熱すぎるペブシvsコカ・コーラ“比較広告”、仁義なき戦いの歴史を知っているか?

週プレNEWS / 2014年8月17日 6時0分

長年、世界各国で親しまれてきた(?)ペプシコーラがコカ・コーラ(以下、コーク)に思いっきりケンカを売る「比較広告」のCMが、ついに日本にも本格上陸したのがこの春だった。

小栗旬(おぐりしゅん)演じる桃太郎が巨大な鬼に挑むバージョンでは、ライバルのコークへの露骨な敵意と挑戦を表現。さらに強烈だったのが、「おいしいコーラはどっち?」というゼロカロリー対決バージョンで「61%の人がコカ・コーラ ゼロよりペプシNEX ZEROを選んだ」という調査結果を堂々とうたった。

大きな話題になったこの比較広告は、この夏も継続。今度は関西のダンサー100名へのアンケートをもとに、「60%がペプシを選んだ」という新バージョンが注目を集めている。

日本人の感覚では、これでも「露骨すぎ!」とヒヤヒヤするが、〝世界コーラ戦争〟の主戦場であるアメリカと比べれば、まだまだマイルドな口ゲンカ程度にすぎないという。

1886年発売のコカ・コーラと、1898年発売のペプシコーラ。「毎年1000以上の新銘柄が発売されるが、生き残るのはわずか3つ」といわれる清涼飲料水の世界で、100年以上も君臨してきたツートップだが、その歴史は対照的だ。常にトップランナーとして王道を歩んできたコークに対し、ペプシは第1次世界大戦前後に幾度かの経営破綻と事業売却を経験。

その後、〝増量低価格〟の戦略でシェアを伸ばすものの、第2次世界大戦でコークがアメリカ政府から「米国の軍需品」に認定され、優遇されたことにより、再び引き離されてしまった。

このようなコークの政治力を苦々しく思っていたペプシのDNAには、「打倒コカ・コーラ!」という合言葉が刻まれていった。

第2次世界大戦後、アメリカ経済の発展とともに、コーラ戦争は世界規模へと広がっていく。冷戦時代の1970年代には、米ソの対立路線を利用して、ペプシが大胆にもソ連政府と20年間の長期独占契約を交わし、同国のシェア100%を勝ち取る。ソ連と契約した初めてのアメリカ製品は、実はペプシなのだ(皮肉なことに、現在では旧ソ連エリアではコークのシェアが80%を超えているが……)。コークを標的とするペプシの比較広告「ペプシ・チャレンジ」がアメリカで始まったのは75年。それから現在に至るまで、コークの缶を踏み台にして自販機の上段のペプシのボタンを押す子供のCMなど、有名な過激広告が次々と生まれた。

この頃には、政治の世界でもコークとペプシは真っ向から対立。企業側は政治力と人気を、政治側は利益を求め、コークは民主党、ペプシは共和党とタッグを組んだ。政治家は、選挙期間中にうっかりライバル陣営のコーラを飲んだことがバレれば、それがスキャンダルとなるような事態にまで発展する。

80年代に入り、マドンナやマイケル・ジャクソンなどのミュージシャン、スポーツ選手を次々と起用したペプシの勢いはとどまるところを知らず、85年には慌てたコカ・コーラ社が、味とロゴデザインを替えた「ニュー・コーク」を発売。しかし、旧来のコークファンからブーイングが殺到し、わずか3ヵ月で従来品に戻すという〝歴史的な赤っ恥〟をかいた。

90年代に入ると、コーラ戦争の舞台はついに宇宙へと広がる。95年、コークはスペースシャトル・ディスカバリー号にコーラディスペンサーを載せ、なんと宇宙空間で飛行士たちに飲ませたのだ! かつての軍需品指定に続く必殺技〝国策戦法〟である(ちなみに、当時はコーク派の民主党・クリントン政権時代だった)。

これに対し、ペプシはお得意のゲリラ戦法で応戦。98年に「ペプシを飲んで宇宙へ行こう!」という、当時計画されていた民間宇宙旅行と組んだ壮大なキャンペーンを展開し、またも世界各国で話題を振りまいた(結局、主催会社の解散により当選者には1000万円の補償金が支払われた)。

翌99年には、長年コークと契約していたキラーコンテンツ『スター・ウォーズ』をペプシがついに強奪。キャラクターボトルキャップのオマケをつけたキャンペーンで、見事に社会現象を巻き起こしたのだ。

……そんな歴史を背景に、日本人にとっては見慣れない過激な比較広告も、業界では「ああ、ペプシならあのくらいはやるかもね」という反応。対するコークは、「まあまあ、ちょっと頭を冷やして……」と言ったかどうかは知らないが、この夏は「氷のボトルプレゼント」というキャンペーンで応戦している。

連日の猛暑もなんのその、今後もヒートアップするであろうコーラ戦争。日本人も「大丈夫か!?」とかよけいなことを考えず、他人のケンカを「いいぞ、もっとやれ!」くらいに面白がって長~い目で楽しむべし?

週プレNEWS

トピックスRSS

ランキング