第1回「女子高に通っていたあのころ」

ソーシャルトレンドニュース / 2019年3月22日 12時46分

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第1回「女子高に通っていたあのころ」

劇団「ゴジゲン」所属の俳優であり、脚本家・善雄善雄さんが、
“永遠のオトナ童貞のための文化系マガジン・チェリー”にて初の連載をスタート。
ゴジゲン主宰の松居大悟も認めながらも、劇団公式のゴジブログ以外では、なかなか目にすることができなかったその文章の才能。
1985年生まれの善雄さんが「卒業」できない“あの頃”を、繊細さの上に笑いをまぶして紡ぎます。

はじめまして、善雄善雄と申します。よしおぜんゆう、と読みます。ごく身近な人間ですら読み方を間違えるので、覚えていただけるとは正直思っていません。なんか変な名前のやつがいる、ぐらいに認識いただけたなら幸いです。

この芸名は、小劇場という世界で活動している「ゴジゲン」という劇団に一昨年所属になったときから名乗り始めました。演劇も水商売の一種ではあるため、つまりは源氏名のようなものかもしれません。
ちなみに同じ劇団には、「最強」というミドルネームの男もいます。フルネームは「本折最強さとし」。さぞかし強いと思われるでしょうが、最強は昨年、ちょっと転んだだけで骨折しました。


(※別の日、瓶のふたを開けようとして指をケガした最強)

そんな一部変な名前もいる劇団で俳優をしたり、脚本を書いたりしながら僕は生きておりまして、いま現在は33歳になります。
そしてあえて言うことでもないですがこういう媒体なので一応言わせていただくと、約15年前に童貞は卒業しています。

とはいえ、童貞とは馴染みの深い人生を送ってきました。

数年前まで自分で作った劇団の主宰などもしていたのですが、その旗揚げ作品のタイトルに童貞というワードを入れていましたし、今の劇団に関わるようになったのも10年以上前にたまたま主宰の松居大悟が僕の出ていた舞台を見に来て「すごく童貞っぽかったです!」と声をかけてきたのがはじまりですし(※別にそういう設定でもなかった)、先日まで地元富山で公演をしていたのですが、そのオーディションの応募用紙に「童貞役をよくやってました」とネタで書いたところひたすらその辺りを面接でいじられたという記憶しかないのに不思議と受かっていました。

挙げ句に、初めての連載がこのチェリーです。なんど卒業したはずの童貞に呼ばれるのか。いい加減、本当の意味で卒業をしたいものです。
「あと何度自分自身卒業すれば 本当の自分にたどりつけるだろう」
尾崎豊が「卒業」の中でそう歌っていますが、本当に、何度。

そんな卒業といえばですが、僕には、定期的に見てしまう夢があります。
それは、通っていた高校から卒業できない、という夢です。

高校の教室で、僕は制服を着て席に座っている。
ふと、あれ?おれはもうとっくに卒業してるはずだよなという現実の記憶が蘇ってくる。
しかし、すぐにその記憶は、その場所にいることに辻褄を合わせるように塗り替えられ、そうか、卒業できなかったんだ、まだこれからもこの高校に通わなきゃいけないんだ…という絶望に変わります。

目が覚めて、それが夢とわかっても、その日はなんだか後ろ暗い気持ちになります。

ああ、まだ自分は、あのころのトラウマから抜け出せていないのだ、と。


僕の通っていた高校は、女子高でした。

これは別に元女子高が共学になったわけでも、とある目的のため女装をして女子高に潜り込んだ、という漫画みたいな設定でもありません。あれは漫画だからバレないだけだ。現実はバレる。現実を舐めてはいけない。

ただただ、僕の高校はやたらと女子が多いという状況でした。そうなった原因はあくまで推測にすぎませんが、県内でも制服がかわいいと有名な高校だったため女子の受験者が殺到し、某医学部のように入試で女子の点数だけ下げるという絶対にやってはいけない行為も当然ですがしなかったため、40人ほどのクラスのうち男子はわずか10にも満たず、あとは30人以上の女子がひしめき合う、少しばかり特殊な比率の環境が生まれていました。

この事実を身近な男性に話すと、「うらやましい」、とよく言われます。
おそらく僕も当事者でなければ、まるでハーレムのような学園生活を想像し、同じ感想を口にするでしょう。

ですが当時の自分にとっては…地獄だとしか思えませんでした。

たくさんの女子達。その内訳は、圧倒的多数のいわゆる「ギャル」と呼ばれる人達で構成されていました。
ギャルの定義の詳しいところはわかりませんし、定義付けたいわけでもないのですが、個人的な感想として彼女たちには「思ったこと全部言う」という特徴がありました。
あついさむいだるいうざい。
これを口に出すと世界にどう影響を与えるか、逡巡する時間など限りなくゼロ。ただ頭に浮かんだ言葉は言う。言いたいから言う。しかも大きな声で言う。あますところなく、言う。
その上人数も多いため、お互いが共鳴し合い、まるでベビーベッドに横並ぶ赤ちゃんの一人が泣き出すと周りの全員が泣き出してしまうように、彼女たちの声はそれはもう、どんどんと大きくなっていきました。

ある朝のこと。ホームルームで教壇に立った先生が、

「昨日学校に手紙が届きました。原文のまま、読みます」
と前置きしたのち、

「次、騒いだら殺す」

と、そのわずか一行の手紙を、静かなトーンで読み上げました。

学校の外でも彼女たちの声の大きさはとどまるところを知らず、ついにはそれに怒った危ない人から殺害予告が届いてしまった。
今なら警察も介入すべきの大問題案件ですが、なぜか当時はそういう流れにならず、そればかりかその予告を聞いたギャルたちは、またしても大きな声で笑い転げていました。


そんな高校生活の、2年になったばかりの頃。

コミュニケーション下手の上、運動苦手、演劇部でたった一人の部員という浮く要素しかない状態だった僕は、この頃にはもう友達も作らず、新しいクラスの中でも透明であることに徹し、毎日が早く終わることだけを願っていました。

そんなある日、数人のギャル達が椅子を寄せ合い、教室の真ん中に円の陣形を作りました。
そうして始まったのは、新クラスの10人に満たない男子達を出席番号順に品評していく、という悪魔の所業のような会議でした。

男子一人一人の1年生時及び中学時代の情報を共有し合い、そのまま現在の容姿などにも言及し、男としての価値を結論付けていく地獄のコンテスト。
たまたま教室の隅の席に座っていた僕は、聞こえてくる内容のあまりの残酷さにすぐさまその場から離れたい気持ちでしたが、「今動くと不審に思われる」などの危機感から逃げることもできず、ひたすら机に突っ伏し、寝たふりを決め込むしかありませんでした。

番号順に一人ずつ、「そんな悪くない」、「よくわかんない」などの意見が飛び交い、男子によっては「顔がビーバーに似ている」という雑及び最低の結論でまとめられ、そのまま迫る自分の番に耳を塞ぐこともできず、身動き一つ取れぬ時間が続いていきました。

そうして訪れた、僕の番。
円陣の中にいた女子の一人が、僕の名前が出た瞬間、

「えっ、あの人キモい」
と言いました。

あついさむいだるいうざい。そして、キモい。彼女たちの言葉は、そのほとんどが形容詞。

そしてその形容詞に、ずんっ、と、心臓のあたりを殴られたような気がしました。

そしてその意見に、周りのギャルたちも同調していき、
「なんとかだからキモい」「それはキモい」

「うんキモい」

「キモーい!」

といった具合に、音量は少しずつ大きくなっていき、
僕は寝たふりをしたまま、身じろぎ一つもできぬまま、ただただその声が止むことだけを祈っていました。


あのころのことを思うと、いまだに少し、冷や汗が滲みます。

卒業してだいぶ経ったある夜、友人と車で高校の近くまで行きました。
夜の校舎を見つめながら、尾崎が歌ったように窓ガラスを壊して回ろうかとも思いましたが、そんな勇気もありませんでした。

僕は尾崎みたく生きられないし、15年以上前のあの場所から、卒業できないままでいます。

(文・善雄善雄)

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