今、あらためて考察する “エヴァをつくった男” 庵野秀明

週プレNEWS / 2012年11月25日 11時0分

11月17日に公開された『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』は、公開わずか4日で動員100万人を突破、都市部の劇場を中心に満席状態が続いている。

1995年にテレビシリーズが放送開始されて以来、今もますますファン層を広げている“エヴァ”という物語。しかし、若い読者諸氏の間では、その総監督を務める庵野秀明=「ひたすらエヴァをつくり続けている人」という印象があるのではないか?

そこで今回、庵野秀明という男の、ひと言では語りきれない「作家性」と意外な「人間性」をあらためて考察してみたい。

***

庵野秀明が生まれ育ったのは、山口県宇部市。工業コンビナートが立ち並ぶ風景は、エヴァで描かれた「第三新東京市」そのものだ。ここで、庵野は幼い頃に観た『ウルトラマン』(66~67年)に強烈なインパクトを受け、特撮や『宇宙戦艦ヤマト』(74年)などのアニメ作品を貪るように観たという。

本人もたびたび「僕らの世代はオリジナルなものなんて基本的にはないことを認めるべきです」(『週刊プレイボーイ』97年8月12日号)と語っているように、初めて8ミリカメラで自主制作アニメをつくった高校時代から彼の作品には過去の特撮・アニメ作品の影響が色濃い。

しかし、彼がほかの同世代の作家より抜きんでた映像をつくることができる理由を、アニメ評論家の藤津亮太氏はこう分析する。

「庵野監督の優れた部分は“目の良さ”です。細部までモノを観察してその本質を捉え、アニメーションとして再現できる。その能力は、26歳のときに作画監督・原画として参加したアニメ映画『王立宇宙軍 オネアミスの翼』のロケット発射シーンでも遺憾なく発揮されています。その“目の良さ”があるからこそ、過去の傑作を自分の中に取り込み、新たな作品を作ることができるんですね」

『オネアミス』の後、OVA(オリジナルビデオアニメ)『トップをねらえ!』やテレビアニメ『ふしぎの海のナディア』などの監督を務め、業界やアニメファンから高い評価を得る。そして95年、いよいよ初めて企画したオリジナルテレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』を世に送り出すことになるのだ。

この作品によって「人生を変えられた」と語り、今では重度のアニメファンとして知られる杉作J太郎氏が熱弁する。

「あのアニメからは、つくり手である庵野さんの頑固なまでの作家性を感じました。テレビアニメという集団作業の世界で、あそこまで正直に自分の面白いと思えるものを打ち出しているさまは痛快でしたね。特に97年夏の劇場版(『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』)では、みんなが大好きな綾波レイを地球規模で巨大化させてしまった……。僕はあれを観たからこそ、『ああ、綾波さんはアニメの世界から解放されて、なんでもありの存在になったんだな』と思い、むしろ自分のすぐ隣にいる存在のように感じられたんですね」

かねがね、自分が憧れる作品は「パンツを脱いでいるもの(=自分をさらけ出している作品)」と公言してきた庵野。しかし、思う存分に自分をさらけ出したテレビシリーズと、それに続く劇場版をいったん完結させた時点で、彼は「冷蔵庫の中が空っぽになってしまった」ような状態になる。さらに、劇場版ですでに実写カットを取り入れていたように、よりリアルなものをつくるためにはアニメーションの表現では限界があると感じ、実写映画の制作へと傾いていった。以降、少女漫画原作のテレビアニメ『彼氏彼女の事情』を除き、大きな仕事はすべて実写作品という時期が2000年代半ばまで続く。

■技術論ではなく“志”でエヴァを再生

その後、07年公開の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』で再び庵野はエヴァの世界に帰還するのだが、その前に彼の人間性にも触れておこう。

庵野が映画『風の谷のナウシカ』(84年)に参加したことをきっかけに、今に至るまで定期的に会う関係だというスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーは、こんなエピソードを語っている。

「なんで会っていたかというと、彼は契約の相談に来たんです。(中略)そのときに(庵野が)いつも考えていたのは、入ってきたお金をどうやってスタッフに配分したらいいのか。そういうところには、すごく気を使う男なんです」(『キネマ旬報』2007年9月1日号)

また、前出の藤津氏も彼の現場指揮官としての才をこう表現する。

「アニメ監督とは、“説得業”です。自分の欲しい画(え)を人に描いてもらうんですから、スタッフを動かす能力がないとできない。中小企業の社長に近い感覚でしょうか。だから、庵野さんの作品がどれだけ私的に見えたとしても、好き勝手にやってるわけじゃなく、それだけ他人を説得して、いい仕事をしてもらうのがうまいということなんです」

しばらくは実写を中心に活動していた庵野だが、07年、「閉じて停滞した現代には技術論ではなく、志を示すことが大切だと思います」「誰もが楽しめるエンターテイメント映像を目指します」というすがすがしい所信表明とともに、再びエヴァの監督としてわれわれの前に還ってきた。

かつて、“経済効果300億円”ともいわれる社会現象を引き起こしたエヴァは、庵野が離れていた期間にもパチンコ機種への移植などで新たなファンを増やし、とてつもなく大きなコンテンツになっていた。これまでに公開された2作の“新劇場版”は、いずれもさまざまな記録を打ち立て、特大のヒット作となった。

そして現在、新作『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』を観るために、多くの若者たちが映画館に足を運んでいる。その姿は、かつて『宇宙戦艦ヤマト』を観るために徹夜で劇場に並んだ、青年・庵野秀明の姿に似ているかもしれない。

(構成/西中・レイ・賢治)

■週刊プレイボーイ49号「今、あらためて考察する“エヴァ”をつくった男”庵野秀明」より 



【関連ニュース】

週プレNEWS

トピックスRSS

ランキング