<純烈物語>コロナ禍の後上翔太は“2日目の休み”に違和感を覚え「やるしかない」に向き合った<第71回>

日刊SPA! / 2020年11月14日 8時30分

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―[ノンフィクション連載「白と黒とハッピー ~純烈物語」]―

◆<第71回>違和感と「やるしかない」に向き合った後上翔太の2020年

 後上翔太にとって、コロナ禍に見舞われたこの一年をひとことで言い表すと「違和感」になるのだという。本来進んでいくべきだった日常とは違う風景であるとともに、どこかで体感したようなデジャヴ感も混在し「何これ?」と思う中で世の中がどんどん変わっていった。

 今年は2018年の紅白歌合戦初出場あたりから積み重ねてきたことの延長線上として、より規模が大きいことにチャレンジできる、これまでで一番多くの人々にも出会える……2020年を迎えた時点では、後上自身もそんな期待を抱いていた。不安など何もなく、やり甲斐と楽しみしかなかった。

「2月に最後の有観客ライブをやったあとから、降って湧いたような休みが入るようになった時の違和感が最初でした。去年までは350日仕事が入っていて、その中でわずかに迎えられた時間だったのが、急に訪れた時のなんだこれは?感。もちろんコロナの影響という理由はわかるんですけど、その時点ではまだどれほどのものなのかが世に伝わり切っていなかったので、頭の中の理解が追いつかなかったんでしょうね。

 そんな小さな違和感が休み2日目にちょっと大きくなり、そのうち『これ、どういうこと?』になり、日数を重ねていく中で『今までと全然違うじゃん!』になっていった。そこで思ったのが、デビュー当時の何もなかった時のことだったんです。あの頃は、暇というか仕事がない中で時間を過ごす自分がいて、こんな毎日だったよなあって思ったんですけど当然、同じようでいて状況はまったく違う。その違いによって現実感を把握しました」

 毎日家で過ごすのは売れなかった頃と同じ。ただ、十数年前はお金がなくて出歩けなかったのが、今回は外にいくと他者に迷惑がかかるかもしれないという深刻な理由に変わった。

 最初のうちは違和感を覚えたものも、時間が経つにつれそれが当たり前になっていく。そこで後上の中にある「なんだろう?」が不安に姿を替えていった。

◆「やべえ、俺なんにもできねえ!」

 純烈としてステージへ立つことができなくなり、今までとは違う流れの仕事をやらなければならない。じゃあ自分は何ができるかと考えたところ「やべえ、俺なんにもできねえ!」となった。

 他のメンバー3人には“芸歴”があるのに対し、後上は人生初の就職先が純烈だった。もちろんそれがキャラクターや立ち位置として認知されているが、これまでの活動とは別の何かと向き合う必要に迫られたところで、改めてその現実に直面したのだ。

 ただ、ライブもできなくなった代わりの仕事すべてが役者的なものではない。何をやるかはオファーする側が決めること。

 そこに関しては「やるしかない」の姿勢で固まっていた。いや、それは右も左もわからぬ芸能界へ引きずり込まれた時からずっと同じだ。

「不安になったところで、考えても仕方がないというのがありました。呼んでもらわなければそれこそデビュー当時と同じで何もないけれど、呼んでいただけて『これをやってください』と言われれば“これ”がある。ただ、僕にはその“これ”が何もないわけで、だったらそこで自分を『やるしかない!』に仕向ける。それだけでしたね。

 だからありがたいことに、不安で頭を抱えるまでにはならなかった。抱える前に声をかけていただけた。あそこでたとえ仕事がまったく途絶えたとしても頭を抱えることはしなかったと思います。それって『なんで俺、空を飛べないんだろう』って悩むようなものじゃないですか。昔から都合よく解釈するところが僕はあるんですけど、無理なものはどうあがこうが無理。それもデビュー当時に思ったことだったんです」

 合理的な性格と、純烈の人間として培ってきたやるしかないの精神によって、後上は不安を塗り潰せた。この期間中、ドラマ以外の仕事としてNHKの時事問題生番組で中東情勢や香港の民主化についてコメントを求められ、クイズやカラオケ番組にも出演。

 未経験のジャンルだから準備が必要となり、家にいても意識がそちらに注がれ、何もやることがないとはならずに済んだ。そのつど、向き合えるものがあったのは、ありがたかったと後上は噛み締める。

◆末っ子は末っ子で、表に出ないところで闘っている

 話を聞くうちに、周囲が期待する中でちゃんと秀才という役どころを務めていた頃と変わっていないのだと思えた。大人になって、仕事としてやる場合もそれを形にするための勉強は怠らない。1週間後にクイズ番組へ出るとなれば、収録当日までの6日間はひたすら準備に没頭する。

 確かに後上は酒井一圭、白川裕二郎、小田井涼平のようなバックボーンはない。この秋、FODで配信が始まった『純烈ものがたり』に関しても、その演技っぷりがしばしネタとされる。

 だが、無理なものは無理と現実的に受け入れるところから始められるのが、後上翔太という人間でもある。末っ子は末っ子で、表に出ないところで闘っている。

 まだ、自分の中になんとなく不安が漂っていた段階では、家にこもる中で週に1、2回はメンバーと顔を合わせたり、事務所に足を運んだりしていた。そこで慣れ親しんだ光景と感覚がふと蘇った。

 350日、時間と気持ちを共有してきた関係性を持つ者同士の独特な空気感を、こうした形で味わうことにより世の中の実像が意識の中へと刻み込まれていった。4人とも、純烈一筋でやってきたのにそれができなくなった現実を通すと、よりリアルに世間が見えてくる。

「テレビをつけたら、いろんな“苦しい”に触れるじゃないですか。それもまた、世間は普通なのに自分は仕事がなかったデビュー当時とまた違うんだなと思いましたよね。みんながキツい中で、自分も違和感がある。それは自分だけが置いていかれた感とも、またちょっと違う。

 たとえばネットサイン会をやると、ネットに不慣れであろうおばちゃんとかが一生懸命コメントをくれたりしているのがわかる。純烈に会えなくてシンドいからこそ、そこまでしてでも気持ちを伝えようとしてくれている。そんな世の中なんだよなあってなりますよね。その上で、そういう形でもふれあう機会があった分、僕の方は精神的にキツいとなることなく過ごせたんです」

◆テレビの中で歌う自分が他人のようだった

 ステージや歌番組から離れていた時期、NHKの「うたコン」で過去の映像を流し、酒井が電話出演した回があった。『純烈のハッピーバースデー』を自宅で見た後上は、テレビの中で歌う自分が自分と思えなかった。

 感覚的には紅白に出場したほかの人が歌っているのを、出たこともない自分が眺めているようだった。人前に立って何かをやる行為から遠ざかると、このようになるのかとの驚き……。

 テレビやラジオの収録は、スタッフの存在こそあっても目の前にオーディエンスがいない。仕事は来ても、そればかりはどうにも埋められぬ違和感だった。

 純烈の公式YouTubeチャンネルに、過去のライブ映像が順次アップされた時も、ほかのアーティストを見る方に近かった。姿形は後上翔太なのに、そこに自分がいる実感は得られなかったのだ。

「それでも、ただ不思議な感覚のままいるのではなく、どこかのタイミングで『だけどいつかはこれを自分がやるんだよな。じゃあ準備しなきゃ』ってなれたからよかったですよ。あのまま他人事のようにただ再開できる時を待っていたら、対応できなくなっていたでしょう」

 白川は「ずっとあのペースでステージをやってきたのがいきなり年数本になって、そのあとで復活するとなった時、歌えるのかという不安がある」と言った。小田井は「期待感によってよりハードルが上がる中で、それに応えるものが見せられるか」を再開後のテーマに見立てている。

 そして後上は、拭いきれぬ違和感を抱えつつも受験を控える学生よろしく準備を重視する。それぞれが、それぞれの向き合い方でNEXTを考えているという意味で、純烈はこの2020年も動き続けてきたのだと言えまいか――。

撮影/ヤナガワゴーッ!

【鈴木健.txt】
(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxt、facebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』が発売

―[ノンフィクション連載「白と黒とハッピー ~純烈物語」]―

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