震災から2年。石井公太(ノンフィクション作家)×TOSHI-LOW(BRAHMAN)対談【完全版】「全力の良心、全力の善意で、今日一日を懸命に生きる」

週プレNEWS / 2013年4月13日 12時0分

石井公太氏(左)とTOSHI-LOW氏。言葉をもつ者は今、何を語り、何を書き継いでいくべきか―?

全身全霊、孤高のロックバンド、BRAHMANのTOSHI-LOW。世界の貧困や宗教、戦争を静謐(せいひつ)な筆致で描くノンフィクション作家、石井光太。言葉で闘い、生き抜いてきたふたりは、風化しつつある震災の記憶と傷痕を前にして、今、どんな言葉を紡ぐのか―。

■焼け焦げた街で何を思ったか

TOSHI‐LOW いやぁ、石井さん……全然、年下に見えないんだよなぁ(笑)。

石井 申し訳ないです。オッサンっぽいですからね(笑)。

TOSHI‐LOW もうホントに最初、どこぞのオヤジがって、ビックリしたもん(笑)。やっぱそれはルックスが……そういうツラをしてる方が、取材のときに便利とかっていう理由で?

石井 いえいえ、全然。単純に薄くなってきたから坊主にしただけです(笑)。

TOSHI‐LOW なんだ、何か意味あんのかと思った(笑)。

石井 ヒゲは両方ツルツルだと寂しいんで、ちょっと生やしてるっていう程度の話で……。TOSHI‐LOWさんのそのスタイルは何か狙いがあるんですか?

―ちなみに今日は「GAUZE」っていう、かなりハードコアなバンドのTシャツですね。

TOSHI‐LOW ヒドいでしょ。この格好で子供の授業参観行ってきたんだから、さっき(笑)。でも、狙いなんかないよ。こういうボロッボロなルックスで、労働者階級の言葉で権力に対してリベラルにガーってデカい音鳴らしてたバンドが青春時代に好きだったから、そのまんまの格好してるだけの話でさ。

石井 そうですか。僕、昔から歌手やバンドのライブに集まる若いファンに対して、うらやましさがあるんですよ。

TOSHI‐LOW えーっ。

石井 僕がやってるノンフィクションって、よくも悪くもすごく高尚だし、1500円とか2000円っていう高い値段の中で初めて成り立つビジネスなんです。言わば、インテリの所有物である要素が非常に強い。でも僕が本当にやりたいのは、自分が見た現実を伝えながら、誰かの人生を変える価値観を提示したいということなんです。もっと言うと、中学生とか高校生とか、これから社会をつくっていく若い人たちに一生忘れられないような記憶を与えたい。

TOSHI‐LOW それができれば幸せだね、物をつくる者として。

石井 頑固なオッサンの人生はなかなか変えられないんで(笑)。そういう意味では、多感な年齢のファンにしっかりと作品を届けられるっていうのは素晴らしいことだと思うんですよね。

TOSHI‐LOW 歌っちゃえばいいじゃないですか(笑)。

石井 いやいや、このルックスで歌ったら、松山千春になっちゃいますから(笑)。




―TOSHI‐LOWさんは普段、ノンフィクションをよく読まれるんですよね。

TOSHI‐LOW そうだね。だから、俺のなかではノンフィクションがインテリの所有物だなんて、そんな悪い響きは持ってない。逆に小説とかフィクションは好きじゃないんですよ。なのに、自分の歌ってるものも最終的には作り物だっていう歯がゆさというか、自覚もあって。やっぱり事実やイメージがスッとまっすぐ伝わるものの強さって絶対あると思う。

石井 お互いに、ないものねだりってことですかね(笑)。

TOSHI‐LOW そうかもね(笑)。石井さん、アジアのスラム街みたいなとこに取材行くときはどんなカッコしてるんですか?

石井 いつもこんな感じですよ。襟付きのシャツにジャケットで。ある程度はキレイな身なりしてるほうが、取材相手の信用を得やすいっていうのはあるかもしれない。被災地の取材も基本はこんな感じの格好で行くことが多いです。

―なるほど。ここから本題に移って行きたいなと。3.11から2年が経って、少しずつ震災が過去のものになりつつあるように思えるんです。今回はミュージシャンとノンフィクション作家それぞれの立場から、あの日以来どんな思いで言葉を紡いでいるのか、そしてこの先、震災の記憶や傷跡について何をどう伝えていくべきかを語っていただけたらと思います。

まず、おふたりは震災直後から現地に入って、この2年間ずっと取材活動や復興支援に深く関わってこられましたよね。そもそもの動機から聞いていいですか?

TOSHI‐LOW そうっすね。やり方は全然違うと思うけど。石井さんはホント早かったんじゃないですか? 本を読ませてもらったけど、震災の3日後にはもう三陸に向かってるわけでしょう。

石井 僕の場合はノンフィクション作家っていう仕事なので、何か起きたらそこへ行くっていうのはやるべき当然のことなんです。例えば「津波で人が亡くなった」って聞いたときに、経験や印象でなんとなく理解した気にはなれる。でも、実体を伴ってない。現場を見ないことには人が亡くなるという重みを理解することはできないし、書くことはできませんから。

TOSHI‐LOW なるほど。

石井 それに、震災直後の「自主規制」も何かが変だった。ほとんどの人が実際に被災地で起きたことを見たわけでもないのに、「外食もテレビもすべてダメ!」みたいなことを言い出しましたよね。

TOSHI‐LOW 酒飲んでるだけで非国民扱いされるような感じとかね。俺も違和感あったな。「気持ち悪いな、みんなで見張りっこすんの」っていうさ。




石井 規制がいい悪いじゃなくて、実体を伴わない、現実と乖離(かいり)した言葉だけがどんどん先行していくことに違和感がありました。

TOSHI‐LOW でも結局、どう現実と乖離してるかっていうのは、東京にいたって何もわからないよね。

石井 えぇ、それですぐ仕事を全部キャンセルして向かって。『遺体』という本にも書いた釜石の遺体安置所を中心に、福島から岩手の沿岸を転々としてましたね。

TOSHI‐LOW 俺はね、地元が茨城なんですよ。だから最初は石井さんみたいに壮絶な現場ってわけじゃなくて。国道が壊れて北茨城市っていう町に取り残されてた、友達の生後まもない娘と奥さんを迎えに行くってとこから被災地に入ったの。そっから戻ったら、今度はいわきの友達から「物流が止まって食糧が届かない」「俺たちは国に見捨てられた」って連絡が入って。3号機が爆発した直後だったんだけど、取りあえず支援物資を車に積んで、地元の仲間と一緒に向かった。

―じゃあ最初はバンドマンの看板を背負ってというよりは……。

TOSHI‐LOW うん、まずはひとりの人間として、純粋に友達のためにね。とにかく餓死するような人がいなきゃいいっていう思いだけだったから。でも当時、「音楽は無力だ」なんて勝手に悲観的になってるミュージシャンがいっぱいいてさ。

石井 「音楽なんて不謹慎だ」っていう批判もありましたしね。

TOSHI‐LOW ちゃんちゃらオカシイやと思って、それで「俺は災害対応型のミュージシャンですから」みたいなことを取材か何かで話したんだよね(笑)。

石井 どういう意味ですか?

TOSHI‐LOW いや、ちょっと嫌味で言ったんですけど、普段、「みんなファミリーだぜ」なんつってる面々が、一般市民をかき分けて一目散に西へ逃げてくのを見てたから。それで安全圏から「頑張れニッポン」とか「ひとつになろう」とか呼びかけたりさ。「なんだよ、ソレ?」と思って。

石井 たしかに、すごく空虚な言葉が飛び交ってましたもんね。

TOSHI‐LOW ミュージシャンっていろんな考え方あると思うけど、俺はライブハウスで叩き上げでやってきたようなさ、ガラの悪い先輩バンドマンたちから教わった部分がデカいから。やっぱケンカじゃないけど、何かことが起こったらそこに駆けつけて当然だろってのがあるもんで。









―バンドマンの中でもイチ早く動いたのが、タトゥーを全身に入れた、ハードコアな音楽をやってる人たちだったのは印象的でした。






TOSHI‐LOW そうそう。震災から3週間後ぐらいかな、札幌のSLANGっていうハードコアバンドからちょうど電話もらったんで、菓子積んで三陸行ったんですよ。そしたら、360度全部焼け焦げた街の真ん中にポツンと俺らだけみたいな状況で。山と積まれた瓦礫(ガレキ)とか引っくり返った船とかさ、目には入ってくんだけど、その時何を感じたかっていうと……正直よくわかんないわけ。

石井 ……そうかもしれない。

TOSHI‐LOW でもその時に一個だけわかったのは、「あぁ、俺は生きてるんだな」っていう。絶望的な景色の前で、自分は生きてるんだっていう思いだけが煌々(こうこう)と湧きあがってきたんだよね。そこで初めて、「生きてる者として俺は何をすべきか」って必死に考えたんだと思う。

石井 それは少なからず僕もそうでした。ひょっとしたら、あの場を訪れた多くの人が考えたかもしれない。でも人間、圧倒的な現実を前にしたときっていうのは、それに対して精いっぱいの、全力の良心の中で手を尽くすっていうことしかできないんですよ。僕が見た釜石という街であれば、遺体搬送班への辞令を突然受けた市の職員は、さびだらけのダンプカーで遺体を安置所に運ぶしかなかったし、警察から遺体安置所での検案を頼まれた町医者は、運ばれてきた遺体を必死で検案するしかなかった。僕だって、その現場でそれらの作業を手伝いながら、何が起きているのかを見つめることしかできなかったですから。

TOSHI-LOW 全力の良心ってすごく的確な言葉だと思う。後輩のバンドマンに「俺も行きたいんだけど不謹慎じゃないですか?」って聞かれたときに俺、「いいから、とりあえず行け」って。東京に蔓延してた、善とか偽善っていう議論を超えた現場感というか、全力の良心に触れて持ち帰るものはあまりに大きかったから。

■死が照らし出す人間の生の美しさ

―震災の現場と対峙(たいじ)したことは、創作にどんな影響がありましたか。

石井 たくさんありすぎて、具体的にコレとは言えないんですよね。ただ、見渡す限り360度が死の空間っていうなかで人々の言葉、善意に触れたときに、僕にはかつて感じたことがないほど人間の生というものが美しく見えたし、温かいものに感じられたんですね。

TOSHI‐LOW うん。

石井 遺体安置所で取材していたときのことです。暗くて寒くて、足の踏み場もないほど遺体が並んでいる。そこで、かつて葬儀屋に勤めていた民生委員の千葉さんという方が棺(ひつぎ)に向かって一体ずつ声をかけるんです。「寒かったね、もうすぐお父さんとお母さんが迎えに来るから待っててね」とか。こうした言葉が安置所でものすごく温かく響く。そしてその温かさがその場にいる遺された人の胸にしみわたっていく。それを見たとき、人間の言葉とか生命とかいった尊さを認識したんですよね。




―もともと石井さんは、アジアの貧困地域だったりエイズ患者の恋愛だったり、死の現場をテーマに据えて描いた著作が多いので、死というものにすごく執着されてるのかと思ってたんですが……。

石井 まったくそんなことはないんですよ。死への変な興味は一切ない。僕は基本的に人間を肯定したいし、人間賛歌を書きたい。じゃあなぜ遺体安置所やスラム街やエイズ患者を描くのかといったら、死と隣り合わせの状況に置かれると人間の生の美しさがより浮き彫りになるんですよ。つまり、命の尊さを描くために、真逆の舞台を選んでいるだけなんです。

TOSHI‐LOW 死と隣り合わせの生、死が浮き彫りにするのが生だっていうその感覚は、俺もわかるな。

―というと?

TOSHI‐LOW 別にこの震災ほどの緊張を感じたわけではないし、引き合いに出すレベルの話では決してないっていうのはあるんだけど、2003年かな、中国でライブやったことあるんですよ。ものすごい反日感情が高まってる時期だったんだけど、5000人から「死ね」って中指立てられてるような状況でステージ出てって。入口と出口が一緒で一個しかない、四方を壁に囲まれた体育館の前の会場でさ、機材をセッティングしてる途中から石とか泥の塊みたいなのがボンボン飛んでくるわけ。さすがにこれはもう終わったなって思うよね。

―本来はバンドに対してではなく、日本人に向けられた敵意を一身に受けるわけですもんね。得体の知れない恐怖じゃないですか。

TOSHI‐LOW でも逃げ場なんかないし、とにかくライブは始めたの。そしたら、1曲目歌ってる途中に、誰かが投げた生卵が完璧な放物線描いて飛んできて頭に直撃したんだよね。パッカーッて割れて。その瞬間にさ、もう吹っ切れたというか、「歌って死ねるんならそれでいいや」っていう思いがスッと一瞬でこみ上げてきて……なんかすべてどうでもよくなって。その後はもう無心で歌った。終わってパッと顔上げたら、たくさんの中国人から拍手もらってたっていうような状況で。

―なかなか想像が及ばないんですけど、死と隣り合わせの状況に立たされたことで、腹が据わった瞬間というか……。

石井 その話とも関係してくると思うんですけど、BRAHMANの歌自体が生と死というものにフォーカスしてるっていうのはすごく感じますね。

TOSHI‐LOW 俺、小学校の低学年ぐらいから「今日という日は世界が終わる一歩手前、最後の一日」っていう感覚というか、死生観みたいなものが拭いがたくあって。人間、どんだけ努力しても必ず死ぬ……たぶんそれは宇宙の本で太陽が膨張していずれ地球を飲み込んじゃうってのを読んだときに芽生えたんじゃないかって思うんだけど。でもその後も先輩が死んだり、親友を亡くしたりっていう現実に遭うたびに、自分の死生観っていうものは間違ってねぇんだっていうことを思ってきたから。

石井 なるほど。

TOSHI‐LOW だからこそ、俺は死というものを通して、生を活気づけようって、今日を懸命に生きることを歌ってきたんだけど……自分のそういう思いと社会が乖離してる感覚にだんだん陥ってきて。俺が熱く言うほど「いやいや、自分、まだまだ死なないっすよ!」みたいな、命が未来永劫(えいごう)続くような雰囲気が世の中に蔓延してた。で、「俺、浮いてるな」って感じたとき、創作の手が止まっちゃったんだよね。自分の言葉にリアリティが持てなくなった。

石井 それはいつ頃の話?

TOSHI‐LOW 自分が世間と乖離してるっていう感覚はこの10年ずっとあった。それでまぁ、2010年の終わりぐらいに遺書残すみたいな気持ちで2曲ほど書いて(『霹靂(へきれき)』『最終章』)、3.11のひと月ぐらい前はもう本気でやめるべきかなって考えてた。

―そして、3.11が起こった。

石井 誰もが死と隣り合わせの自分っていうのを自覚しましたね。

TOSHI‐LOW そう、だから俺は三陸の壮絶な死の光景を前に震えることはあっても、驚きはしなかったんですよ。想像してたより早かったけど、起き得ないことではないと思ってたから。

―3.11が、TOSHI‐LOWさんの死生観の正しさを証明してしまったというか……。

TOSHI‐LOW あまりにも犠牲が多いし、俺のアーティスト生命が終わったとしても震災なんてないほうがよかったに決まってるけど、くしくも表現者としては救われてしまったわけで。それはもう天命というか、いただいたものとして返してくしかないよね。

―天命、ですか。

TOSHI‐LOW 宗教的な意味じゃなく、自己の存在を業(ごう)で感じていくって意味でね。それに、復興支援とかに関わってくなかで気づいたのは、生きてるって感覚のなかから死を逆に照らして見据えてる自分っていうさ、昔とは逆の見方を持った己なんだよね。だからこそ「生きよう」って、今はより強く思う。

■人間として気高くありたい

石井 そういう境地に立って、歌詞を書くことに関して、何か変化っていうのはありましたか?




TOSHI‐LOW なんだろう、例えば、肉体に対する感覚っつうか。『俤(おもかげ)』っていう歌があるんですけど。「おもかげ」っていう響きでいったら普通は「面影」っていう漢字をあてるじゃん。でも何か違うよなって悩んでて、辞書を何周もめくったりしながら最後、人偏の入った「俤」っつう漢字を選んだのね。今回、石井さんの『遺体』を読んでて「あぁ、やっぱ体だよな」って納得させられたんだけど、つまり……亡骸(なきがら)に対峙する人々の描写だったり、それこそ遺体の“体”っていう漢字から立ち上がってくる力強さだったり、失われたものの「おもかげ」って、イメージじゃなくて肉体を伴ったもんだよなってあらためて感じた。









―それまで英語で書かれていた歌詞がすべて日本語になったのも大きな変化ですよね。言葉の刺さり具合いが違うというか、聴く側にとっても、より自分にとっての生や死と対峙することを求められるようになったように思います。






TOSHI‐LOW そこは絶対に逃げたくなかった。今、日本人、この国に生きる者として直接的に言葉を響かせたいってなったときに、日本語と格闘することなく、昔みたいにカッコつけて英語にしてしまったら……英語のほうがフローが乗るとか響きがいいと思うことはあるよ。でも、今それをやってしまうと、まず自分に通用しない。自分に通用しないものが、人さまに通用するわけがないじゃない。

石井 それはわかりますね。僕も『遺体』を書くとき、そうでした。この本は全編、三人称にしたんですね。自分の主義主張や意見を入れるべきじゃない、と。

―遺体安置所で人々に起こっていた事実がとにかく淡々とつづられていますよね。石井さんは、観察者ですらないというか……。

石井 もちろん自分を登場させて、泣きわめいて右往左往してる描写を入れることはできた。そのほうが、わかりやすくてインパクトのあるものになるんです。じゃあ、なぜそれを知っててしなかったかというと、それをやった瞬間に……言い方が難しいんだけど……作り手である自分の良心に嘘をつくことになる……わかるかな。

TOSHI‐LOW いや、「嘘をつく」って、すごいわかる。

石井 自分が泣いたのも苦しんだのも事実なんだけど、それを盛り込んでも、単なる作品づくりになっちゃうんですよね。自分が遺体安置所で目にした事実を言葉にするということは、結局、そこにいた人々の悲しみや苦しみをすべて背負って書くということなんです。僕はそこに、さっきも言った自分の中の書き手としての全身全霊、全力の良心と全力の善意があると信じているので。『遺体』に関しては人間の生の美しさ、その一点に絞って描きたかった。

TOSHI‐LOW 人間性が問われるよね、そこはやっぱ。

石井 だから書いてる間、事実をつづってるはずなのに、「オマエは人間としてそれを書くべきなのか?」っていう声が絶えず聞こえてきて……。

TOSHI‐LOW ノンフィクションって、そこが一番キツくないですか? いろんな技術があるなかで、邪念が芽生えたとき、自分に嘘をつきやすくなるっていうか。

―取材中も執筆中も、睡眠薬が手放せなかったと聞きました。

石井 半年間ぐらいかな、睡眠薬飲んでも1時間で目が覚めちゃうんですよ。昼間に取材した、亡くなった方とか、亡骸を前に泣き叫ぶ遺族とかが夢に出てくるんです。しかも、書くという作業はそれをもう一度全部反芻(はんすう)して、書いては消し書いては消し、描写していく作業なので。

TOSHI‐LOW へたすりゃ、取材のときよりつらいでしょ。寝れねぇどころの話じゃなくて、病むよね。




石井 でも、逃げられない。その遺族の叫びや涙に触れてしまった以上、自分は書くことでしか責任を果たせないんです。死んでもいいと思って書いてるんで、毎回。

TOSHI‐LOW だから本が面白いんだよね。命がけだもん。ノンフィクションってエグいものを克明に描写して叩きつけるような人もいるけど、石井さんの文章はすごく、人間として気高くありたいって意志を感じる。俺も歌って死ねるなら本望だし、支援活動で散々「偽善者」とか言われたけど、正しいとか正しくないとかはどうでもよくて、最終的に人間としてどう動くべきかってことだけを考えてやってるから。だからやり通せる。人間との戦いっていうのは、ホント困難でしょう。

石井 でも、僕は作家という道を選んだんで。生涯、ひたすら反芻は増え続けるし、一度もほめられて嬉しいと思ったこともなければ達成感を感じたこともない。だけど書かないっていう選択肢がないんですよ、自分の中で。ものを書く理由ってそこ以外ないんです。

■癒えない悲しみ、傷を理解する言葉

―震災から2年、おふたりのような言葉を持つ者たちに求められている役割、今、語るべき言葉について考えたいんですか……。

TOSHI‐LOW 最近ね、まだ石巻は子供たちが遊べるような場所が少ないんで、地権者が許可をくれたとこに公園を造りに行ってるんですよ。そこでさ、被災した人がポツリポツリ、2年たって初めて俺に語ってくれる話とかあるんだよね。

石井 どんな話ですか?

TOSHI‐LOW その方にとってはものすごく悲しい記憶になるんだけど……それまでも自分の息子と母親が津波で流されて亡くなられたことは聞かせてもらってたんだけども、最近少しずつ、亡くなったときの光景とか遺体安置所での話を詳しく語ってくれるようになって。最初、息子さんを安置所の体育館に連れてったときは、まだ子供は自分のとこだけだったんだって。それで「せめて他の子供たちが助かってくれてよかった」って思ってたら、翌日また安置所に行くと、次から次へ、たくさん子どもの亡骸が運ばれてきて言葉を失ったって……。そういう、2年たってポロッと出てくるような話を思うと、復興どころか心の傷が元通りになるのは何年かかるんだって、強く思いますね。

石井 癒しとかっていう言葉をよく使うじゃないですか。僕は結局、癒しなんてないと思ってて。肉親を失った悲しみが30年たてば癒えるかっていったら絶対にそんなことはない。一生消えませんよ。震災で約2万人が亡くなった。家族や友人を含めると、最低でも数十万人に傷を残していることになるんです。それがこの先、長くて80年、90年は続く。

TOSHI‐LOW 長いよね。

石井 まわりにいる人間……つまり僕たちは、その傷をお互いにいろんな意味で支えていくしかないと思うんです。「震災を忘れるな」とか「震災に学べ」っていう強い言い方をしてもしょうがない。人間が生きてくためには目を背(そむ)けなければいけない部分だってあるし、捉(とら)われてては前に進めないことだってある。けれども日本がこれから復興して10年、30年、50年と歩んでいくとき、震災を思い出すためのいろんな言葉の選択肢は絶対に必要だと思うんです。それによって心の傷というものを共有したり、理解できるわけで。









―その選択肢が、ふたりが全身全霊で紡ぐ音楽や本でもある。






石井 これは『津波の墓標』という本にも少し書きましたが、陸前高田で、息子の遺体がまだ見つからない親御さんが「河原で幽霊が出た」という噂を聞いて、幽霊が現われた場所へ一目散に駆けていったんです。僕は事態が飲み込めず、「なぜ幽霊なんか探すんですか?」と聞いた。すると、「おばけでもいいから息子に会いてぇんだ」とおっしゃるわけです。ここでまわりの人間に求められるのは、「幽霊なんかいるわけない」っていうことじゃなくて「息子さん、幽霊になって会いにきたんですね」という言葉をかけてあげることじゃないかって思うんですね。

TOSHI‐LOW 悲しみとか傷に寄り添うって、そういうことなのかもしれないね。

石井 些細(ささい)なひと言ひと言が、彼らを支えることにつながるんです。でも、そうした現実が起きていることを知らなければ、かけるべき言葉は見つからない。だからどんな形であれ震災と関わった者ならば、できうる限りそれを知るための選択肢を作り続けていく責任を負っているんだと思う。でもね、最終的に僕たちの作品っていうのはキッカケにしかなり得ないんですよ。

TOSHI‐LOW うん。ひとつだけの答えじゃないよね、決してね。

石井 TOSHI‐LOWさんの言葉ににじむ「人の命ってなんだ?」とか「懸命に生きるってどういうことだ?」っていう問いかけに対して、どう考えて、どう応えていくかっていうのは受け手に委ねられるんです。作り手が結論を出すことがあってはいけない。

TOSHI‐LOW 自分が意図してない方向に受け取られたとしても、それは正しいからね。でもね、だからこそ俺たちは出来る限り崇高に言葉を紡いでいくしかないんだと思う。全力の善意、全力の良心でね。

(撮影/名越啓介)

●石井光太(ISHII KOTA




1977年生まれ、東京都出身。ノンフィクション作家。アジア各国の物乞いや障害者を追った『物乞う仏陀』でデビュー。震災直後、岩手県釜石市の遺体安置所に入って極限状態に置かれた人々の姿を克明にルポした『遺体』は、映画化もされた(現在公開中)。そのほかの著書に『絶対貧困』『レンタルチャイルド』など。最新刊は『津波の墓標』

●TOSHI-LOW




1974年生まれ、茨城県出身。ロックバンド、BRAHMANのボーカル。99年『deep/arrival time』でメジャーデビュー。震災2週間後の自粛ムードのなか、地元の水戸でライブを敢行。全国から募った飲料水や米、支援物資を自ら被災地に届けるなど、復興支援にも積極的に動く。最新作はほぼ全編が日本語で綴られた5年ぶりのアルバム『超克』




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