Jリーグ・大東和美チェアマン×江夏豊「『まだ大丈夫』では手遅れになる。危機感を共有しなければ!」

週プレNEWS / 2014年1月15日 12時0分

同い年でともに兵庫県出身の江夏豊氏(左)と大東和美チェアマンが、競技の垣根を越えて語り合う!

昨年9月には、2020年東京オリンピック・パラリンピック開催決定に沸いた日本のスポーツ界。しかしその一方で、少子化による競技人口の減少、観客動員の伸び悩み、テレビ中継数の減少など、各競技の足元を見れば課題は山積している。

今年で80周年のプロ野球と、21年目を迎えるJリーグ―ある意味では“ライバル”として相対する日本の2大プロスポーツは、この現状をどう打開していくべきなのか? 同じ1948年生まれ、兵庫県出身のJリーグ・大東和美チェアマンと江夏豊が、競技の垣根を越えて語り合った異色の新春スペシャル対談!

■トップ不在が続く異常なプロ野球界

大東 いきなりですが、実はね、江夏さんとJリーグのすごいつながりを見つけたんですよ。

江夏 つながりですか?

大東 1993年の5月15日にJリーグが開幕したんです。その日は、江夏さんの誕生日(笑)。

江夏 365分の1の偶然でしょう(笑)。5月15日は犬養毅(いぬかい・つよし)首相暗殺(1932年)、沖縄返還(1972年)、そしてJリーグ開幕と。今年はプロ野球が始まって80周年で、Jリーグも昨年、20周年を迎えた。大東チェアマンは4代目だそうですが、もともとは“ラグビー畑”の人ですよね。最初は戸惑いもあったと思うんですが。

大東 ええ、楕円形のボールしか知りませんでしたから(笑)。

江夏 あの、どこに行くかわからんボールを追いかけていた(笑)。

大東 われわれは、球の角度なんかでだいたいわかるんですよ。

江夏 そういうもんですか。われわれは丸い小さなボールを無理して曲げたり、落としたりする仕事でしたから、全然違いますね。しかし、なんでまたラグビーからサッカーの世界へ?




大東 勤めていた住友金属工業が母体となって鹿島アントラーズができたので、Jリーグはもともと身近な存在でした。開幕当時の熱狂もよく覚えていますよ。その後、アントラーズの専務、社長を経験し、Jリーグのクラブ経営やサッカーのシステムを勉強させていただいて、縁あってJリーグのチェアマンに就任しました。

江夏 チェアマンは日本のプロサッカー界のトップ。同じ立場であるプロ野球のコミッショナーが昨年、統一球の件で問題になりましたが、率直にどう感じました?

大東 普通、コミッショナーがいなくなったら、すぐに新しい人の下で体制をつくりますよね? ところが秋に辞任されて、後任が誰もいない。空席のままでよくやっておられるなとは感じます。

江夏 野球界はおかしなもので、コミッショナーよりも12球団のオーナーの権限のほうが強いような世界なんですよ。

大東 そうなんですか?

江夏 80年の蓄積で、トップ不在でもなんとか運営できてしまうという(笑)。サッカー界ではこんなことは……。

大東 これまでそのようなことはありませんでした。チェアマンにしても、日本サッカー協会の会長にしても、不在ということは考えにくいですね。

江夏 今、J1とJ2を合わせて40チームですよね。当初の10チームから、20年でこれだけ増えたというのはすごい。

大東 今年はJ3が発足して12チーム増え、全部で52チームになります。そういう意味で、サッカーは日本でもメジャースポーツになってきたと思います。

江夏 メジャーもメジャーですよ。52もあったら、名前を覚えるのも大変そうだけど(笑)。

大東 毎年入れ替えもあるので、確かに大変です(笑)。それと、FIFAのW杯が今年も開催されますが、Jリーグができて初めて出場した98年のフランス大会から、5大会連続でアジア予選を突破していますからね。









江夏 ちゃんと育成、強化をやってレベルが上がり、着実に土台ができたという。

大東 だから、実力ある選手が海外に行っても、また新しい若い選手が出てくる。今で言えば、セレッソ大阪の柿谷曜一朗や山口螢が代表例でしょう。

江夏 野球界は80年の歴史がありながら、頂点から底辺までがピラミッド型の構造じゃないんですよ。育成のシステムがない。

大東 確かに、甲子園で活躍した選手がプロへ行く場合でも、彼らを鍛えたのは高校の先生方ですもんね。大きな違いは監督ですよ。プロ野球の監督にはライセンスなどの資格はないですよね?

江夏 ええ。極論すれば、そこらへんを歩いている人でも、球団が契約すればなれますよ。

大東 Jリーグの監督は、S級というライセンスを持っていないとできないですから。

江夏 なるほどね。野球界では過去に、プロでの選手経験なしに監督をされた方もいますよ。

大東 一軍でプレーしていないということですか?

江夏 いや、二軍でもやっていない方。その方はすごいのかもしれませんが、とにかく野球界は、何かとあやふやですね。

■わずか6年間で関心度が大幅に低下

江夏 それと、ある意味じゃ野球界よりもずっとファンを大事にしていると思ったのが、年末に会場で見させてもらった「Jリーグアウォーズ」。あれはすごかった。

大東 カッコいいでしょ?

江夏 表彰式という雰囲気じゃなくて、華やかでね。各チームのファンが数多く会場にいて、選手たちと身近に触れ合うというのは素晴らしいですよ。

大東 ああいうイベントは大切にしていますね。ただ、ファンの話が出ましたが、野球ファンも年齢層が高くなっていませんか?

江夏 よくそう言われますが、実際に球場に行くと、今も若い人はたくさんいますよ。ただ、野球人口の減少ということについては、子供さんの数自体が減っていますからね。それともちろん、サッカーがメジャーになった影響もあると思います。

大東 確かにそういう面もありますが、サッカー界も野球界も共有しなければならない危機感というのもあるんです。われわれは毎年、「スポーツ観戦への関心度」を調べているんですが、全体的に年々下降している。2006年、Jリーグへの関心度は46%だったのが、12年には30%。プロ野球も50%以上だったのが38%まで下がっているんです。

江夏 わずか6年で、そこまで数字が下がるとは恐ろしい。

大東 Jリーグは観客動員数もここ数年は下降傾向ですから、なんとかV字回復させたいということで、いろんな施策を打ってきました。その一環として、2015年度からポストシーズン制を導入することを決めました。

江夏 ポストシーズンで優勝が決まるほうが、そのときの注目度は高まると思いますよ。プロ野球もCS(クライマツクスシリーズ)という制度ができて、今のところファンの方は盛り上がっていますから。

大東 先ほどの関心度の低下は、試合の地上波テレビ中継数の減少とも比例しています。ポストシーズンは先に日程が決まっているので、中継も入りやすい。“低温やけど”ではありませんが、少しずつ下がっているときに「まだ大丈夫、まあそのうちに」などと思っていたら、気づいたときには手遅れになりかねません。

江夏 そうなる前に手を打っていく必要がある。プロ野球だって同じで、トップが何もしないでいたらどんどん下がりますよ。

大東 2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催が決まって、スポーツ界には追い風が吹いています。だからこそ、スポーツ界が一枚岩になっていろんな活動をして、世間に示していきたいですよね。もちろん、それは2020年以降も継続して。

江夏 あくまでも、オリンピックは通過点であると。

大東 そう。これを機に、国民が健康でいられるためにスポーツをやっていく、という習慣づけも必要だと思います。若いときから常に健康を意識し、それによって年老いても元気でいられる。これは非常に大切なことです。

江夏 6年後の話が出ましたが、Jリーグを将来的にどういう組織にしていきたいですか?

大東 できたら、将来的には100クラブくらいあればいいなという目標はあります。

江夏 今の2倍に増やす。

大東 ええ。しかもサッカーだけじゃなくて、総合スポーツ型のクラブを目指します。スポーツを見る人、する人、支える人、誰でも参加できる形。Jリーグ百年構想というのがありますから。

江夏 そういう遠大な計画というか、夢を持っていることは素晴らしい。野球界はもともと人気スポーツだということで、どうしてもあぐらをかいている面がありました。コミッショナー問題に関してもそう。だから、サッカー界がドーンと拡大して、野球界がいい意味で刺激を受けて、目を覚ませばいいんです。

大東 同じプロスポーツとして、共通する部分もありますからね。

江夏 ぜひそうあってもらいたい。Jリーグの今後に期待しています。

大東 ありがとうございます。

江夏 こちらこそ、今日はありがとうございました。

(構成/高橋安幸 撮影/五十嵐和博)

●大東和美(おおひがし・かずみ)




1948年10月22日生まれ、兵庫県神戸市出身。早稲田大学教育学部卒業後、住友金属工業入社。四国支社長、大阪プロジェクト開発部長、九州支社長を歴任。ラガーマンとして早大ラグビー部時代、2度の大学選手権の優勝と日本選手権の優勝に貢献。住友金属時代には日本代表6キャップ。その後、早大ラグビー部監督としても大学選手権優勝。2005年、鹿島アントラーズ・エフ・シー代表取締役社長に就任。2008年7月より社団法人日本プロサッカーリーグ理事、2010年7月29日に4代目チェアマン就任

●江夏豊(えなつ・ゆたか)




1948年5月15日生まれ、兵庫県尼崎市出身。大阪学院高校卒業後、巨人、阪神、東映(現・日本ハム)、阪急(現・オリックス)の4球団から1位指名を受け、抽選の末、66年に阪神に入団。1年目から12勝を挙げ、2年目の68年には25勝12敗、現在でも世界記録のシーズン401奪三振。71年、オールスター9連続奪三振を達成。76年に南海へ移籍すると、日本球界におけるリリーフ投手のパイオニア的存在に。その後も広島、日本ハム、西武で活躍。通算成績は206勝158敗193セーブ、防御率2.49、2987奪三振。現在は野球評論家

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