中央道が「中央高速道路」から「中央自動車道」に格下げになったのはなぜ?

日刊SPA! / 2018年4月21日 8時52分

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中央自動車道

◆~不定期連載「あの日、あの道、そしていま」~

 ユーミンの名曲『中央フリーウェイ』で知られる中央自動車道は、難産の末生まれ、現在も難題を抱えつつ、最初の開通(1967年の調布-八王子間)から50周年を迎えた。

 中央道が難産になったのは、最初に計画された東京-名古屋間を結ぶ高速道路のルートが、東名ではなく中央道だったからだ。正確には、建設が始まったリニア新幹線同様、南アルプスをトンネルでブチ抜いて最短距離を結ぶ予定だった。

 が、現在の東名ルートを推す意見も強く、中央道派と激しい論争になった末敗れ、南アルプスを貫く長大トンネルも技術的に困難ということで断念。現在の諏訪回りに変更された。その混乱により、全線開通は1982年と、東名の全線開通の13年遅れとなってしまった。

 しかも部分開通当初は、八王子以西は暫定2車線の対面通行で、追い越しも可であったことから正面衝突事故が多発。その結果、当初は通称名が「中央高速道路」だったのが、高速道路の名前が外れ、「中央自動車道」に格下げ(?)された。

 実は日本の高速道路で、通称名に「高速道路」が付くのは東名と名神だけ。他はほぼすべて「自動車道」なのは、中央道が先駆けだ。ちなみに新東名・新名神は、後から完成した路線の中で唯一「高速道路」を名乗っている。

 私が免許を取ったのは1980年。その当時はすでに八王子-大月間は4車線化されていたが、大月から先、河口湖までは暫定2車線の対面通行だった。当時はもう追越禁止区間に指定されていたが、それを無視して追い越しをかけるクルマも少なくなく、しばしば正面衝突事故が発生していた。この区間(富士吉田線)が4車線化されたのは、1984年のことだ。

 その後中央道を悩ませたのは、休日のひどい渋滞である。中央道は山間部を走るため勾配やカーブ、トンネルが多く、自然渋滞が発生しやすい。そこで2003年に大月-上野原間が改築され、上下線とも片側3車線に拡幅されたが、上野原から東京寄りは依然片側2車線のため、現在も下りは相模湖IC付近、上りは小仏トンネル付近を先頭に激しい渋滞が発生する。

 小仏トンネル付近は、付け焼刃的な渋滞対策が計画されているが、新たにトンネルを掘る必要があるため完成はまだまったく見えず、上野原から都心寄りの抜本的な拡幅計画も存在しない。

 首都圏の高速道路の都心寄りは、中央道を除いてすべて片側3車線。つまり中央道は、最初に計画された高速道路でありながら、未だ劣悪な条件下にある、かわいそうな路線なのだ。

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