他人のルールに縛られず、NOを言える人になる方法

日刊SPA! / 2020年3月22日 15時50分

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 自分のルールで生きる。他人のルールに縛られない。

 言葉でいうのは簡単だが、職場、仕事、クライアント、ノルマ、給料、家庭、とてもじゃないが自分のルールで生きるなんて無理。と思わざるを得ない。生きづらいままでいいのか、もっと自由になりたくないか。そんな問いかけをするのは、秋葉原SAVEクリニック院長の鈴木裕介医師(内科医・心療内科医)だ。

 鈴木医師は、研修医時代の近親者の自死をきっかけにライフワークとしてメンタルヘルスに取り組み、数多くの「生きづらさ」を抱えた人と接してきた。著書に、職場で人間関係を改善する方法や自分らしく生きるコツ、他人のルールに縛られずに生きる方法をまとめた『NOを言える人になる』がある。(以下は鈴木医師の寄稿)

◆今こそ、NOを言い、自分の人生を取り戻すときだ

「NOを言える人になる」。

 この言葉に惹かれる人は、おそらく何か嫌なこと、拒否したいことがあってもなかなかNOを言うことができなかったり、「自分はいつも他人に振り回されている」「まったく自分らしく生きられていない」「自分ばかりが損をしている」といった思いを抱えているのではないだろうか。

 僕たちが生きているこの社会は、平和で物質的にとても豊かだ。しかし、反面、自己肯定感が得づらく、生きる意味を見つけにくくなっている。それは、多くの人が、他人や社会が決めたルールをNOを言わずに受け入れ、自分のルールよりも優先させているからだ。

「給料の高い職場」「不自由のない暮らしをするのが勝ち組」「結婚し子供を育てて一人前」「社会人は仕事をなにより優先すべき」とか。

 こうしたメッセージを通して私たちは、誰かが考えたルールや価値観を押し付けられ、自分らしく生きることを否定され、様々な我慢を強いられてしまう。NOを言いたいのに言えない、そんな中で何を考える必要があるだろうか。

◆自分のルールで生きるために、「自分と他人の境界線を意識する」

 さて、自分らしく生き、周囲の雑音に惑わされないためにも、まずみなさんに心がけてほしいことがある。

 それは、「自分と他人の間の境界線をきちんと意識し、守る」ことだ。世界は、「自分が責任をもって守るべき領域」と「他人が責任をもって守るべき領域」の二つに分けることができる。

①自分の心や身体、生活、人生はもちろん自分が責任をもって守る領域。
②他人が勝手に踏み入って、あれこれ指図をしたりコントロールすることは許されない。

 一方、相手方、家族や友人も彼らが責任をもって守る領域を持っている。

 自分と他人、それぞれが「自分が守るべき領域」をもっているということを自覚しよう。しかし実際には「自分の領域が他人によって侵害される」(僕はこれをラインオーバーとよぶ)ことは非常に多い。例えば職場を見てみよう。

●過度なノルマの要求。長時間の拘束。
●達成できないほどの業務、不当に安いギャラ
●上司が勝手に決めたルールや価値観の強要
●社員を縛る謎の会社ルール(会社の商品を自腹で購入させるなど)
●自分は被害者、あなたが悪い!と責める、「なんでも他人のせい」な人

 これらは他人の領域に土足で入り込み、完全なラインオーバーだ。あなたが守りたい心や生活の領域を脅かす、不公平なトレードを押しつけているといっていいだろう。いわゆるブラック企業やパワハラ、クライアントの無茶な要求、仕事で足をひっぱる同僚も、代表的なラインオーバーと言っていい。

 また、世の職場には「自分だけが得をしたい」「少しでも楽をしたい」「自分より目立つ存在は許せない」「自分は被害者であなたが悪い」といった思いを抱え、あなたの真面目さや善良さ、罪悪感、立場の弱さにつけ込み、利用するとする人間がいる。

 彼らはラインオーバーの常習犯で、隙あらば、あなたを自分のルールや価値観でコントロールしようとしていることも、覚えておいてほしい。

 つまり、社会や会社というのは、不公平なトレードにあふれていて、カンタンに自分が守るべき領域を侵害してくる。ここに気がつかないで働き続けていると、あっというまに瀕死になる上、結局、自分が悪かったせいだと、自分を責めかねない。

 僕のクリニックには、「自他の領域」を考えず、ラインオーバーばかりする周囲に傷つけられ休職、働けなくなる、心身を壊した人が多く訪れている。

◆「NOを言える棚」に分類する

 さて、ラインオーバーを繰り返す人、上司、職場に苦しめられているとき、僕らは何をすべきか。

 その方法のひとつに「NOの棚に分類する」という方法がある。例えば、前述した「なんでも他人のせいにする同僚」や「責任を押し付ける上司」「パワハラマン」「過度なノルマを要求する人」が分類されやすいかもしれない。

 棚に入れるまでいくつかのステップはあるけれど(詳細は『NOを言える人になる』を参照)、一度、その棚に入れた相手は、基本的に接触しないと決めよう。関係の改善も考える必要はなく、話しかけれられても一言でそっけなく返す。誘いには、いっさい乗らなくていい。コミュニケーションをとる意思がないことを示し、しっかり「塩対応」をしよう。

 相手は、自分に有利な取引をしたいだけ。この人に付き合っても自分の人生にいいことはない。たとえ、直属の上司でも親でも友人でも、ラインオーバーを繰り返す相手は、あなたのことを大切に思っていないのだから、NOの棚に入れしまい込んでしまう。

 彼らのことで思いなやむ時間は、もったいない。ベッドに入ってまで悩まされることはない。だからNOの棚にしまい込んで、表に出てこないようにするのが一番いいのだ。

◆納得するまで謝れという人は危険!

 他にも「自分のルール」で生きるのを邪魔するものがある。それは、謝罪だ。自分に落ち度があるとき、仕事をミスしたとき、謝罪することは大切なことだ。しかし、ここで考えておきたいのは、謝罪をする理由について。

 ほとんどの人にとって「自分の言動、行動で不利益や不快感を与えたことに対し、申し訳ない気持ちを伝えたい」というのが、謝罪の第一の理由。しかし、その裏には、相手の気持ちがおさまらないから、相手に許してほしいからという気持ちはないだろうか。ここは注意したい点だ。謝罪する側が、相手の言いなりになってしまうのはよくあることだからだ。

 夫婦間でも職場でも、この謝罪をきっかけに、相手のルールにコントロールされ、自由を奪われるケースは多い。DVなのに逃げ出せない、パワハラを我慢する、などがそれにあたるかもしれない。

 では、謝罪の際のポイントはなんだろう。

 それは、「心を込めて謝罪すること」と「相手に許してもらうこと」は別の問題だということだ。謝罪の目的は、関係を改善することにある。お互いにとってよりよい状況に向かうのが理想的だ。しかし、究極的には謝罪をしても相手の許しを請う必要はない。必要以上の要求をしてくる相手なら、今後のフェアな人間関係は望めないので、謝罪はしたが「NOの棚に分類」というのはよくあるケース。こちらの我儘でもなんでもない。

◆重要!心が弱っているときは、自分をジャッジする人から離れる

 最後に、重要な話をしよう。それは「心が弱っているときは、自分をジャッジする人から離れる」ことだ。

 心が弱っているときは、相手のジャッジに抵抗する気力、判断力がない。ゆえに、仮に相手が善意から話をしてくれたとしても、相手に身を任せ、自分で判断できないということが起こりやすい。思い出してほしい。自分が弱っているとき、人のアドバイスの通りに行動し、後悔したことはないだろうか。相手と話していて「ありがたいけど、何か違う」と思ったら、その感覚は大切にした方がいい。

 会うのなら、相手が「良い」「悪い」といった判断を下さず、丸ごと受け入れてくれるような、自分の意見を押し付けない人がいいと僕は思う。なぜつらいのかは結局、その人にしかわからない。それを見ていない他人が自分の理解できる範囲に無理やり矮小化する、ジャッジするのはどうだろうか。

 心が弱っていることを完璧に理解してくれなくとも、受け止めようとしてくれる人、そういう人たちと時間を積み重ねることは、心や人生を再構築するための基盤となってくれるはずだ。

 職場のもやもやした人間関係、社会のルール、自分自身の感情、さまざまなものに縛られながら人生を生きる。その中で、これはNO、これはYESと自信をもって判断できるとしたら。それが「自分のルールで生きていく」ということなのだと思う。

【鈴木裕介氏プロフィール】
内科医・心療内科医。2008年高知大学卒。内科医として高知県内の病院に勤務後、一般社団法人高知医療再生機構にて医療広報や若手医療職のメンタルヘルス支援などに従事。2015年よりハイズ株式会社に参画、2018年に秋葉原saveクリニックを開業し院長に就任。
近著に『NOを言える人になる』

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