「日本維新の会」橋下・石原タッグは失敗だったのか?

週プレNEWS / 2012年12月25日 6時0分

石原太陽との合流で、地域政党としてのアイデンティティもあやふやになったと指摘される日本維新の会。政治経験のない上西小百合氏が藤村修官房長官を破るなど、近畿圏では強さを発揮したが……

先の衆院選で、「日本維新の会」は54議席(小選挙区14、比例区40)を獲得し、57議席に沈んだ民主党と肩を並べる国会第3勢力になった。大健闘にも見えるが、政界通たちの評価は微妙だ。

「勝ちとも負けとも呼べない。微妙な結果」と言うのはテレビ朝日コメンテーターの川村晃司氏だ。

「初の国政選挙で比例区40議席は大したものです。大阪など、近畿圏での得票ぶりはすごい。地域政党としてスタートしたのに、よくぞここまで戦ったというのが率直な印象です。ただし、その評価はあくまでも地域政党としてのもの。全国政党としては見劣りします。代表の石原前都知事のお膝元である東京の小選挙区で1議席も確保できなかったなど、近畿圏以外ではパッとしなかった。まだまだ全国区になりきれていないことが露わになってしまいました」

確かに衆院選前、石原氏も橋下氏も「第三極じゃない。第二極になるんだ!」とぶち上げていた。それがわずか3議席差とはいえ、民主に後れを取ることに。しかも、連立与党を組む自民と公明の議席数は衆院定数の3分の2となる320を超えている。つまり、野党の助けを借りなくても参院で否決された法案を再び、衆院で可決できる。

大阪府市統合本部の特別顧問で、元経産官僚の古賀茂明氏も言う。

「維新は自分たちが賛成や反対に回ることによって法案の成立を左右するキャスティングボートを握れませんでした。これでは、国会で存在感を示すことは難しいでしょう」

では、どうしてこんな「微妙な結果」になったのか。政治評論家の浅川博忠氏は、その原因は橋下維新と石原太陽の「不純な結婚」にあったと指摘する。

「選挙直前、橋下維新と石原太陽は合流しました。このとき、石原氏は『小異を捨てて大同につくべき』と呼びかけましたが、その意味することは政策は小異だから二の次、玉虫色でけっこう。それよりも大同、つまり選挙に勝つために数合わせをやろうということ。この『不純な結婚』が維新のつまずきの始まりでした」

橋下氏と石原氏は似て非なる存在。威勢のよいタンカ、強いリーダーシップ、ビシビシと物事を決めるなど、その政治手法は似ているが、原発、TPP、増税などの政策では真逆だ。

前出の川村氏や古賀氏も、浅川氏の意見に同意する。

「誰の目にも維新は石原太陽の“イースト維新”と橋下維新の“ウエスト維新”に分裂していると映るでしょう。当然、選挙も分裂含みで、開票センターを東京と大阪別々に設営したことはその象徴です。このイースト維新とウエスト維新の溝が最後まで響きました」(川村氏)

「石原氏との合流は橋下維新にとって明らかにマイナスでした。石原氏との政策不一致が話題になるたびに、維新の支持率は伸び悩んだ。今回の衆院選で維新が取った54議席の内訳は維新系が40、太陽の党系が14です。でも橋下維新なら、石原氏とタッグを組まなくても単独で40以上の議席は獲得できたはずです。それどころか、石原太陽が強引に候補をねじ込んだため、あと1、2選挙区の調整を残すだけだったみんなの党との選挙協力はご破算に。おかげで維新とみんなは、21の小選挙区で共倒れするはめになってしまいました。もし維新がみんなの党と選挙協力を維持していれば、さらに10議席前後の上積みも期待できたはずです」(古賀氏)

一方、元『ニューズウィーク日本版』編集長の竹田圭吾氏は別の視点で“維新の失敗”を語る。

「維新は国政に進出するのが早すぎた。私はそう思っています。大阪という地方自治体が抱える問題を大胆な手法で解決するとどうなるか? そのモデルが完成すれば、それを見た別の都道府県がまねをするし、中央も地方分権について本気で考えざるを得ない。しかし、完成する前に国政に打って出てしまった。また、石原太陽と合流することで地域政党としてのアイデンティティもあやふやになりました。もったいなかったですね」

国政進出のタイミング、石原太陽との合流、そのどれもが橋下維新にとって逆風になったということか。この結果が、橋下市長のつまづきの始まりにならなければいいが……。

■週刊プレイボーイ1・2超特大合併号「橋下&石原率いる『日本維新の会』はどこへ行く?」より



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