加藤嘉一「25年前の『天安門事件』こそが、中国の未来を読むためのキーポイントです!」

週プレNEWS / 2014年6月30日 11時0分

軍隊が自国民に銃口を向け、数千人が犠牲になった天安門事件。この問題を公式に“清算”できるかどうかが、中国という国家の未来を左右します。

中国で「天安門事件」が起きたのは1989年6月4日。今年はそれから四半世紀という節目の年です。

学生を中心とした民主化運動を、中国共産党が武力をもって制圧――。この“負の歴史”は、その後の中国の歩みにどのような影響を与えてきたのでしょうか。

天安門事件の後、同年11月にベルリンの壁が崩壊、12月には米ソ冷戦が終結し、東側諸国が次々に民主化。91年にはソ連が崩壊。民主主義の共産主義に対する“勝利”が宣言されるなか、中国共産党体制も近いうちに崩壊するだろう――これが国際世論の支配的な見方でした。

こうした趨勢(すうせい)に危機感を抱き、先手を打ったのが、天安門事件当時の最高権力者で武力鎮圧を断行した張本人であるトウ小平(しょうへい)です。事件から3年後の1992年、トウ小平は「南巡講話」を発表し、市場経済を強化して世界と中国の経済的なつながりを重視する方針を固めました。

ただ経済をオープンにする一方、政治的には「閉じる」方向性を強化していきます。天安門事件に関する議論はもちろん、共産党体制を脅かす可能性のある言論は厳しく締めつけられるようになった(同事件以前は、現在よりずっと自由な議論が行なわれていた)。反日感情の蔓延にもつながる愛国主義教育が強化されたのも、天安門事件がきっかけです。“開発独裁”を体現するチャイナモデルの確立によって、共産党体制が堅持されてきたといえるでしょう。

天安門事件から25年という節目にあたり、英フィナンシャル・タイムズ紙で、中国系アメリカ人学者のミンシン・ペイ氏が、「中国共産党が25年間生き残れた4つの理由」を挙げていました。

【1】強靱な経済成長




【2】洗練された社会に対する締めつけ(圧政)




【3】国家がスポンサーとなったナショナリズム




【4】社会エリートたちの取り込み

【4】について少し補足すると、共産党は社会的に影響力のある知識人や起業家たちに対し、政治的に重要なポスト(例えば政協委員)を与えてきました。すると彼らは、表立った体制批判ができなくなるわけです。

ただ、これが通用するのも今後2、3年先までだとぼくは考えます。もはや10%以上の経済成長(【1】)は見込めず、日本など近隣諸国と軋轢(あつれき)を持ち続けることで共産党を正当化する(【3】)のも無理がある。だからこそ、習近平(しゅうきんぺい)国家主席は「政治改革」(必ずしも西側型の民主化とは限りません)に向けて舵を切らなければならないと考えられるのです。

では、政治改革へ向かうプロセスのなかで、何が必要か。ひとつの解が「天安門事件という“負の歴史”の清算」です。権力基盤の弱いリーダーにはとても無理な話ですが、習近平という強いリーダーなら、その方向に舵を切るのも不可能ではない。天安門事件とはなんだったのか――そうした公開議論を政治的に許可するのが第一歩になるでしょう。

「当時のリーダーは社会の安定維持を最優先し、最後は武力を投入した。やむを得なかったとはいえ、国民に向け発砲した事実は遺憾であり、遺族や被害を被こうむった方々には心からお詫びする。この歴史を乗り越え、党と民が手を取り合い祖国の発展を追求していかなければならない」

習主席がこのようなコメントを発表したら、何が起こるでしょうか。「中国が人権保護や民主主義に歩み寄った」と、国内外から一定の評価を受ける一方、これまで中国の人権問題を国際世論に訴えてきたアメリカは、ひとつの“カード”を失う焦りを感じるかもしれない。

経済問題や領土問題のような“わかりやすい話題”ではありませんが、天安門事件は中国の未来を左右し得る重要なファクター。この問題を考察せずして中国を理解できるというなら、その理由を逆に教えて!!

●加藤嘉一(かとう・よしかず)




日本語、中国語、英語でコラムを書く国際コラムニスト。1984年生まれ、静岡県出身。高校卒業後、単身で北京大学へ留学、同大学国際関係学院修士課程修了。2012年8月、約10年間暮らした中国を離れ渡米。現在はハーバード大学アジアセンターフェロー。最新刊『不器用を武器にする41の方法』(サンマーク出版)のほか、『逆転思考 激動の中国、ぼくは駆け抜けた』(小社刊)など著書多数。中国の今後を考えるプロジェクト「加藤嘉一中国研究会」も活動中!




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