加藤嘉一「日本人にとってW杯とはなんなのか。その位置づけが問われています!」

週プレNEWS / 2014年7月14日 11時0分

ブラジルW杯で1勝もできず、惨敗に終わった日本代表。ぼくはサッカーの専門家ではありませんが、メディアも含めた彼らを取り巻く環境の“半端さ”が気になりました。

ブラジルでは今もW杯決勝トーナメントの熱戦が続いていますが、日本代表のグループリーグ敗退が決定した瞬間、ぼくはボストンから日本行きの飛行機に搭乗しており、太平洋の上空にいました。それから数時間後、成田空港に着陸し、東京の街に出てみると、もうW杯の盛り上がりなど遠い過去。人々はすっかり日常を取り戻していました。

今大会のサッカー日本代表を見てあらためて実感したのは、彼らを取り巻く“大きな環境”が極めて悪いという厳然たる事実です。

W杯本大会を前にした選手たち、特に一部の海外組は、CMやバラエティ番組への露出が目立った。タレント化です。これは選手たちを責めても仕方ありません。彼らもほとんどが20代の若者ですから、利用したい人間がチヤホヤすればいい気分になってしまうのも無理はない。

報道にしても、多くは批判精神などなく、大会前は盛り上げるだけ盛り上げる。選手のコメントをそのまま垂れ流し、強引なつじつま合わせをしてでも国民が「見たいもの」だけを見せ、「信じたいこと」だけを伝える。ポピュリズムです。それでいて敗退が決まった瞬間、驚くほど冷徹に手のひらを返し、一気に代表チームを突き落とす――。

政治報道と同様に、日本のスポーツ報道にはプリンシプル(主義・信条)というものが感じられません。本当に日本代表を強くしようという気があるのか。メディアもビジネスだという理屈はわかりますが、それなら間違っても「日本代表が強くなるために」などという美辞麗句を使うのはやめてもらいたい。

現時点で日本人にとってW杯は“お祭り”でしかない。しかし、「勝ちたい」とも思っている。こんな都合のいい話はありません。

ぼくは日本に帰国する直前、グループリーグのアメリカ対ポルトガル戦をボストンで観戦しました。後半ロスタイムにポルトガルが同点に追いつき、アメリカからすれば痛い引き分けになったはずですが、それを見ていたアメリカ人サポーターはさして悔しがる様子もなく、ポルトガルに拍手を送るのです。

「すごい包容力だね」

サポーターのひとりにぼくが声をかけると、彼はこう答えました。

「グループリーグを突破してくれたらうれしいけど、アメリカの神髄はサッカーじゃない。“自由”と“民主主義”だからね」

彼らにとってW杯は国の威信をかけた戦いではなく、純粋な娯楽。それならメディアもサポーターも勝負にこだわらず、どんな結果でもチームをたたえればいい。

一方、もし日本が本気で優勝したいのであれば、メディアは選手をタレント化することなく、国民も普段から選手や監督に厳しい目を向けるべきです。チヤホヤしておきながら、本大会でいきなり結果を求めるなど言語道断。ブラジルしかりアルゼンチンしかり、“本気”の国はメディアも辛辣(しんらつ)だし、サポーターも命がけで応援している。優勝の2文字を心の底から目指して。

アメリカのような割り切りもなければ、強豪国のような覚悟もない。自己矛盾、中途半端、本末転倒。

W杯本大会のはるか前から日本代表チームと、それを取り巻く“大きな環境”に対して厳しい声を上げてきた“少数派”の代表格であるセルジオ越後氏は、日本の惨敗を受けてこうコメントしていました。

「実力を出せなかったのではなく、これが実力だということ。これを機に選手もサポーターも、また代表を取り巻く人間、環境も変わっていかなければならない」

国際政治と同じように、それぞれの国民性が問われるW杯。あれも欲しい、これも欲しい、などという幼稚なワガママは通用しません。それでも現状を変えていく気がないというなら、その理由を逆に教えて!!

●加藤嘉一(かとう・よしかず)




日本語、中国語、英語でコラムを書く国際コラムニスト。1984年生まれ、静岡県出身。高校卒業後、単身で北京大学へ留学、同大学国際関係学院修士課程修了。2012年8月、約10年間暮らした中国を離れ渡米。現在はハーバード大学アジアセンターフェロー。最新刊『不器用を武器にする41の方法』(サンマーク出版)のほか、『逆転思考 激動の中国、ぼくは駆け抜けた』(小社刊)など著書多数。中国の今後を考えるプロジェクト「加藤嘉一中国研究会」も活動中!




http://katoyoshikazu.com/china-study-group/

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