脱出したアトランティス人が南米アンデスに渡っていた!【後編】

週プレNEWS / 2014年11月9日 6時0分

マルタ島(左)と南米で見つかったそっくりの石板が意味することとは?

1回目では伝説の“アトランティス大陸”がどこにあったのか、2回目ではその失われたアトランティス文明とはどんなものだったのかを読み解いてきたこの連載。3回目の今回は、この“失われた人々”がどこへ行ってしまったのかを解明していく。

古代アトランティス人たちは、イタリア半島に渡りギリシャ・ローマ文明につながる人たちと、大西洋に出て、南米大陸にまで移り住む人たちに分かれていた!

■ストーンヘンジもマルタ文明と関係か?

しかし、これでアトランティスの謎すべてが解けたわけではない。なぜならマルタ巨石文明の生存者には“地中海残留組”だけでなく、もっと遠方に新天地を求めて旅立った人々がいた形跡があるからだ。そして、この“地中海脱出組”の行動が「アトランティス王国は大西洋に沈んだ……」という、ひとつの根強い臆測を生んだのではないか。

「その根拠は“アトランティスはヘラクレスの柱(ジブラルタル海峡)の西側にあった”という古代エジプトの言い伝えですが、一方でプラトンはアトランティス王国の首都を海上交通の一大中心地として紹介し、“その王国は10に分かれ、それぞれ広い領土を所有していた”と記していることにも注目すべきです。これはアトランティスが一大陸の分割統治ではなく、いくつもの海外植民地から成り立っていたことを意味しているのではないでしょうか。

このプラトンの記述はマルタ巨石文明にも当てはまります。マルタでは6000年前頃から、当時の地中海地域では手に入らない針葉樹の巨木を神殿の屋根の補強材に使っていたり、硬い青銅合金に必要な金属鉱石、各種宝石・貴石類などを、気候と地質条件がまったく違う各地から集めていました。つまり、4000年前に天変地異が起きる前から行き来していた拠点地がいくつもあり、そこへ移っていった人々がいた可能性は大いにあるのです」(考古ジャーナリスト・有賀訓氏)

実際、この世界最古の巨石文明は、地中海地域だけでなく西アフリカと西ヨーロッパの大西洋沿岸地域、北極海に近いアイルランド島やグレートブリテン島、もっと沖合のカナリア諸島、アゾレス諸島、アイスランドにまで、植民地のように海外拠点地を広げていた痕跡がある。

その痕跡とは、北大西洋地域に数多く残る謎の巨石遺跡群だ。一例を挙げると、推定5000年前頃にアイルランド東部海岸近くの丘陵地に造られた「ニューグレンジ遺跡」は、マルタ島のいくつかの神殿と同じく、1ヵ所しかない入り口から冬至の朝日が最も奥の部屋へ差し込むように設計されていた。しかも、入り口前にマルタ島とゴゾ島の神殿と同じ「渦巻き文様」を彫った巨石が据えられていた。年代と照らしても、このニューグレンジ遺跡はマルタ巨石文明最盛期の建造物だと考えるのが妥当だろう。




となると、近年の年代測定で、建造開始年代が同じく5000年頃と判明したグレートブリテン島の「ストーンヘンジ」なども、マルタ巨石文明と深い関係があったと考えられる。

「つまり、マルタ巨石文明が5000年以上前から大西洋側にも展開していたこと、そして巨大災害を生き延びた人々が、その海外拠点地ヘ移住するためにヘラクレスの柱から西の海へ船出したこと、このふたつの情報が、古代エジプトを経てプラトンの耳に届く1500年間のうちに、いつの間にかアトランティス王国が大西洋に沈んだという伝説に変わったのではないでしょうか?」(有賀氏)

その地中海脱出組が向かった先として想像できるのは、祖先の時代から行き来があった北大西洋地域だ。だが、4000年前から2000年前頃にかけて、地球気候は急速に寒冷化した。そのため、温暖な地中海育ちの集団が、わざわざ北極圏に近い地域へ移住したとは考えにくい。この寒冷化時代には、ユーラシア北部からも多くの民族が南部地域へ移り住む動きが強まったほどだ。となると、地中海脱出組のなかには大西洋をさらに南へ進み、南米大陸の方角へ針路を向けた人々がいたとしても不思議ではない。

■マルタ島と南米でそっくりの石板が

前述したニューグレンジ遺跡の入り口前に見られる「渦巻き文様」は、マルタ島とゴゾ島の神殿遺跡に刻まれた文様とそっくりで、これは「マルタ=アトランティス文明」の生き残りが移住してきた大きな物証になる。

古代人が、視覚を幻惑させる渦巻きのモチーフに「呪力」を感じていたことは間違いなく、太古から世界各地で、建物や洞窟の壁、祭りの道具、装飾品、人体など、実にさまざまな場所に渦巻きが描かれてきた。

当然、マルタ古陸の神殿や巨石記念物にも、数多くの渦巻き文様が彫りつけられた。そのなかでもマルタ巨石文明は独特なデザインの渦巻き彫刻を残している。それは高さ1mほどの平たい長方形ブロックの四隅に、ひとつずつ渦巻きを彫りつけた不思議な「石板」だ。

この「四隅渦巻き文様石板」には渦巻きの向きが“時計回り”と“反時計回り”の2種類があり、それぞれ何か違った意味を込めて彫られたようだ。とにかくこの石板は、現在の考古学でもマルタ巨石文明の宗教哲学を解き明かす重要遺物に位置づけられている。




ところが驚くことに、この石板とうりふたつの造形物が、別の地域にも存在していた。

それはマルタ島のはるか南西、「南米大陸」のさらに最果て、海抜4000mを超す「アンデス高地」だ。その石板の実物を目にした有賀氏は、こう説明する。

「マルタと同じデザインの石板が20世紀後半の考古調査で見つかったのは、チチカカ湖近くのボリビア高地平原にある遺跡地帯“チリパ”と“テイワナコ”でした。どちらも詳しい年代は未確定ですが、推定3700年から3500年前に建てられた古い石造神殿内部から発掘され、それぞれ今は別の博物館に展示されています。

このアンデスの石板を私が初めて見たのは11年前。そして4年前にマルタ島の神殿で同じ石板を見たときは、しばらく唖然(あぜん)として力が抜けました。調べた限り、この2ヵ所の古代神殿以外に同じ遺物は存在しません。また石板のデザインの一致は決して偶然ではなく、その宗教的な意味もまったく同じなのです」

地中海マルタ島からチチカカ湖までの距離は約1万2000km。マルタ=アトランティス文明の終焉から推定300年~400年後に、なぜ時空を超え酷似した「四隅渦巻き文様石板」が南米アンデス高地に出現したのか? その謎解きは、次週にお伝えする。

*続編「第4回 アトランティス『渦巻き文様石版』に隠された秘密」は週刊プレイボーイ47号(11月10日発売)に掲載!

(写真/有賀 訓 『ETRUSCAN PLACES』(SCALA)より一部画像転載)

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