G-SHOCKの生みの親が明かす誕生秘話

週プレNEWS / 2013年2月18日 5時0分

「G‐SHOCKの強度は自分でも想定外(笑)」と伊部菊雄氏

“腕時計は薄くて壊れやすい”という概念を覆したG-SHOCK。今年4月に30周年を迎えるG-SHOCKの生みの親であるカシオ時計事業部の伊部菊雄(いべ・きくお)さんに、そのタフな開発秘話を聞いた。

「32年前、私は毎月提出することになっていた新企画の提案書に悩んでいました。そんなとき、高校の入学祝いでもらった腕時計を不注意で落とし、壊してしまったんです。でも、その瞬間、なぜか感動したんですよ。時計って落とすと本当に壊れるんだと」

──その体験がきっかけで?

「そうです。『落としても壊れない丈夫な時計』と企画書に1行だけ書きました。でも、どうせボツになるだろうと思っていたら、するっと通ってしまって。とりあえず実験を始めようと、人目の少ない会社の3階のトイレを実験場所に選びました。試作品の時計を約10mの高さの窓から地面に落としていったんですよ」

──トイレ? なにゆえに?

「当時は薄型時計が主流。時代錯誤の開発なので、実験中ですら同僚に見られたくなかったんです(笑)。試作品を作っては落とし、作っては落とし……。何百回と繰り返しました」

──実は世界一、“時計を落としたことがある人物”なのでは!

「たぶんそうかな(笑)。でも実験はまるでダメ。しまいに試作品がソフトボール大になる始末」

 

──ゴツいにもほどがあります。

「そこで新構造が必要と必死に考え、モジュールを守る5段階衝撃吸収構造を開発しました」

──キターー!! 今でも変わらず採用されている、5つのパーツで衝撃を和らげる構造ですね!

「ですが、その後も四苦八苦。落下の衝撃で、部品が必ずひとつ壊れる事態が延々続いたんです。例えば液晶部品が壊れたので補強したら、今度は電子部分をつなぐコイル部品が壊れてしまう。また補強しても、やっぱり別の部品が破損してしまうという、モグラ叩きのような状態に陥りまして」

──G-SHOCKプロジェクトチームのメンバーにご相談は?

「今でこそ笑い話ですが、メンバーとはけんかの毎日(笑)。『いつできる?』とせかされて、『そんな簡単にはできない!』って。結局、実現不可能とあきらめた私はある日、休日出勤し、設計ルームを片づけました。失意のまま会社のすぐ横にある公園のベンチに座り、ぼーっとしていたんです。すると、ふと楽しそうにボール遊びをする子供が目にとまりました」

──哀愁漂います……。

「ところが突然、そのボールの中に浮かぶモジュール(時計の心臓部)をパッと思いついたんです。浮遊状態なら高所から落としても衝撃が内部に伝わらない。これが劇的な解決策となり、5段階衝撃吸収構造と点接触で支える浮遊構造を開発できたんです」

──そして、ついにG‐SHOCKが誕生!

「83年4月12日にファーストモデルが店頭に並びました。たった1行の企画書から2年後のことです。退職も覚悟していたので、達成感よりも解放感が強かった」

──けれどセールスは何年も好調とはいえない状態だったとか。

「転機はアメリカで放映されていたCM。アイスホッケーのパックの代わりにスティックで思い切り叩くという演出で、G-SHOCKのタフさを表現したものでした。それで視聴者から、あんなの嘘だ、誇大広告だ、との声が高まり、あるアメリカのテレビ番組で強度実験が行なわれたんです。そこではスティックで叩くのはもちろん、なんと2tトラックに踏まれても耐え切ったんですよ」

──全米にその屈強な雄姿を見せつけた! 当然、伊部さんはしてやったりなわけですよね?

「いえいえいえ! 私が一番びっくりしましたよ(笑)。なんで壊れないか不思議で不思議で」

──いやいや、ご謙遜を。

「本当なんですよ。今でもG-SHOCKの強度には私自身が一番驚いていますね(笑)。開発段階ではトラックを使った実験なんてしていませんでしたし、普通に考えて、あんな衝撃に耐えられるわけはないでしょう?」

──おぉ~! G-SHOCKとは生みの親の想像をも上回る、モンスター時計だったんですね!!

(取材・文/昌谷大介 照井琢磨 牛嶋 健[A4studio] 撮影/下城英悟)

●伊部菊雄(いべ・きくお)



1952年11月15日生まれ、新潟県出身。76年にカシオ計算機入社。現在はG-SHOCK普及を使命とし、G-SHOCKイベントでのプレゼンなど世界を舞台に活躍

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