自動運転カーのドライバーは人間か、それとも機械か?

週プレNEWS / 2013年12月4日 16時0分

東京モーターショーにお目見えした日産リーフの自動運転カー。自動車の未来がここにあるのか?

2013年、これまで「エコカー開発」を主戦場にしてきた自動車メーカーが、新たな競争を本格化させている。それはドライバーが何もしなくても目的地まで連れていってくれるロボットカー、夢の「自動運転カー」の開発だ。

今年8月に日産がアメリカで公開実験をすると、トヨタとホンダも相次いで実験や開発計画を披露。これら3メーカーの自動運転カーを安倍首相が国会周辺で体験試乗し、東京モーターショーでもデモンストレーションが行なわれるなど、ここにきて一気に自動運転カーが「自動車の未来」を示す最先端技術として大きな注目を浴びている。

通常の運転で人間が行なう「状況の認知」→「情報の処理・判断」→「動作」をすべて、「レーダーやセンサー」→「コンピューター」→「アクチュエーター(駆動装置)」に置き換えるのが自動運転だ。ほかのクルマや歩行者の存在など、状況が常に変化し続ける道路上で正確に動作するというのだから、極めて複雑で高度なシステムが必要なことは言うまでもない。

この自動運転カーの目的は、交通事故の減少や、渋滞緩和などの交通の効率化による省エネ、そして高齢者や障害者、運転の苦手な人など、いわゆる『交通弱者』を対象にした運転支援の実現だ。

「一番は事故をゼロにするということです。そのためにこうした技術が必要だと考えています」と語るのは、日産の総合研究所モビリティ・サービス研究所主管研究員の井上秀明氏だ。

「われわれが取り組んでいるのはあくまでもドライバーをサポートする運転支援。その技術を適切な形で提供し、ドライバーに適切な形で使ってもらえれば、機械のほうが確実に人間より優れている部分があり、それが事故ゼロの実現につながると考えています」(井上氏)

確かに、機械による“運転支援”で事故は大幅に減るだろう。だが、その一方で懸念もある。自動車の運転支援や人と機械をつなぐシステムの研究に従事し、便利さの追求がもたらすネガティブな要素=便利害や、不便さがもたらすポジティブな要素=不便益について考える、「不便益システム研究所」のメンバーでもある、京都大学の平岡敏洋助教は語る。

「自動運転カーでドライバーに求められている作業は、機械が正常に動いているかを“監視”することです。これは自分で運転している状況とは明らかに異なります。当然、緊張感の維持は難しく、ほかのコトに気を取られたり、眠くなったりすることもあるでしょう。マトモな工学者なら機械に『100パーセント』や『絶対』なんて言葉は絶対に使いません。そんなコトはあり得ないからです。それでは仮に想定外の状況が起きた場合、人間が瞬時に『監視者』から『運転者』へと切り替わることができるでしょうか? 便利さを追求した完全自動運転が新たな危険を生み出す可能性は否定できません」

ただし平岡氏は、近頃多くのクルマに搭載されている自動ブレーキシステムなどの「部分的な運転支援」は、どんどん実用化し、できれば義務化するべきだと言う。

「大切なのは、ドライバーが自分の責任で運転しているという自覚を持ち、メーカーは運転支援の効果を過信しないようにきちんと説明すること。自動ブレーキが作動してから初めて、『ああ、そういえば装置がついていた』と気づくぐらいが理想です。

でも、テレビCMなどでは自動ブレーキの効果を過剰に期待させ、時速30キロ以下でしか作動しないなどの大切なことは、ほんの数秒伝えるだけ。これは大いに問題だと思いますね」(平岡氏)

井上氏、平岡助教が共通しているのは、あくまで「ドライバーは人間」であるという点。人間の運転を機械がサポートする、そこに自動運転カーが目指す「事故ゼロ」の未来がある。

(取材・撮影/川喜田 研、撮影/村上庄吾)

■週刊プレイボーイ50号「夢の自動運転カーよ、どこへ行く」より

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