マルタ島に眠る「アトランティス遺産」の驚くべき全貌とは? 【中編】

週プレNEWS / 2014年11月2日 6時0分

女神石像は頭部がすげ替え式。表情も穏やかなもの、怒った顔のものとさまざまなものが残っている

多くの説の中で今最も有力な「マルタ島周辺=アトランティス大陸」説。この島と西隣のゴゾ島では、8000年前頃から巨石神殿を中心とした古代文明が生まれたが、4000年前頃に突如として活動が止まった。

その期間に存在した「マルタ古陸」は特に豊かな土地だったらしく、その恵まれた環境から世界最古の巨石文明が生まれたという――。古代史最大の謎に迫る、シリーズ第2回!

■文明のシンボルは“豊満な女神像”

「このマルタ巨石文明は、最初の2000年間は石の道具だけを使い、後半の6000年前から4000年前にかけては銅製のノミで石のブロックを加工していました。これによって神殿の規模は時代が進むほど大きくなり、内部の彫刻や装飾品などの仕上がりも精巧になっていきました。また、銅鉱石、貴石や宝石などは、シチリアやイタリア半島、アフリカなど広い地域から手に入れていたようです」(マルタ国立博物館)

つまり、ギリシャ時代の哲学者プラトンがアトランティス伝説に記した内容と同じく、マルタ巨石文明の担い手たちは、ヨーロッパやアフリカなど古代地中海世界の広い地域へ活発に勢力を伸ばしていたのだ。

もちろん、推定5000年前頃からナイル川流域に現れた古代エジプト文明とも交流があったことだろう。そして、代々のエジプト神官たちが突然の天変地異で滅び去ったマルタ島の話を語り伝え、それが2500年前頃にプラトンの耳に入ったとしても不思議はない。

実際、そのプラトンが書き残したアトランティス伝説の中で、現代のマルタ考古学の研究成果と重なる部分はたくさんある。特に見逃せないのは、

《最初にアトランティス王国を治めたのは、神々の血筋をひく“女王”だった》

という内容だ。前述のように、マルタの巨石神殿は時代がたつほど工法の進歩で大型化し、設計も洗練されていった。ところが神殿の奥深くに「太った女神の石像」を祭る信仰スタイルだけは、4000年間を通じてまったく変わらなかった。この女神こそアトランティス王国の神聖な“女王”ではないのか?

考古ジャーナリストの有賀訓(あるが・さとし)氏によると、

「建造年代に関係なく、神殿の内部は、丸みのある大小の部屋が“女神の頭・胴体・手足”の形にレイアウトされています。これはすべての神殿に共通です。

しかも、神殿の奥深くに祭られた豊満な女神像は、高さ2、3mと巨大で、頭は“すげ替え式”になっています。たぶん儀式や祈りの内容、季節などによって別の顔に取り換えたのでしょう。

この女神像とよく似た、大きさ10cmから数十cmの土偶・岩偶は、日本の縄文遺跡にも見られます。その点から考えると、ユーラシアやアフリカの非常に古い原始信仰とも関係があるようですが、マルタ巨石文明ほど女神への信仰を洗練された宗教へ発展させたケースはほかに見当たりません。

そこまで女神信仰にこだわった理由は、やはり最初の女王が神格化され、ずっと“母系社会”が続いていたからだと思います」

古代ヨーロッパは、3000年前頃のギリシャ時代初期から“男系社会”になり、男の神様を崇める信仰が主流になった。しかしそれより前のマルタ巨石文明の時代には、女性の社会的地位が高く、財産なども母から娘へ受け継がれる“母系社会”が続いていた可能性が高い。これは次回のリポートでも重要ポイントになるので、記憶にとどめてほしい。

*明日配信予定の第3回に続く!

(写真/有賀 訓)

■週刊プレイボーイ45号「短期集中連載 古代史最大の謎を追う! 第2回 マルタ島に眠る『アトランティス遺産』の驚くべき全貌」より

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