最恐暴力団「工藤會」の今――勢力半減に、小倉市民の複雑な声

日刊SPA! / 2019年2月16日 8時52分

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門扉には報道陣の立ち入りを制限する看板が

’14年の「頂上作戦」後、幹部が軒並み収監され、虫の息と伝えられた暴力団・工藤會。しかし昨年6月に「夜回り」を敢行し、その存在をアピール、街に衝撃が走った。背景には何があるのか? 北九州市・小倉に飛んだ。

 福岡県北九州市、小倉の街に本部を置く工藤會は、記事最後の年表にもあるように、警察や行政といった巨大な相手に平気で食って掛かる好戦的なヤクザとして知られる。5つの指定暴力団が本拠を置き、“修羅の国”とも揶揄される福岡県にあって、一目置かれる存在だった。

 だが、次第に攻撃の矛先が一般人にまで向けられるようになると、福岡県警としても野放しできない状況に。’12年の改正暴対法により、国内唯一の「特定危険指定暴力団」に指定されると、工藤會への取り締まりは強化された。’14年に野村悟総裁、田上文雄会長、菊池啓吾理事長のトップ3が逮捕され、現在に至るまで300人もの逮捕者が出ている。福岡県警の発表によれば、昨年末時点の工藤會の勢力は、過去最少の570人にまで落ち込み、ピーク時の約半数となっているという。

 さらに市側も手を緩めることなく、固定資産税が滞納されていることを理由に、北九州市の本部事務所を差し押さえた。城は落ち、将兵揃って討ち死にの格好だが、一方では、昨年6月には「夜回り」と称して小倉の繁華街を練り歩く組員の姿が見られたという。

 揺れる工藤會の現状を探るべく、記者は、彼らのお膝元・北九州市・小倉に飛んだ。

◆「次は菱か?」と訝しみ嘆く小倉の人々

「以前はうちのビルも格式があったんだけどね……」

 繁華街のスナックのママ(60代)がため息をつく。工藤會関係者が姿を現さなくなってから、スナックが入っているビルの近隣に毛色の違う店が増えたという。

「工藤會と関係があることを吹聴しながら飲み屋から上納金を取る半グレが増えました。3000円のガールズバーとか、若い女のコが客引きするワインバーだとか、たけのこ剥ぎみたいに客からカネを取る店が出てきた。うちのビルにも若い人が集まる騒がしいテナントが増えてきて、嫌になるわ」

 店に居合わせた小倉生まれだという男性客(40代)は、“工藤會ロス”を寂しそうに語る。

「よその土地の人には想像できないだろうけど、小倉で生まれ育つと、同級生や知り合いに普通にヤクザがいるんです。厄介ごとがあればやんわり仲介してくれることもあったし、小倉はヤクザと共存してきた街なんです。工藤會組員の姿を見なくなってからは、街の風紀が乱れてきた印象があります」

 そして2人は口を揃えて「工藤の次は菱(山口組)か?」と、よそ者ヤクザの台頭を危惧していた。

 もっとも、目立たないところで、工藤會はささやかに活動を継続しているとの情報も。ソープ街にいる風俗嬢に話を聞いた。

「こないだ、シャブ中が暴れて警察に捕まっているのを見かけたよ。工藤會のクスリのシノギは、しっかり続いてるのかもしれんね」

 工藤會の組員は一体どこにいるのか? 記者は小倉の街をさまよったが、ついぞ関係者への接触は叶わなかったが、工藤會の元幹部が経営するといううどん店に入り、何気なく聞いてみた。

「工藤會の連中はまったく街中で見かけないですね。東京と同じで半グレ連中が闊歩していますよ。このうどん店もおかげさまで2年目。順調に伸びてますよ」

 店主が小倉の繁華街に店を出した当初、テレビにも取材された有名店だが、元組員が安寧に商売できるということは、街から工藤會の組員が消えたことの証しだろう。

◆意地だけを小倉に残し東京に望みをかける

 事情に詳しいヤクザ誌記者は、工藤會弱体化の経緯をこう話す。

「山口組を殲滅せよと、何度も警察庁は各県警に号令をかけましたが、目的は達成できていません。そこで体面を保つための壊滅実績が必要とされ、狙われたのが、活動地域が限定されていて攻めやすい工藤會だったんです」

 風土的に荒っぽい人間が多く、警察もヤクザに寛容だった状況が一変した。トップ3が逮捕された今、五代目工藤會の実質トップは、会長代行の本田三秀。他の主要メンバーが次々と収監されるなか、なぜか野放しだ。

「組織を最低限まとめられる人間を誰か塀の外に残しておかないと、警察としてもやりにくいとの判断でしょう」(ヤクザ誌記者)

 昨年6月、組員が小倉の街で行った「夜回り」には、どういった意味があったのだろうか。

「まだまだ組織は健在だ、というアピールと、半グレ連中への牽制でしょうね。これは獄中の野村総裁の指示だったという話もありますけど……。ただ、工藤會の主要部隊はいまや東京でシノギをしています。彼らはもう小倉で再起を図る気はないですよ」

 工藤會が東京に進出し、代わりにやってくるのがよそ者の山口組と半グレだとしたら……。それは住民の望んだ結果なのだろうか。

◆平成に入ってからの工藤會を巡る動き

<’88年>

・中華人民共和国在福岡総領事館を散弾銃で襲撃。福岡県警元暴力団担当警部宅にガソリンを散布し放火

<’94年>

・パチンコ店や区役所出張所など17か所を連続的に銃撃

<’98年>

・北九州市で漁協の元組合長が射殺される

<’99年>

・溝下秀雄会長時代、工藤連合草野一家から三代目工藤會に改称

<’00年>

・野村悟が四代目会長を継承

<’03年>

・工藤會系組員が暴力団追放運動の旗頭が営む小倉のクラブに手榴弾を投げ込み、11人負傷

<’04年>

・工藤會系幹部が暴力団排除に取り組む県議宅に発砲

<’10年>

・工藤會追放運動を推進していた自治連役員宅に発砲

・福岡県暴力団排除条例が施行される

<’11年>

・田上文雄が五代目会長を継承。野村悟会長は総裁へ

<’12年>

・北九州市で暴排標章を掲示した飲食店への放火や切りつけが相次ぐ

・改正暴対法に基づき「特定危険指定暴力団」に指定される。倉庫にあった装弾済みのロシア製対戦車用ロケットランチャーなどが押収される

<’13年>

・野村自身が受けた整形手術に不満を持ち、担当した女性看護師を元幹部に殺傷させる

<’14年>

・漁協の元組合長刺殺に関与した容疑で田上文雄会長と野村悟総裁が逮捕。翌月に理事長の菊池啓吾も逮捕され、組織のトップ3が不在に

・福岡県警が「頂上作戦」を開始、のち300人以上が逮捕に至る

<’15年>

・実質的トップを担っていた理事長代行の木村博が逮捕

<’18年>

・6月、傘下の組長5人、計7人が小倉の繁華街の「夜回り」を再開。翌月全員が迷惑防止条例違反で逮捕される

・11月、本田三秀が会長代行に

<取材・文・撮影/野中ツトム・五木 源(清談社)>

― 最恐暴力団[工藤會]の今 ―

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