イチローが引退会見で語り尽くせなかったこと

日刊SPA! / 2019年3月28日 15時51分

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試合後に引退会見を開いたイチロー選手は深夜1時すぎまで84分間も取材に対応。最後は「お腹がすいた」とぼやき、「そろそろ帰りますか!」で締めくくった

 3月21日、マリナーズのイチロー選手(45)が引退を表明した。日米通算で4367安打。’04年に樹立したMLB記録の262安打をはじめ、“記録製造機”とも言えるほど数々の偉業を達成した一方で、多くを語らないプレーヤーとしても知られたイチロー選手。84分間に及んだ引退会見で語り尽くせなかったこととは? MLB2球団で通訳として活躍し、イチロー選手をウォッチし続けた小島克典氏に緊急寄稿してもらった。

◆「試合に出られなくなった日々が僕の誇り」

 終わりのはじまりは、昨年3月の古巣マリナーズへの電撃復帰だった。

 直近の5年半をニューヨーク、フロリダの2球団で過ごしたイチローが、シアトルに戻ってきた。

「いずれまた、このユニフォームを着てプレーしたいという気持ちは心のどこかに常にあったのですが、それを自分から表現することはできませんでした。それは(自ら去った)5年半前のことが頭にあったから。

(中略)でも、こういうかたちでまたこのシアトルのユニフォームを着てプレーする機会をいただいたことに、’01年にメジャーリーグでプレーすることが決まったときの喜びとはまったく違う感情が生まれました。とてもハッピーです」

 当時、会見でイチローは、こう喜びを露わにしていた。だが、非情にも2か月後の5月、開幕から打率2割1分と調子の上がらなかったイチローは「Special Assistant to the Chairman」という肩書を与えられ、25人の選手枠から外れた。幾多の記録を塗り替えてきたイチローが、公式戦に出場する機会を奪われた瞬間だった。

 その後、マリナーズは淡々とシナリオを遂行した。会長特別補佐職に「これまでの偉大な貢献に心から感謝と敬意を表し、特別な肩書きを贈る」という意図があったかどうかは定かでない。少なくとも引退を前提にしたエンディングの序章と思えた。しかし、イチローは嬉々として現役最後の大記録に挑み続けた。前人未到の「特別職からメジャーリーガーへの返り咲き」だ。だからこそ、引退会見でこの期間を「誇り」と表現したのだ。

「去年の5月からシーズン最後の日まで、(試合前の練習と試合後の握手だけに行動が制限された)あの日々は、ひょっとしたら誰にもできないことかもしれない。ささやかな誇りを生んだ日々であったと思うんです。どの記録よりも自分の中では、ほんの少しだけ誇りを持てたことかなと思います」

 数字に追われ続けたそれまでの選手生活とはまったく異なる、己と向き合い続ける孤独な日々だった。その会長特別補佐・イチロー時代を経て、メジャーリーガー・イチローへ。3月20、21日と東京ドームで開催された開幕2試合でスタメンを勝ち取ったことは、イチローが現役生活の最後に成し遂げた偉業だったのだ。

 打席に立ったイチローは誰の目から見てもバットを振れていなかった(2試合で5打数無安打1四球)。それでもイチローは全力でプレーし、打撃だけでなく守備でも走塁でも、最後までベストを尽くした。

 万雷の拍手に包まれた現役最後の打席は、変化球に足元を崩されながら、かろうじてファールで凌いで喰らいつく、見ていて切なさすら覚える打席だった。試合後の会見で明かされた今年18歳になる愛犬「一弓(いっきゅう)」の生きざまともシンクロした。

「さすがにおじいちゃんになってきて、毎日フラフラなんですけど、懸命に生きているんですよね。その姿を見ていたら、オレがんばらなきゃなと。ジョークとかではなくて、本当にそう思いました」

 実際、一弓に自分を重ねるように、イチローは最後の打席まで、懸命にバットを振り続けていた。

◆野球人生で楽しかった瞬間は「ないですね」

 日本で9年、アメリカで19年、計28年間の現役生活に別れを告げたイチローは、野球人生で幾多の記録と栄光を手に入れた。我々は時に鼓舞され、時に彼の姿に自らを重ね、勇気をもらってきた。

 外来語としてすっかり定着した「ルーティン」という言葉などは、イチローが打席に向かう直前にスタンバイするネクストサークルでの一挙手一投足や、舞台裏でのたゆまぬ努力と意思で準備する姿勢が、日本社会に受け入れられたものと筆者は思っている。

「子供の頃からプロ野球選手になることが夢で、それが叶った最初の2年。18、19の頃は一軍に行ったり来たり。(中略)そういう状態でやっている野球はけっこう楽しかったんですよ」

 野球人生を振り返って楽しかった瞬間は?という趣旨の質問を受けた際、イチローは「ないですね」と言い切り、こう続けた。自身の過去をこんなふうに引退会見で話すアスリートは記憶にない。先人たちのほとんどは、「好きなことを仕事にできて嬉しかった」という類いのコメントを発する。

 プロ3年目にブレイクした後、四半世紀に及ぶイチローと野球の関係は、数字や記録を追いかけ、追われ続けた25年だった。純粋に「楽しめなかった」のは偽らざる本音だろう。数字の呪縛など、メディアは体のいい単語で消化するが、イチローと野球が相思相愛の関係にあったのなら、彼の安打数はさらに何本か、何十本か、上積みされていたかもしれない。

◆「マリナーズ以外に行く気持ちはなかった」

 平坦な道のりでなかったことは、容易に想像できる。日本人野手のパイオニアとしてメジャーリーグに移籍した’00年代初頭のMLBは、なんでも容認されていたドーピング全盛の時代。仕事や私生活で露骨に人種差別を感じる機会は多々あっただろう。建国以来初めてアフリカ系アメリカ人のオバマ大統領が誕生する8年も前の話だ。引退会見でアメリカのファンへのメッセージを問われたイチローは次のように語っていた。

「最初の’01年のキャンプなんかは『日本に帰れ』としょっちゅう言われましたよ。だけど、結果を残したあとの敬意というのは、言葉ではなくて行動で示したときの敬意の示し方というのは、その迫力はあるという印象です。

(アメリカ社会に新入りは)なかなか受け入れてもらえないんですけど、入れてもらったあと、認めてもらったあとはすごく近くなるという印象で、がっちり関係ができあがる。シアトルのファンとはそれができた。僕の勝手な印象ですけど」

 引退を決めた理由を尋ねられたとき、ひと呼吸置いてイチローは「マリナーズ以外に行く気持ちはなかった」ときっぱり言い切った。イチローにとってのマリナーズとは’12年7月にシアトルにサヨナラを告げて以降、ニューヨーク、マイアミでの5年半を経ても「その間も僕の家はいつもシアトルにあった」文字通りのホームだった。

 時にユーモアを交えながら、真摯な姿勢で会見を締めたイチローは、最後に深々とお辞儀をすると、グラウンドの上でいつも見せてくれた凛々しい姿勢で舞台のそでへ歩いて消えた。ひとつの時代が締めくくられたとき、時計の針は深夜1時をとうに過ぎていた。

 会見中、イチローがさらりと言ってのけた言葉が印象的だった。

「いろんな記録は大したものではない。というか、いずれそれは後輩が先輩の記録を抜いていくことは、しなくてはいけないこと」

 イチローの現役メジャーリーガーとしての最多安打記録(3089本)は、開幕からひと月もすれば、現在2位のA・プホルス(3082本/エンゼルス・大谷翔平のチームメイト)に抜かれることだろう。イチローが幾つもの記録を塗り替えてきたように、今度は後輩たちがイチローの記録を追い抜いていく。

 ひとつの時代の終わりは、新しい時代のはじまりとなる。「(大谷翔平は)世界一の選手にならなきゃいけない選手」とエールを送ったように、すでにバトンは手渡された。会見でイチローが口にした言葉のすべては、新たな時代を迎える野球界を見据えたメッセージだったと考えられる。

▼妻への思い「おにぎり3000個握らせてあげたかった」……引退会見では弓子夫人が「一番頑張った」と感謝の意を示したイチロー選手。自身のメジャー通算安打は3089だが、夫人が試合前に握ってくれたおにぎりの数は2800個ほどだったとか。また、MLBを「頭を使わなくてもできてしまう野球になりつつある」と評し、「日本の野球は頭を使う面白い野球であってほしい」と話す場面も

取材・文/小島克典 写真/ AFP/ アフロ USA TODAY Sports/ ロイター/ アフロ

※3/26発売の週刊SPA!今週の顔より

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