【先生がビビる】“ほぼ日本人ベトナム人”が語る! 外国人親あるある9選!

しらべぇ / 2014年11月20日 6時0分

皆さんの身の回りに「日本生まれ・日本育ちの外国人」の友達はいますか? 彼らは中身こそ、皆さんと変わらない日本人ですが、一つ、大きな違いがあります。それは、当たり前ですが「親が外国人である」こと。親が外国人ゆえ、その子供達が恥をかくことは意外と多いもの…。

今回はそんな「外国人親あるある」を、生まれも育ちも日本で、両親がベトナム人である筆者の阮が紹介したいと思います!

■親の名前をめっちゃ聞かれる

外国人の親を持つ我々にとって、これはもはや「挨拶」ですね。朝になれば「おはよう」と言うのと一緒です。度が過ぎると、親の名前が自分のアダ名になることも。

■授業参観でみんな自分の親を探す

我々にとって、授業参観は鬼門そのもの。この日だけ、自分の親がクラスメイト達の「ウォーリー」と化します。「阮くんのお母さん、あの人じゃね?」「いやいや違うよ、あの人だよ!」流石に赤いシマシマの服は着てこないですし、日本人でも顔が濃い方がいたりするので、意外と隠し通せたりします。

■お弁当の中身を友達に「何これ?」と言われて、初めて日本料理でないことを悟る

家では日本料理もベトナム料理も区別なく出てくるため、筆者には日本料理とベトナム料理の線引きがあまりわかりませんでした。そのため、友人に指摘されて初めて気付きます。僕は中学3年生まで、「豚の耳ときくらげが練りこまれてて外側がゼラチンでなんだかプルプルしてるハム的な何か」をずっと日本料理だと思っていました。ちなみにその食べ物の写真が、コレ。

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なんだか「うにょうにょ」ってしてますが、食べてみるととっても美味しいので、ベトナム料理屋さんで探してみてください。

■先生の「帰ったらお父さんに聞いてみなさい」が全く通用しない

筆者が中学三年生だった時のこと。政治・経済の先生「1970年代の日本の経済成長はスゴかったんだぞ~。みんなも帰ったらお父さんに聞いてみなさい」

(帰宅後)
筆者「70年代、お父さんは何してたの?」
お父さん「…戦争かな」
※1970年代はベトナム戦争末期

世代が一緒でも、いる国が違えば全く通じません。

■「日本特有の文化を調べる系授業」にめっぽう弱い

中学校一年生の時のこと。日本史の先生「家紋を調べてきなさい」

(帰宅後)
筆者「おかあさーん、うちの”カモン”って何?」
お母さん「”come on!”だって?親に向かって何よその口は!アンタの方が来なさい!」

こうなります(笑)

■聞き返しのセリフが「ん?」でも「え?」でもなく「はっ?(Hah?)」

セールスマン「(ピンポーン)すいませーん、新しい保険の紹介で本日…」
母「はっ?(純粋に聞こえない)」
セールスマン「し、失礼しました…」
母「はっ?(状況が飲み込めない)」

おそらくセールスマンも表札を見て「阮さん…うわー…もしかして外人かも、どうしよう…」と既にビビっていますから、そこにきて「はっ?」と言われてしまったら、もうひとたまりもありません。HPが赤の状態で「はかいこうせん」をくらうようなものです。

■担任が家庭訪問でめっちゃビビる

小学校4年生の担任が新米教師だった時のこと。

先生「阮くんのお母さん、日本語大丈夫?」
筆者「大丈夫だと思いますよ」
先生「あー、良かった。先生、昨日心配でTOEICの単語帳買っちゃったんだよね(笑)」

もはや小学校での英語教育は、先生にも必要な時代なのかもしれません。いよいよ最後のあるあるです!

■言い間違いがひどい

筆者の父は「ヨーグルト」と言う時、乳酸菌つながりで「ヤクルト」がつい脳裏をよぎるんでしょうね、「ヤーグルト」と言ってしまいます。また、筆者の母はアパレルブランド「GU」を読む時、「ジーユー」の音の感じだけ残っているんでしょうね、これを「グーグー」と読んでいます。もはやコレに関してはただドジなだけな気もしますが(笑)

さて、いかがだったでしょうか!この記事を読んでいる方のほとんどは日本人だと思いますが、もし「日本生まれ・日本育ちの外国人」の方と会うことがあれば、その時は是非、彼らの「親あるある」を聞いてみて下さいね!

(文/しらべぇ編集部・阮 http://sirabee.com/author/quochi_nguyen/ )

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