練習遅刻だけじゃない! 日本代表の新ストライカー、柿谷曜一朗の問題児時代

週プレNEWS / 2013年8月7日 12時0分

早くから「天才」と期待されていた柿谷曜一朗だが、練習態度が悪く、遅刻を繰り返すなど、才能を持て余していた時期もあった

ついに“天才”柿谷曜一朗(23歳)が日本代表でも輝きを放った。

日本が国内組だけで挑んだ東アジア杯(韓国)で、A代表初選出ながら韓国戦での2得点など計3得点を挙げ、優勝に貢献。来年に迫ったブラジルW杯に向け、ザックジャパンの救世主として、がぜん注目を浴びている。

そもそも柿谷は早くから将来を嘱望されていた。4歳からC大阪の下部組織で育ち、2006年にクラブ史上最年少となる16歳でトップチームとプロ契約。同年に開催されたU-17アジア選手権では中心選手として日本を優勝に導き、自身も大会MVPを獲得。さらに翌年のU-17W杯のフランス戦では約50mの超ロングシュートを決めるなど、大舞台で印象的な活躍を見せてきた。

サッカー関係者からは「いずれ日本を背負う選手」と言われ、C大阪に同期入団の香川真司(マンチェスター・U)よりも大きな期待をかけられていたのだ。

しかし、柿谷は伸び悩む。1歳年上の香川がJリーグで活躍、フル代表デビュー、海外移籍と着実にステップアップしていく一方、柿谷は才能を発揮できずにくすぶり続けた。そして、プロ4年目の09年には、練習中に首脳陣に反抗的な態度をとったり、たびたび練習に遅刻したりして、それが原因で、J2徳島への期限付き移籍が言い渡されてしまった。

当時を知るスポーツライターの浅田真樹(まさき)氏はこう振り返る。

「プレー面でも問題はありました。今のサッカーはオン・ザ・ボール(ボールを持っているとき)とオフ・ザ・ボール(持っていないとき)、いずれも質の高い動きが求められますが、当時の柿谷は典型的なオン・ザ・ボーラー。ボールを持ったときは素晴らしいけど、それ以外は待ってばかり。守備の意識も低く、全体的に独善的なプレーが目立っていましたね。勝利を求められるプロの世界でそれは厳しかった」




サッカーライターの小田尚史(ひさし)氏もこう語る。

「確かに、技術は香川を凌ぐほどでしたが、香川ほど勝利に直結するプレーはできていなかった。『俺だってやれる』というプライドはあったと思いますが、試合に出ても結果は残せないまま。おそらく、そんな現実を受け入れられなかったのでしょう。決して素行が悪かったわけではありませんが、どこか腐っていた部分もあったと思います」

実際、当時の監督は練習中の柿谷について、たびたび「集中力が欠けている」と指摘していた。

あるC大阪関係者もこう振り返る。

「チームメイトとリフティング練習をしている最中に、突然、ボールを遠くに蹴って周囲を驚かせて喜んでいたこともありました。本人は軽い冗談のつもりだったのでしょうけど、まだなんの結果も出していない若手選手のすることじゃない。まあ、ひと言で言えば子供でしたね」

当時はピッチ外でも、悪い意味で目立っていたようだ。C大阪のお膝元、長居商店街(大阪市住吉区)で話を聞くと、こんな声が聞こえてきた。

「当時、(柿谷)曜一朗の悪い噂をよう聞いたわ。練習後に体のケアもせず、ゲームセンターに直行していたとかな。あと、すごい偏食で、寮の食事も好きなものだけつまんで、あとは残しとったとか。あそこの寮長は有名旅館の元料理長やったから、出された料理がまずいわけないのに。同期の香川は全部きれいに食べとったそうや」(40代のC大阪サポーター)

だが、そんな暗黒時代を乗り越え、柿谷は見事に覚醒。今やザックジャパンの救世主との期待は高まるばかり。天才の伝説はまだまだ始まったばかりだ。

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