目的はブラックホールの映像化 次世代の「EHT」は21世紀科学の革新的コラボ
sorae.jp / 2023年4月24日 20時45分
2019年4月、「イベント・ホライズン・テレスコープ(Event Horizon Telescope:EHT)」は「おとめ座」にある楕円銀河「M87」の中心部に存在する超大質量ブラックホール(超巨大ブラックホール)の撮像に成功したとする成果を発表し、その画像を公開しました。ブラックホールの撮像は史上初の快挙であり、世界中を驚かせたことは記憶に新しいところです。
EHTは単一の望遠鏡を指しているのではなく、地球上の何千キロも離れたところにある複数の電波望遠鏡を結びつけることで、地球サイズの仮想の望遠鏡を構成するプロジェクトです。この方法は「超長基線電波干渉計(Very Long Baseline Interferometer:VLBI)」として知られています。史上初となったM87のブラックホールの撮像の際には、世界6か所の望遠鏡が共同で観測に当たりました。
現在、科学者たちはその先を見据えて、ブラックホールの高品質な映像の作成を目的としたプロジェクト「次世代のイベント・ホライズン・テレスコープ(The next generation Event Horizon Telescope:ngEHT)」に取り組んでいます。ngEHTでは新たな望遠鏡の建設も含めて、観測地点の数を約20か所に増やそうとしているとのこと。望遠鏡を増やせばより正確な情報が得られ、天体の細かな部分まで見分けることが可能になるからです。
この野心的なngEHTプロジェクトは、21世紀における科学の変化を示唆する意味でも画期的です。プロジェクトは自然科学だけでなく、社会科学、人文科学の視点も結集した最初の大規模な物理学的コラボレーションになるといい、技術部門のワーキンググループ3つと科学部門のワーキンググループ8つで合計300人以上の専門家が必要とのことです。
2023年2月、ngEHTの歴史、哲学および文化に関するワーキンググループは、人文科学・社会科学分野の学者が天体物理学者やエンジニアとプロジェクトの最初の段階からどのように連携できるかを概説した画期的なレポートを発表しました。このレポートでは、「共同による知識形成」「アルゴリズムと視覚化」「哲学的な議論」「責任ある望遠鏡の設置」という4つの重点分野に焦点が当てられています。
この4つの分野について簡単に説明します。
「共同による知識形成」とは「みんながうまく協力するにはどうすればいいのか?」という問いに置き換えることができます。300人を超えるメンバーが一緒に科学論文を書く様子を想像してみてください。他の誰かと論文を共同執筆したり、研究などの作業をしたりしたことがある人ならば、それがどれほど難しいことかわかるでしょう。
例えば、論文に掲載する内容はどのように決めればよいのでしょうか? 結論は著者全員が同意したことしか載せられないのでしょうか? もしそうなると、ありきたりで骨抜きにされた論文しか発表できなくなるかもしれません。また、科学のブレークスルーを支えている科学者の個人的な創造性はどのように扱えばよいのでしょうか?
このような疑問を解決するには、コンセンサスを促進するだけはでなく、反対意見も表明できるように、全員の関与が可能なかたちで共同研究を進めることが重要です。共同研究メンバー間の信念や実践の多様性は、科学の進歩にとって有益です。
「アルゴリズムと視覚化」では、ブラックホールのイメージングがメインテーマになっています。ブラックホールの画像や映像にどのような色を付けるかの選択は、最終的に視覚文化の影響を受けます。
EHTが2022年5月に公開した、天の川銀河の中心にあるブラックホールに対応する天体「いて座A*」の画像作成には、オレンジ色が選択されました。
実際には、オレンジ色や黄色の炎よりも青い炎のほうが高温であるにもかかわらず、ブラックホールの周辺にある物質が高熱であることを伝えるために、多くの人たちがイメージしやすいオレンジ色が選択されたと考えられます。
このアプローチは、地動説を唱えたことで知られる有名なガリレオ・ガリレイをはじめ、初期の望遠鏡や顕微鏡での観察結果を示した画像を専門家でない人々にもわかりやすいように芸術的な手法と組み合わせていたロバート・フック(※1)、ヨハネス・ヘヴェリウス(※2)らの歴史的な実践につながるものといえるでしょう。
※1:ロバート・フック(Robert Hooke、1635 – 1703)はイギリスの自然哲学者(科学者)で、弾性に関する「フックの法則」を発見したことや、顕微鏡で生物を観察し、その最小単位を「cell(細胞)」と名付けたことで知られています。
※2:ヨハネス・ヘヴェリウス(Johannes Hevelius、1611-1687)はポーランド、ドイツの天文学者で初期の月面図を作成したことで知られています。
ブラックホールの映像は理論物理学者にとっても大きな関心を呼ぶものになることでしょう。しかし、形式的な数学的理論と理想的な仮定が通用しない実験の世界との間には大きなギャップが存在します。
そのような仮定の一例が、ブラックホールに関する「無毛定理」です。無毛定理とは、「ブラックホールは質量、電荷、角運動量の3つ物理量(つまり「3本の毛」)のみで記述できる」という定理で、他の天体のように多くの複雑な要素(つまり「毛むくじゃら」の要素)から成り立っているのではないという考え方です。無毛定理は安定したブラックホールに適用され、最終的に定常状態に落ち着くという仮定に依存しています。
「哲学的な議論」は、数学的理論と現実世界のギャップを埋める上で役立ちます。哲学者は、物理学者が現象について抱いている可能性のある根本的な仮定について、真実を見逃すリスクや誤りを犯すリスクなどの認識論的なリスクを考慮して吟味することができます。
関連:ブラックホールの“4本目の毛”?「渦度」を持つ可能性が示される
「責任ある望遠鏡の設置」も、ngEHTの目的の一つとして推進されています。これまで望遠鏡が建設される場所の選択は、天候、大気の透明度、アクセスの可能性、コストなどの技術的および経済的な条件によって決定されてきました。その一方で、建設地の地域社会への配慮が欠如していたケースもあります。ハワイのマウナケア山に設置される予定の「TMT望遠鏡(Thirty Meter Telescope:30メートル望遠鏡)」に対する先住民らの抗議活動は、その一例といえるでしょう。
いっぽうngEHTでは、新しい望遠鏡の設置場所を選択する際に科学や工学の専門家のみならず、哲学、歴史、社会学、コミュニティ支援の専門家も結集し、文化的、社会的、環境的要因を含む方法で意思決定プロセスに貢献しようとしています。
ngEHTのような野心的なプロジェクトでは革新的なアプローチが必要であり、21世紀の科学がどのように進化しているかを示す刺激的な実例となることでしょう。
本記事は、Sophie Ritson氏(メルボルン大学)とNiels C.M. Martens氏(ユトレヒト大学)が「THE CONVERSATION」に寄稿した記事「A unique collaboration using a virtual Earth-sized telescope shows how science is changing in the 21st century(地球サイズの仮想望遠鏡を使用したユニークなコラボレーションは、21世紀に科学がどのように変化しているかを示しています)」を元にして再構成しました。
Source
Image Credit: EHT Collaboration、University of Arizona, David Harvey/ESO, CC BY、Biodiversity Heritage Library, CC BY THE CONVERSATION - A unique collaboration using a virtual Earth-sized telescope shows how science is changing in the 21st century MDPI(Multidisciplinary Digital Publishing Institute) - The Next Generation Event Horizon Telescope Collaboration: History, Philosophy, and Culture文/吉田哲郎
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