脱原発に向かうためのネット論壇の課題。佐々木俊尚「『落ち着くところに落ち着く』では、日本社会は進歩しない」

週プレNEWS / 2012年7月10日 13時0分

自分の考えを「世間」や「みんな」といった大きな主語に置き換え、発言に力を持たせる“太宰メソッド”について指摘するITジャーナリストの佐々木俊尚氏

昨年3月11日の東日本大震災の発生直後、テレビや新聞、携帯電話などの情報網が遮断された被災地で、その力が実証されたツイッターやフェイスブックなどのソーシャルメディア。しかしその後、誰も真偽を確かめないままにデマ情報が拡散されたり、意見の違うユーザー同士の罵り合いが目立つなどの“負”の部分も明らかになってしまった。

インターネット、特にソーシャルメディアのそうした問題点は、原発をめぐる議論においても露呈している。「ネット論壇」の黎明期からその可能性を追い続けてきたジャーナリスト・佐々木俊尚(としなお)氏の目に、この“混沌”はどう映っているのか?







***

■「みんな」を主語に置く“太宰メソッド”

―福島第一原発事故から現在の再稼働についての議論まで、ソーシャルメディア上で起こったことをどう見ていますか?

佐々木 事故直後の段階では、一部の科学者や専門家が意義のある議論をしていたんですが、それが大きく広がることはなかった。その後、放射線のリスクや原発の再稼働についても、ツイッターなどでは建設的な議論がしづらい状況がずっと続いています。ネットはいい意味で「異なる意見がぶつかる場所」だったはずなんですが、今の原発関連の議論に関しては、ほとんどうまく作用していないと言っていいでしょう。

―なぜ、そうなってしまったのでしょうか。

佐々木 もちろん、大変な事故が起きてパニック状態になったこともあるでしょう。しかしそれを差し引いても、ネット上には「自分の考えこそが正義で、それ以外は認めない」という狭い価値観を持つ人がかなりいました。

事故以前、多くの日本人は原発について立地地域と電力会社、政府に任せるだけで興味を持っていなかったはずです。しかしそれを棚上げにして、政府や電力会社は絶対的な加害者、自分たちはそれにだまされた被害者という構図が出来上がってしまった。

―その結果、“被害者”が非常に攻撃的になっています。

佐々木 ネットの中では同じような意見を持つ人だけが1ヵ所に集まり、議論が積み重なるのではなく偏ったままどんどん過激化する“サイバーカスケード現象”が起きる。これは、憲法学者のキャス・サンスティーンが2001年に書いた『インターネットは民主主義の敵か』で指摘していたことです。

今の状況も、まさにこれだと思います。ソーシャルメディア上でも、ある時期から反原発のクラスタ(集団)が固定化されていき、ほかの意見を受け入れない雰囲気が醸成されました。

―ただ、彼らが自分たちの意見を言うのも自由ですよね。

佐々木 もちろん。原発の再稼働についてもさまざまな意見があるのは当然です。先ほどは一部の人たちの「自分たちの意見しか認めない」姿勢を指摘しましたが、一方で、カウンターというか、「それは違うんじゃないの」と言う人があまり出てこないのも問題だと思います。いや、むしろこちらのほうが深刻かもしれない。

―「言わない」というか、「言えない」というか……。

佐々木 すべてが可視化された今のソーシャルメディア上では、ある意見に反論すると、またそれに対して反論されます。それが建設的なものならいいですが、今の原発の議論では“罵倒型”の声が大量に飛んでくる。それがわかってくると、どうしても反論しづらくなりますよね。

また、ネットスラングで“太宰(だざい)メソッド”という言葉があります。太宰治の『人間失格』の一節からきたもので、自分の考えを「世間」や「みんな」といった大きな主語に置き換え、発言に力を持たせるやり方です。「みんながおまえを批判してるぞ」と言われると、それがたったひとりの声でも、まるで孤立無援のような錯覚を覚えてしまう。





―そもそも、ネット上に限らず日本人はディベートに慣れていないといわれます。

佐々木 物事をロジカル(論理的)に考えてこなかったツケがきているんだと思います。特に“温度差”を前提とした議論に慣れていない。総中流、みんなが等質だった社会では、マスメディアがあらゆる議論を代替していた部分があって、国民はとりあえずそれに乗っかり、選挙のときだけ意思表示をすればよかったんですね。

ところが今、グローバリゼーションが進行して富が失われ、中産階級が没落して格差が広がり、マスメディアは議論の場としての機能を失いつつある。となると、われわれはその場その場で議論するしかないんですが、そんなときに原発やTPPなど“きれいな答え”がないような問題のなかに突然投げ込まれてしまった。

結局、この10年ほど続いている社会の分断に原発問題が火をつけたということなんだと思います。もしかしたら、サイレントマジョリティは「落ち着くところに落ち着く」としか考えていないかもしれませんが、それでは日本社会は何ひとつ進歩しない。

―現に、原発問題の議論も膠着(こうちゃく)して一向に進んでいません。

佐々木 ソーシャルメディアにも期待はしていましたが、結局、今のように罵り合いと無関心の両極端になってしまっては、何を言っても無駄に終わる。残念ながら、それが私のこの1年余りの総括です。絶望感というか、徒労感しか残らなかった。

ソーシャルメディアの登場以前も、『2ちゃんねる』やブログなど、ここ10年間で「ネット論壇」のようなものが形成されてきました。批判的な声もありましたが、私はずっと応援してきた。ほかのメディアよりもずっとロジカルだと思っていたからです。

―でも、今はそのロジカルな部分が欠落してしまっている。

佐々木 ネット世界が懸命につくり上げてきたロジカルな言論空間が“生理的な嫌悪感”にものすごい勢いでかき消され、のみ込まれてしまった。それは原発問題にとどまらず、ほかの問題にも波及している感すらあります。

“生活保護叩き”もそうでしょう。ロジックではなく、感覚的な嫌悪感で他者を叩くことを是とする世界。この10年間、ネット論壇について語ってきたことはなんだったのかな……という気さえするというのが正直なところです。

―この“分断”を解決するには、どうしたらいいんでしょう。

佐々木 もちろん、まっとうな議論をしている人もたくさんいるわけです。それをどうまとめ、整理していくのか。まともな議論が行なわれている場所を可視化する「装置」をつくることが、ひとつの解決策かもしれません。

例えば、アメリカには『ハフィントン・ポスト』というネット新聞があって、そこではそれぞれのイシュー(論点)について著名ブロガーやコラムニストが闊達(かったつ)な議論を交わしています。このように建設的な意見を良識ある人たちが抽出すれば、ノイズに過剰に引きずられることも少なくなる。

―「みんなでワーワー言い合う」ことだけが正解ではないと。

佐々木 大事なのはプロセスです。きちんとした議論の目的は、必ずしも結論を求めることだけではない。議論のプロセスによって、その問題についてみんながいろいろな角度から考えることが大事なんですよ。そうなれば、多数決では否定されてしまうような少数派の意見も取り込めるわけですから。

(取材・文/コバタカヒト 撮影/高橋定敬)

■佐々木俊尚(ささき・としなお)



1961年生まれ、兵庫県出身。88年、毎日新聞社に入社し、警視庁捜査一課などを担当。99年、アスキーに移籍。『月刊アスキー』編集部デスクなどを経て、2003年、退職してフリーに。IT分野を中心に幅広く取材を行なう。最新刊『「当事者」の時代』(光文社新書)のほか、『ブログ論壇の誕生』(文春新書)など著書多数



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