚に繋がる危険もある、最後の邪魔者を、残酷に排除する準備を整えたのであった。

本文中の松永太と緒方純子以外の固有名詞(建物名を含む)は、有識者、法曹関係者、報道関係者を除き、すべて仮名である。

以下抜粋
※〔〕内は、集英社オンライン編集部による補注です。

少女から生きる希望を奪い取る

松永が緒方の親族である緒方一家6人のうち、最初に緒方の父である孝さんを殺害したのは、97年12月21日のこと。それから和美さん、智恵子さん、隆也さん、佑介くんの順に命を奪われ、98年5月下旬頃には、佑介くんの死体解体が終了した。

そして松永らのもとには、緒方一家のうち花奈ちゃんだけが残された。年端もいかない彼女を、“排除”したいと考えた松永がどのような行為に出たか、判決文は詳らかにしている。

〈松永は、平成10年(98年)5月下旬ころから、毎日のように、花奈に対し、種々の口実で、花奈の腕や顔面(両顎、両唇等)にひどい通電を繰り返した。花奈は、両顎に通電されると、短いしゃっくりのような声を上げた。

その際、花奈は、通電を受けながら、松永に対し、「何も言いません。絶対に言いません。」〔最後に残された花奈ちゃんは、緒方一家の殺害に松永被告によって意図的に関与させられており、殺人を犯したことを責められていた〕と繰り返し言った。

松永は、そのうち、全く理由を設けないで、花奈に通電するようになった。また、花奈に対し、プラグの接触時間を長くして通電するようになり、そのような通電によって花奈の二の腕に大きな火傷を負わせたが、松永は、傷口付近を古新聞で巻いて置くだけにして、放置した〉

これらは緒方の証言をもとにしたものだが、そうした虐待に、彼女が抱いていた感想も明かされる。

〈緒方は、台所で、花奈に対する通電の様子を見ていたが、そのときは、松永が花奈に通電するのは花奈を西浦家に帰すための口止工作ではないかと思っていた。しかし、現在では、松永が、花奈に対し顔面、両顎に繰り返し通電したのは、花奈の思考能力を奪ったり、花奈に生きていたいという気持ちを失わせたりするためではなかったかと思う〉

「死ぬけ、食べさせんでいい」

この証言からわかる通り、当時の緒方には、10歳の少女への虐待という、異常事態についての抵抗感が欠落している。その場にいた唯一の大人がこうした状態のなか、花奈ちゃんは松永に追い詰められていった。

〈松永は、そのころから、洗面所で、花奈と2人で、毎日、一日1回から3回くらい、一回当たり30分から時には1時間以上も話をした。松永は洗面所のドアを閉めて花奈と2人だけで話しており、緒方は後で松永から花奈との会話の内容を聞くこともなかったので、松永と花奈がどのような会話をしていたのかは分らない。

緒方は、当時は、松永が花奈を西浦家に帰すため、あるいは、被告人両名との同居生活を続けさせるため、被告人両名が犯した犯罪を他言しないように言い含めているのではないかと思っていた〉

後に緒方は〈花奈に死を受け入れさせようとしていたのではないかと思う〉と考えを改めたことを明かしている。とはいえ、その場でなにか具体的な行動に出るということはなかった。

〈緒方は、そのころ、松永に対し、花奈に食べさせる食パンの枚数を尋ねたとき、松永は、食パンの枚数を4枚から1、2枚に減らすように指示して、「もうあんまり食べさせなくていい。太っていたら大変だろう。」と言った。

緒方は、松永が花奈の食事を極端に減らしたこと、和美〔花奈ちゃんの祖母〕の死体解体作業の際、脂肪が多く解体作業に苦労した経験があったので、松永の言葉が、「花奈が太っていたら死体の解体作業が大変だ。」という意味に理解されたことから、松永が花奈の殺害を考えているのではないかと思った。

甲女〔監禁致傷の被害者である少女・広田清美さん。父を目の前で殺された上、7年間監禁され続けていた被害者。彼女の逃亡をきっかけに、松永と緒方は逮捕される〕もその場に居り、松永の発言からそのことを察した様子であり、緒方と顔を見合わせた〉

同時期の状況について、松永や緒方と一緒にいた清美さんは次のように供述している。

〈花奈は死亡直前ころになると、顔や身体が痩せていた。花奈は一日1回食パンだけを与えられた(枚数は覚えていない。)。花奈はおむつを使用させられた。花奈はたびたび通電された。
松永は、全裸の花奈の手足をすのこに縛り付け、手足、顔面、陰部等にひどい通電をした。花奈は、通電を受けたとき、「ヒックヒック」としゃっくりのような声を上げた。花奈は、寝るときは、おむつかパンツだけを身に着け、両手を合掌させて手首を縛られ、首と手首を一緒に縛られ。両足首も縛られた。
松永は、佑介事件後、何回か、花奈と二人だけで話をした。松永は、佑介事件後、花奈を殺害する何日か前、片野マンションの和室で、緒方に対し、「あいつは口を割りそうやけ、処分せないけん。」と言った。そのとき、甲女も和室に居た。
松永は、そのころ、緒方に対し、「死ぬけ、食べさせんでいい。」と言った〉

ついに感情を失ってしまう

この時点で、花奈ちゃんは2歳児用の紙おむつを着用できるほどに痩せ細っていたという。論告書は、清美さんの供述をもとにした、花奈ちゃんが97年夏に北九州市に連れて来られてからの変化にも触れている。

〈片野マンションで生活するようになった当初は、花奈は、通電などの虐待を受けることはなく、和室で寝ていた。花奈は、甲女と一緒に、SPEEDの「Wake Me Up !」という曲を歌いながら掃除をするなど、明るい子であった。

しかし、孝、和美、智恵子及び隆也が片野マンションで生活するようになった平成9年(97年)11 月ころ以降は、花奈は松永から些細なことで怒られ、通電を受けたり、叩かれるなどの暴力を受けたりするようになった。

花奈は、松永にトイレを制限されていたし、トイレに行くときも、甲女が同行する必要があった。また、花奈は、寝るときはいつも布のひもで両手両足を縛られていた。平成10年5月末ころには、花奈は、片野マンションで生活を始めたころと比べて、顔や身体が一目見て分かるぐらいに痩せていた〉

また論告書は、花奈ちゃん殺害を意識した松永が、清美さんに対しても、“あること”を指示していたことを明かす。〈佑介の解体が終了した5月末ころ、松永は、甲女に対し、「今までは甘くしてきたけど、もう許さない。」などと言い出して、甲女を(片野マンションの)和室から追い出した。

以後、甲女は、台所で、花奈と一緒に寝るようになった。しかし、甲女は、松永の怒りを買うようなことは何もしていなかった。いま思えば、由紀夫(清美さんの父)の時も殺害直前ころは由紀夫と一緒に生活させられていたから、松永は、殺すつもりでいる相手の監視役をさせていたのかもしれない〉

清美さんも、花奈ちゃんがやがて殺害されることを予見していたのである。
〈甲女は、花奈を殺した後は、死体解体をするのは緒方しかいなくなるため、今度は自分も手伝わされると思い、嫌な気持ちであった〉

連日の虐待によって、〈花奈は特に体調の不良を訴えることはなかったが、身体は痩せ、常に無表情だった〉という状態になっていた。論告書は殺害前日の出来事について、以下のように説明する。

〈花奈殺害の前日である平成10年6月6日ころ、松永は、緒方に対し、「花奈ちゃんも、死にたいと言っている。」と言った。これに対し、緒方が、「殺すんですか。」と尋ねたところ、松永は、「まだ、はっきり分からん。」と答えた〉

何故正確に殺害日が割り出された?

しかしこの日、松永は緒方に向けて、「明日から東篠崎(マンション)に移動する」と話している。これまで、緒方一家が殺害されてきたのは、すべて片野マンションでのこと。

つまり、彼が東篠崎マンションに行くということは、自分が関わりのない状態で、「花奈ちゃんを殺害しろ」ということの暗示でもあった。

そして6月7日、松永の指示によって、花奈ちゃんの命が奪われることになるのだ。その日付が明確な理由について、判決文には“わざわざ”次のようにある。

〈花奈が平成10年6月7日に殺害されたことは、緒方はその日付けを確かに記憶している上、「知人の誕生日(7月6日)の逆」と自分に言い聞かせていたことからも確かである〉

本旨からは少し外れるが、この花奈ちゃん事件については、松永と緒方の逮捕後に、捜査本部が立件(4回目の逮捕)した、“最初”の殺人事件であるということに考えが及ぶと、小さな疑問が生まれる。

というのも、私自身がこれまでに記しているのだが、松永と緒方が花奈ちゃん殺人容疑で再逮捕された2002年9月18日時点では、緒方は黙秘を貫いていたはずなのだ。関係者の間では、彼女が自供に転じたのはその次の孝さん事件での逮捕(5回目の逮捕、同年10月12日)以降のこと。

つまり、花奈ちゃん事件で逮捕された時点では、「知人の誕生日」云々の話はしていなかったことになる。そこで、花奈ちゃん事件での逮捕当日に、捜査本部が出した逮捕の広報文を確認すると、〈逮捕事実〉は以下のようになっていた。

〈被疑者両名は、被害者を殺害することを共謀し、平成10年6月7日ごろ――〉
こちらでは「ごろ」との表現は付くが、それでも正確な日にちを割り出している。この時点で松永と緒方の犯行について証言していたのは清美さんだけのはずだが、後の公判で彼女が日にちに触れた供述はない。

いったいどのようにして、捜査本部が緒方の自供なくして日にちの特定に至ったのだろうか。もしくは緒方がじつはその時期には自供していたが情報は秘されていた可能性も含めて、些末な疑問ながら、気になったこととして、ここに記しておく。

取材・文/小野一光

『完全ドキュメント 北九州監禁連続殺人事件』(文藝春秋)

小野一光著

2月8日発売

2,420円

576ページ

ISBN:

978-4-16-391659-0

福岡県北九州市で7人が惨殺された凶悪事件が発覚したのは、2002年3月のことだった。逮捕されたのは、松永太と内縁の妻・緒方純子。2人が逮捕された2日後に現場入りを果たして以来、20年間にわたってこの〝最凶事件〟を追い続けてきた事件ノンフィクションの第一人者が徹底的に描く、「地獄の連鎖」全真相。
全576ページにおよぶ決定版。

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