縁もゆかりもない愛媛県に住む小説家・早見和真が「東京を捨てた理由」

日刊SPA! / 2020年7月1日 15時48分

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 名門高校野球部の補欠部員を主人公とした処女作『ひゃくはち』でデビュー後、数々のヒット作を放ち続けている小説家の早見和真。最近の作家には珍しくSNSもしておらず、そしてなぜか縁もゆかりもない愛媛県松山市に居を構える。一部では「謎の作家」とも囁かれる早見は松山で何を思い、何を生み出そうとしているのだろうか。

◆横浜や東京じゃない場所ならどこでもよかった

――現在は愛媛県松山市に住んでらっしゃいますが、地元は横浜。なぜ松山を選んだのでしょうか。

早見:大学時代から旅が好きで、沢木耕太郎さんに憧れて『深夜特急』がバイブルという人間でした。“ここではないどこかへ”の憧れが強かったんだと思います。横浜や東京じゃない場所ならどこでもよかった。単純に憧れですね。

――いきなり地方に住む不安はなかったのでしょうか。

早見:小説家になった時点で安定した生活ではなくなるわけじゃないですか。月々の給料も退職金ももちろんない。でも唯一「好きなところに住める」という特権だけは与えられている。ライターだったら東京にいなくちゃいけないけど、小説家は自分に価値さえあれば編集者のほうから来てくれるし、原稿はメールで送ることができる。振り返ればなかなかのギャンブルなんですけどね。

――松山の前は、最初の移住先として静岡県河津町に住んでいました。実は最初の移住先は長崎県の五島列島にしようと考えていたとか。

早見:結婚して新宿のマンションに住んでいたときに小説家デビューしたんです。SPA!でライターをしていたのもその頃。でも、そこがほんとに狭くて、狭い空間に妻も娘もいるから、俺は小説が書けないんだと逆恨み的にずっと思っていた。このまま書けなくて干されたら後悔するという気持ちがどんどん膨らんで、一日も早く知り合いがいなくて書くしかない、“わけがわからない環境”に身を投じなきゃならなかった。そのわけがわからないところの象徴として浮かんだのが五島列島(笑)。

――実は住む家まで決めていたとも。

早見:そうそう。でも、家も見つけて本気で住むぞと思った矢先、母親に脳腫瘍が発覚しちゃって……。

――小説『僕たちの家族』でも、お母さまの病気は書かれていますね。

早見:お袋の病気を理由に移住そのものをやめるというのが性格的に許せませんでした。だから、何かあったらすぐに駆けつけられる場所として、今度は伊豆をピックアップしたんです。河津という町も河津桜も、住むまで知りませんでしたけど(笑)。

◆河津では必死に小説家として振る舞っていました

――初めての地方生活。それは作家・早見和真をどう育てましたか。

早見:河津では必死に小説家として振る舞っていました。極力友達をつくるまい、街に心を開くまいとしていた。小説を書くということに全精力を注ぎたかった。河津で過ごした6年間の一つの結果が『イノセント・デイズ』だったと思うんですけど、書きたいものが100あったとしたら、10程度しか“書けた”という手応えが得られなかった。他の小説が2とか3しか書けなかったなかで、10書けたと見ることもできたんですけど、率直に「こんな小説家みたいな生活してるから、俺はこの程度なんだ」って思っちゃったんです。

――やり方を変えるために次の移住を決断したと。愛媛県の松山を選んだ理由を教えてください。

早見:雪が嫌いとか曇り空が嫌いとかいろんなことをひっくるめて、最初に京都、松山、福岡、熊本、パリくらいまで絞り込みました。その中から熊本と福岡が濃厚になりだしたときに『NHKスペシャル』で阿蘇山が噴火する映像を見ちゃったんです(笑)。宇和島東高校に講演で呼んでもらったとき、一泊だけした松山の印象がとてもよかったんで、これは愛媛かもなって。引っ越して気づいたんですけど、松山は市外局番が「089」で「おー野球」なんですよ。夏目漱石の『坊っちゃん』から連なる文学の街であり、野球の街。これは「呼ばれたのかもな」って。

※6/30発売の週刊SPA!のインタビュー連載『エッジな人々』から一部抜粋したものです

【Kazumasa Hayami】
作家。’77年、横浜市出身。’08年、高校球児としての体験を基に書き上げた『ひゃくはち』で小説家デビュー。’15年には『イノセント・デイズ』で日本推理作家協会賞を受賞、山本周五郎賞ノミネート。今年『ザ・ロイヤルファミリー』でJRA賞馬事文化賞を受賞

撮影/吉原章典 取材・文/長谷川大祐(本誌)

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