【宇宙医学コラム】宇宙食の歴史と発展、そして未来
sorae.jp / 2020年11月22日 20時45分
こんにちは、外科医の後藤です。
以前お伝えした「宇宙食」の話題ですが、最新の研究報告や話題を踏まえアップデートしてお送りします。
宇宙での食事には、生命および健康維持のためだけではなく、味や香りによる閉鎖環境でのストレス軽減や、気分をリフレッシュしパフォーマンスの維持・向上といった非常に重要な役割があります。
この宇宙での食事がどのように発展してきたか、さらに未来の宇宙食を目指してどのような研究開発が進められているのかをお話します。
宇宙食の歴史と発展宇宙食は米国とソ連で有人宇宙飛行が始まった1960年代から工夫され、進化を続けてきました。
有人宇宙飛行開始当初の宇宙食は、一口サイズの固形食や、歯磨きチューブのような容器に入ったクリーム状の、栄養素は含まれるものの味気ないものであったそうです。
それから技術の進歩により、現在では非常に多彩なメニューが考案されるようになりました。
例えば、レトルト食品やフリーズドライ食品(スープ、ライス、スクランブルエッグなど)、半乾燥食品(ドライフルーツ、ナッツ、クッキー、ロールパンなど)、生鮮食品(リンゴ、オレンジ、バナナ、ニンジン、セロリなど)が食べられるようになっています。
地上で食べているほとんどのものが宇宙で食べられるようになりましたが、水分や小さなカスが飛び散らないよう、飲み物はパックでストローを使ったりなど形態や食べ方には注意が必要です。
宇宙日本食に認定された食品は現在45品目で、地上でもなじみの商品がフリーズドライ化されたりなど宇宙環境に適応させた形となって提供されています。
日本は伝統的に「食」に関連する技術や分化が強く、医学・栄養学の分野では世界的にも高い技術をもっています。
この「食」という分野の強みを生かし、世界初の宇宙食料マーケット創出を目指して研究開発型のベンチャー企業を支援しているのが、2015年に創設されたベンチャーキャピタル(VC)、リアルテックファンドです。
2019年には”Space Food X”がスタートし (2020年”SPACE FOODSPHERE”へ)、日本を代表するフード企業や研究機関が集結して藻類培養・細胞培養肉・自動収穫ロボット・3Dフードプリンタ、閉鎖環境の物質循環技術などの技術を結集し、世界一の食のソリューションを作ろうとしています。
この宇宙食料マーケットのビジネスとしては、食料生産技術をもった会社が機器・モジュールメーカーに販売をし、そのメーカーが宇宙で食料ビジネスを展開する会社にモジュールを販売します。
地球上から素材を取り入れながら生産し、現地にいる人に食べてもらい、宇宙旅行者は旅行業者に代金を支払い、旅行業者は宇宙食料業者に現地運用委託費用として支払います。
2040年には月面に1000人が居住するとすれば、この宇宙食料マーケットは数千億円の市場規模となると推計されています。
資源が極限に少ない宇宙環境での生活を目指して発展した技術は、食糧問題や資源不足などの課題を抱える地球上でも十分に活用できる技術になるとされています。
地球上の食料生産においても限りある資源が使われていることに変わりはなく、さらに生産・加工・流通といった過程で二酸化炭素などの温室効果ガスを排出しているため、食料を無駄なく効率的に利用する技術は地上での社会・経済・環境面での持続可能性の実現のために重要です。
実は、全世界で生産されている食料は年間40億トンと数字の上では全人口を賄える量があるのですが、途上国では収穫された作物の管理技術や流通システムに問題があり、先進国では消費者が買いすぎたり余りが大量に捨てられることで、およそ1/3が無駄になっているとされています。
2020年7月時点の国連食糧農業機関(FAO)の報告では、現在地上で11人に1人、約7億人が飢えに苦しんでいるとされており、この食料生産の効率化の技術と、食品ロスを減らすことの両面からのアプローチが重要と考えられます。
廃用性筋萎縮に有用な、機能性宇宙食の開発微小重力による筋萎縮のメカニズムは、以下の通りです。
地上の通常重力で筋肉は、絶えず合成と分解を繰り返しそのバランスが維持されることで筋肉量が維持されています。
一方で、寝たきりや微小重力など機械的負荷が減少する環境では、筋タンパク質合成が抑制されると同時に分解が亢進し、筋萎縮が進展します。
この筋タンパクの合成と分解のバランスを保つのに重要な役割を果たしているのが、インスリンに類似した成長因子であるinsulin-like growth factor-1(IGF-1) シグナルです。
そして、この筋肉量維持に重要なIGF-1シグナルを阻害するのが、ユビキチンリガーゼ (Cbl-b)というタンパク質です。
このCbl-bの作用を抑える食材として、大豆たんぱく質の有効性が示されています。
また微小重力による筋萎縮には酸化ストレスも関連することが明らかになってきており、抗酸化物質として大豆イソフラボン・玉ねぎに豊富に含まれるケルセチンなどのポリフェノールに注目が集まっています。
さらに微小重力に有効な機能性宇宙食の開発を目指して、徳島大学で「宇宙栄養研究センター」が設立されました。
ここでは「機能性宇宙食開発ユニット」と「宇宙植物工場開発ユニット」の2つの組織が連携し、3大栄養素(たんぱく質・脂質・糖質)が豊富で抗筋萎縮作用を有する大豆に注目し、紫外線LEDを用いた殺菌システムを用いて完全閉鎖型(宇宙用)LED植物工場の開発が進められているとのことです。
宇宙では微小重力のほか宇宙放射線により人体に様々な障害が起こり得ますが、それらの障害を軽減し得る機能性食材の開発は有人宇宙開発に大いに貢献するものと考えられます。
そのほかに機能性宇宙食の開発として、葉緑体を持ち光合成を行いかつ繊毛をもち動物のように動き回る「ミドリムシ」を利用したユーグレナ社の研究開発に注目が集まっています。
ミドリムシは宇宙のような強い放射線環境でも生存することができ、さらに人が生活する上で必要な59種類の栄養を持っており、理論上は白米とミドリムシだけで人間は十分生活を維持することができると言われています。
さらに、ミドリムシには微小重力や寝たきり状態での廃用性筋萎縮が軽減されることが動物実験で示されており、放射線で損傷した細胞修復効果を持つとされています。
宇宙開発においては、人が排出した二酸化炭素を吸収し、かつ栄養にもなる。さらに、細胞内にパラミトロンという炭水化物の顆粒を持っており、バイオ燃料として利用できるほか免疫機能の向上にも作用するため、実に様々な用途に使うことできます。
このミドリムシを低コストかつ大量培養し、藻類のグリーンスープや培養肉のメリメロステーキなどの食材の開発も進んでいるようです。
宇宙での味覚変化と最新研究「宇宙生活でも、地球と同じ美味しいものを食べたい!」というのは当然だと思います。
では、宇宙に行くと人の味覚は変わるのでしょうか?
味覚とは、下図のように舌の表面にある「味蕾(みらい)」という、甘味・塩味・酸味・辛味の4つに対する感覚受容体により成り立っています。
宇宙到着後数日間は、微小重力によって身体の体液が頭部方向に移動する「体液シフト」が起こり、顔がむくみます。
むくんだ顔は重く冷たい感触で、鼻が詰まった感じがあり嗅覚低下を来すために味蕾が効果的に働かず、味覚が落ちるとされています。
結果として食事の味が薄いと感じ、宇宙飛行士は味を濃くするためにホットソースのような調味料を求めたり、濃い味付けやスパイシーな味を好むようになったりすることが多いと言われます。
よって今後の長期宇宙滞在では、糖質や塩分の過剰を防ぐことが重要となると予想され、このことは地上の高血圧・糖尿病などの生活習慣病予防にも役立つと考えられるのです。
人間の味覚を操作する技術として、味覚を電気信号で変換し、糖分や塩分の過剰を防いだ状態で満足を感じられるような箸タイプのデバイスが開発されています。
開発者であるナシンハ博士は、電極から信号を送ることで舌の味蕾(みらい)を刺激して擬似的に味を感じさせるという装置を考案しました。
箸とお椀の2タイプが作られており、いずれも舌に接する部分に電極が内蔵されているそうです。
宇宙での塩分(ナトリウム)摂取に対する研究として、以下の報告があります。
宇宙では筋萎縮や骨量減少によってカルシウムやマグネシウム・ナトリウムなど電解質の排泄が起こり、ISS滞在中の宇宙飛行士のナトリウム出納データによると、ナトリウム摂取量は4000-5000mg/日、排出量は3000-3500mg/日となっています。
ナトリウム摂取量は1500-3500mg(食塩換算3.8-8.9g)/日が推奨されていますが、実際には6000mg超が摂取された例も確認されており、目標量と摂取量の差が大きい栄養素です。
この研究では、アルギニンに似た構造をもつ3-グアニジニルプロパノール(14)という物質が優れた塩味増強効果を示し、さらに味質が食塩と極めて近いことが東京大学の味覚サイエンス研究室によって報告されました。
今後、この物質を実際の食品に応用するための安全性試験を行っていく必要があるとのことで、宇宙と地上での食生活に減塩をもたらすことが期待されます。
宇宙での閉鎖環境と食の関係宇宙滞在時の食事への影響として、居住空間の「閉鎖環境」が指摘されています。
閉鎖空間で単調な生活が続くと、飽きが起こりストレスを感じるために食のメニューや味の変更を求めるようになることが、同じく社会から閉ざされた環境にある南極基地においても実証されているそうです。
今後の月面探査においては、1人だけが乗車できるローバーの車内で数週間生活をするといった状況も想定されており、「閉鎖環境でのメンタルヘルス維持のために、いかに食の質を高めるか」が問われています。
これは、新型コロナウイルス感染症によって集まって食事をするという人類本来の習性が制限されたり、孤食化が進んだりして精神ストレスにつながりやすい現在社会と、共通する課題ではないでしょうか。
宇宙という特殊環境での食事には、微小重力や宇宙放射線に対する生命・健康維持はもちろんのこと、地上から離れた閉鎖環境ストレスに対するメンタルヘルスケアという、両方の大きな役割が求められていると言えるでしょう。
参考文献 Ubiquitin ligase Cbl-b is a negative regulator for insulin-like growth factor 1 signaling during muscle atrophy caused by unloading. Mol Cell Biol, 2009 機能性宇宙食の開発について 宇宙・医学・栄養学 Vol.1, 篠原出版新社 味覚の宇宙観―ナトリウム摂取と塩味制御の観点から 宇宙・医学・栄養学 Vol.2 篠原出版新社 植物性ポリフェノールによる筋萎縮予防の可能性 化学と生物, 2016 無重力の筋タンパク質代謝に及ぼす影響とその栄養学的制御法 生体の科学 69(2): 118-122, 2018 読売新聞 明日への考 2020年11月8日 国連食糧農業機関駐日連絡事務所長 日比 絵里子 氏 フードテック×宇宙 日本の食は世界の先端を走れるか? マイナビニュース 林 公代 氏 SPACE FOODSPHERE ホームページ
Source: ABLab
文/後藤正幸 (Twitter)(Facebook)
「宇宙に、医療を」目標とする脳神経外科医。医療分野での宇宙ビジネス創出を目指して、日々活動中。最新の宇宙医学研究を、多くの人に分かりやすく伝える発信を行なっている。
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