無給油1100kmクリーンディーゼル車で関ケ原古戦場探訪。ゴール後あと何km走れる?

日刊SPA! / 2019年4月27日 8時31分

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関ヶ原決戦地

― 男のドライブ旅 古戦場巡り関ヶ原編 全3回 ―

◆第3回 そうだ、西軍の名将・大谷吉継陣跡に行ってみよう!

 関ケ原合戦を身をもって体感すべくパサートTDI(ディーゼル)で関ヶ原古戦場へと向かった、モテないカーマニア軍団(おじさん3名)。今回は、通説と新説に思いを巡らせつつ南宮山を下り、吉川広家陣跡を横目で眺め、国道21号線を西進。ついに関ヶ原古戦場跡へと向かった――。

 パサートTDI(ディーゼル)は、これまでの通算燃費を「リッター20km」と表示している。燃料は軽油なので、プリウスにひけをとらない少食ぶりだ。

◆島津義弘、大谷吉継……西軍諸将に想いを馳せる

 途中左手には、家康が陣を置いた桃配山の陣跡が見えるが、これも後世の創作ということで無視して前進。途中、超男臭い定食屋でミソカツ定食をかっこみ、JR関ヶ原駅前を通過した。このあたりは、通説によれば東軍諸将が陣を敷いた一帯だが、すでに通説は覆っているのでこれも無視である。涙。

 それでも一応、関ヶ原探訪が初めての担当Kと流し撮り職人のために、「関ヶ原決戦地」の碑を見学。合戦終盤、三成軍が敗れたとされる地点付近だ。

 そこから間近の笹尾山(通説では三成の陣跡)を眺め、鹿児島出身の職人のために島津義弘陣跡で合掌。この一帯には、通説における西軍諸将の陣跡が並び、私もかつては目頭を熱くしながら歩いたが、今回は新説を体感すべく「山中」方面へ進む。

 急な坂を下りて国道に出て右折。このあたりがかつての「不破の関」だ。やや進んで斜め右に入ると、旧中山道「山中宿」の街並みとなる。

 合戦直後に出された書状などの一次史料によると、合戦が行われたのは「関ヶ原」と「山中」の2か所だったらしい。関ヶ原には大谷吉継のみが陣を置いたが、新説によれば福島正則ら西軍先鋒と小早川軍に挟撃され、最初に壊滅した。つまり、通説に沿って比定された「大谷吉継陣跡」は、場所がかなり違っている。実は大谷吉継陣跡一帯こそ、石田三成ら西軍主力が陣を敷いた場所「山中」だとされている。

◆大谷吉継陣跡から小早川軍が陣を置いた松尾山を望む

 駐車場にパサートTDI(ディーゼル)を置いて石段を上り、JR東海道線のシブい踏切を渡る。その向こう側は、三成ら西軍主力が布陣した一帯(天満山)だ。背後に見える山は、小早川軍が陣を置いたといわれる松尾山。数年前にヒーヒー言いながら登ったが、それなりに高い。山頂から麓までは、駆け下りても30分くらいかかるだろう。8000の軍勢がすべて山を下りるには、もっと時間がかかったはず。小早川軍は、松尾山の山頂付近ではなく、主に山麓にいたのかもしれない。

 踏切を渡って5分ほど山を登ると、「大谷吉継陣跡」となる。周囲は鬱蒼とした森だ。明治期までは薪をさかんに燃料として使ったため、現在に比べると山々の木ははるかにまばらで、この一帯もおそらくハゲ山に近かったと思われるが、なかなかそこまでの想像力が働かない。

 薪を燃料にしなくなった今、日本の古戦場や山城跡は、あまりにも森林に覆われすぎている。もうちょっと木を伐ってくれ!というのは、歴史ファンの勝手な要望でした。

 正確な場所はまったく不明だが、とにかく西軍諸将はこの付近に並んで陣を置き、小早川軍に備えたが、まさかの東軍先鋒の奇襲を受け、昼前には壊滅。大谷・宇喜多軍の奮戦も島左近(石田三成軍)の鬼神の大暴れも、すべて後世の創作。実際にはなかったのだ!

「ってことは、島津義弘の敵中突破もなかったんですか!?」

 鹿児島出身の職人が、泣きそうな顔でつぶやいた。

「いや、それはあったらしいよ」

「そうですか。よかったです。僕ら、小学生の頃から洗脳教育を受けてますから……。妙円寺参りもしましたし」

 妙円寺参りとは、島津義弘公の敵中突破をしのぶ催しのこと。せごどん(西郷隆盛)も参加した、薩摩人にとっての伝統的ビッグイベントである。島津の敵中突破は、一次史料にも認められるので事実だろう。

 しかしこうして通説が引っ繰り返るというのは、歴史ファンには興奮でもあり苦痛でもある。中でも関ヶ原合戦は、日本史ファンにとってはオールスター戦。あっという間に決着がついたと聞くと、寂しさを禁じ得ない。

 担当Kが尋ねた。

「なぜ通説では、激戦だったことになったんですかね?」

「それは、徳川の世になって、家康様は強敵に打ち勝って幕府を開いた、ってことにしたかったからじゃないかな。敵が弱かったら、伝説にならないだろ」

「そう言われればそうですね。それにしても僕の田舎の青森には、こういう古戦場がまるでないんですよ。それが残念です」

 このようにして、関ヶ原古戦場巡りドライブは、おじさんたちの濃い想いを残して終了したのであった。南無三。

 ちなみにパサートTDI(ディーゼル)は、そのまま名神から新名神をぐるっと回り、東京に帰還した。走行距離約1100km。それでもまだ航続距離は約300kmも残っていた。やるなあ。クリーンディーゼル車こそ、古戦場巡りにも最適な男の乗り物である。うむう。

取材・文/清水草一 写真/池之平昌信

【清水草一】

1962年東京生まれ。慶大法卒。編集者を経てフリーライター。『そのフェラーリください!!』をはじめとするお笑いフェラーリ文学のほか、『首都高速の謎』『高速道路の謎』などの著作で道路交通ジャーナリストとしても活動中。清水草一.com

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