目黒虐待死/母親はなぜ父親に従ったのか? 暴力を受け続けた女性が体験した心理

日刊SPA! / 2019年10月16日 8時50分

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船戸結愛ちゃん(フェイスブックより)

 東京都目黒区で船戸結愛ちゃん(当時5歳)が虐待された末、死亡した事件の判決が出た。10月15日、東京地裁は父親・船戸雄大被告(34歳)に対して、保護責任者遺棄致死の罪などで懲役13年の実刑判決を言い渡した。
 母親の優里被告は9月に懲役8年の実刑判決を受け、これを不服として控訴している。

 一体なぜ、父親自身も母親も、暴力を止められなかったのかーー。
 実兄の家庭内暴力から15年間逃げられなかった体験を持つ、フリーライターの吉川ばんびさんが考察する。(以下、吉川さんの寄稿)

※この記事には、一部虐待、DVに関して直接的な表現が含まれます。あらかじめご了承の上、ご自身のご判断でお読みください。

◆加害者を一時的に叩くだけでは…

 母親に懲役8年(控訴中)、父親に懲役13年の判決が言い渡された「目黒女児虐待事件」。結愛ちゃんが受けた虐待の凄惨さが連日、事細かに大きく報道され、多くの人々が胸を痛めたことでしょう。

 結愛ちゃんの両親を厳しく非難するムードが高まる中で私たちが忘れてはならないのは、虐待が行われている家庭ではどのようなことが起きているかを知り、考え、再発を予防する「最終目的」のことです。怒りの感情にまかせてただただ「加害者」を一時的に叩き、社会から排除して終わるのではなく、このような痛ましい事件を、被害者を、加害者を、再び生み出さない社会づくりに繋げなくてはならないのです。

 なお、本記事は、現在(2019年10月15日時点)公判で明らかになっている情報をもとに事件の背景にある問題点について言及するものであり、被告人を擁護・または減刑を求める主旨の内容ではないことをはじめに申し上げておきます。

◆母親なぜ止めなかったのか、なぜ逃げなかったのか

 義理の父によって虐待が行われるケースは、今回の件のみならずこれまでも多くありましたが、実母に対して「なぜ止めなかったのか」「どうして子どもを連れて逃げなかったか」と思うのは自然なことだし、幼い我が子への暴力を制止しなかったことに怒りを覚えるのも頷けます。

 しかし、「家族」というもっとも閉鎖的なコミュニティにおける問題のほとんどは逃げ場がなく、事件に発展するまで、外に出ることがありません。これは主に、当事者を含む日本社会において「家庭内の問題を知られるのは恥だ」という認識が根付いていることや、家族同士のトラブルに関しては、外部に助けを求めづらい社会構造が背景にあると考えられます。

 結愛ちゃんと優里被告は、事件が発覚するまでの約2年間、雄大被告の支配下にありました。家庭内で力の大きな「支配者」が生まれてしまうと、対抗できるだけの力を持たない「被支配者」は、生き延びるために、支配者の命令に従うほかありません。これは、恐怖による屈服です。

 優里被告は公判で、結婚前の雄大被告について「8歳年上で、広い世界を知っている人。何でも教えてくれる憧れの人だった」と話しています。彼女が雄大被告を「たいへん優れた人である」と尊敬し、「この人の言う通りにしていれば、きっと立派な子に育てることができる」と全幅の信頼を寄せてしまった。このことが、致命的だったのではないかと思います。

◆毎日1~3時間「説教」する夫、依存する妻

 公判で何度も出てきた「私が馬鹿なので」「私は無知なので」という優里被告の発言からは、彼女の自己肯定感がひどく低いことが見てとれます。
 それは雄大被告が、優里被告が第2子(雄大被告との実子)を妊娠した頃から、彼女に対して執拗に説教をして、子育てのしかたを否定し続け、説教が終わったら彼女に「怒ってくれてありがとう」と言わせたり、反省文を書かせたり、顎をつかんで頭を上下に揺さぶったりなど、異常とも言える行動によって服従させようとしていたことが大きな原因かもしれません。

 実際、はじめは結愛ちゃんへの暴力に反発していた優里被告は、次第に「彼が正しい」と考えるようになり、「私の育て方が悪かったのだ。結愛のために説教してくれているのだ」と思い込むようになったといいます。

 このようなプロセスを経て、優里被告にとって雄大被告はおそらく「この世で唯一、自分と子どもをまともな道に導こうとしてくれる人」となり、一種の洗脳状態に陥ってしまったように思えるのです。

 自己肯定感の著しく低い人間が一度そういった状態になれば、「支配されること」に自分の存在意義を見出すことがあります。「自分を必要としてくれる人がいる」と錯覚し、支配者がいなくなると、自分の存在意義がなくなってしまうように感じたり、「見捨てられる」ことに強い不安を覚えるのです。
 また、被支配者にとって、支配者は恐ろしい存在である一方で、離れられない存在であることも往々にしてあります。DVや家庭内暴力でも、被害者が加害者から逃げられない原因の一つに「依存心」があるように、被害者にとって「加害者が優しくしてくれた記憶」は、簡単に忘れられるものではありません。

 すべて意図してのことか否か、雄大被告はこうして、優里被告を完全な支配下に置くことに成功したのだろうと思います。

◆「報復」が怖くて身動きできなくなる

 支配下に置かれた人間は、判断能力や思考能力が失われやすいですが、決していつも、24時間、冷静に物事を考えられないかというと、そうではありません。一時的にでも「逃げ出さねばならない」と強く感じ、現状を変えようとする意思を持つこともあります。実際に、優里被告は雄大被告に離婚を切り出したこともあったといいます。

 さらに、結愛ちゃんが児童相談所に一時保護される際、優里被告は女性警察官に「自分も一緒に行きたい」と2回にわたって伝えていました。結愛ちゃんも、児童相談所の職員に「ママも叩かれている」と話しましたが、優里被告は自身が殴られているにもかかわらず「DVを受けている」といった自覚がなく、雄大被告に「結愛は嘘つきだ」「俺はお前にDVなんかしてないよな」と迫られたことで、保護されるにはいたりませんでした。

 ストレスで過食嘔吐をくりかえすようになった優里被告は、結愛ちゃんが亡くなる半年ほど前に医療機関にかかり、担当医にSOSを出しています。担当医は問題の深刻さに気が付き、児童相談所にその旨を伝えましたが、このときも、優里被告が保護されることはありませんでした。

 優里被告が法廷で「私と結愛が報復されるのが怖くて、雄大被告のことを通報できなかった」と語ったように、支配者を一時的に遠ざけることはできたとしても、のちにひどい報復を受ける可能性を考えると、被支配者は容易に身動きが取れないのが現実問題です。「誰にも助けてもらえない」と考えていた優里被告にとって残されていた選択肢は「警察に雄大被告を逮捕してもらうこと」だったでしょう。

 しかし、先に結愛ちゃんへの傷害容疑で書類送検されていた雄大被告が、2度も不起訴になって戻ってきたことから、「報復のリスクを負ってまで警察に通報したとしても、きっとまた不起訴になって、今よりもっとひどい目に遭わされる」と絶望感に打ちのめされたであろうことは、想像にかたくありません。

◆私の兄は、妊娠中の妻の腹を蹴った

「DVだと言われていますが、私自身はそういう認識がずっとなかった」という優里被告の言葉を聞いて、私は、過去の自分と、母のことを思い出しました。

 私の実家では兄による家庭内暴力がひどく、私と母はいつも何かと理由をつけて殴られたり、蹴られたり、物を投げつけられたりしていました。はじめは、母は私を庇うために、私は母を庇うために、身を呈して暴力を制止することもありましたが、それが何年も続くと、私たちは抵抗する気力さえなくなって、ただただ兄の激しい怒りが過ぎ去るのを耐え忍ぶしかありませんでした。

 そんな中、兄が突然結婚し、すでに妊娠しているという妻を家に住まわせるようになりました。2人はたびたび口論になり、兄と義姉の部屋からは頻繁に「ドン、ドン」という義姉が殴られている音が聞こえてきました。私や母が止めに入ると、兄は余計に激昂して私たちに殴りかかったり、見せしめのようにさらに義姉を殴るといった始末でした。
 
 そんな日々が続いたある日、兄は私たちの目の前で、泣いている義姉の髪の毛を掴んで引き倒し、彼女の腹を蹴りました。自分の子を妊娠している妻の腹を、「ボコッ」という音が鳴るほどの強さで蹴ったのです。

 その瞬間、私の頭の中で「ぷち」と音が鳴り、目の前が暗くなりました。そこからの記憶はあまりなくて、気が付いたら自分は座り込んでぐしゃぐしゃに泣いていて、母は兄を制止しようと掴みかかったのちに倒れ、義姉もうずくまったまま泣いていました。

 私はこの数年後に家から逃げ出すまでの間、あれが異常な光景だとは思っていませんでした。母は兄のことを「あの子はちょっと人より成長が遅いだけだから」とかばっていましたし、私が母の目の前で泣いてしまったり、「辛い」と口に出せば「あんたは大してしんどくないでしょう、私の方がしんどいわよ」と否定するばかりでした。私たちにとってはそれが「日常」でしたし、自分たちの置かれた状況を正当化して、精神を保つほかなかったのです。

◆夫婦が支配/被支配の関係になるケースは少なくない

「目黒女児虐待事件」では、優里被告が「心理的支配下」に置かれていたことが明らかになり、刑の重さを決めるにあたって「なぜ虐待を制止できなかったか」が争点のひとつになっています。低栄養と免疫力低下が引き起こした肺炎によって、敗血症で亡くなった結愛ちゃんの体に残された170もの傷は、彼女が受けた虐待の凄惨さを物語っていました。今、こうしてパソコンに向かっている間にも、私は悲しみや被告人への怒りを覚えていますし、彼らの行為が到底許されることではないと強く感じています。

 しかし、今回の事件において、私たちが優里被告と雄大被告を単なる「特異な存在」だと扱い、社会から排除して終わりにしてしまうことは、果たして今後起こりうる虐待の防止に繋がるでしょうか。恐らく、虐待が行われている家庭において、もしくは虐待やDVがまだ行われていないとしても、夫婦間で「支配者」と「被支配者」の関係性が構築されているケースは、かなりの数存在するでしょう。

 それであれば、虐待死する子どもをこれ以上出さないためにも、今回のようなケースを「別世界の話」や「他人事」だとは思わず、家庭で起こる暴力が発見されづらい理由を少しでも知ることで、ひとりひとりが小さなSOSに気付くことができる社会を作る必要があるのではないでしょうか。

<文/吉川ばんび>

【吉川ばんび】
1991年生まれ。フリーライター・コラムニスト。貧困や機能不全家族、ブラック企業、社会問題などについて、自らの体験をもとに取材・執筆。文春オンライン、東洋経済オンラインなどで連載中 twitter:@bambi_yoshikawa

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