コロナ離婚した“芸人の嫁”の独特すぎる半生「芸能界を辞めて養豚場で働いた」

日刊SPA! / 2021年1月16日 8時54分

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人気お笑い芸人の元妻で、メディア出演の機会を増やしている小林礼奈さん

 某人気お笑い芸人と“コロナ離婚”したことを発表、それをネタにテレビ番組の出演を増やしている小林礼奈さん(28)。自身の生活を赤裸々に書き綴ったブログが話題を呼び、ネットニュースで名前を見かける機会も多々。

 そんな彼女はいったい、何者なのだろうか? 地下アイドルを経てものまね芸人に転身。そして、一時は芸能活動を休止して養豚場で働くなど、その独特すぎる半生に迫った。

◆年間6万円しか稼げなかった地下アイドル時代

 高校卒業と同時に芸能界へ入るため、新潟県から上京後すぐにアイドル事務所に所属した小林さん。自らネットで検索して見つけた事務所に応募し、いわゆる“地下アイドル”をしていたという。

「撮影会中心の典型的な地下アイドルでした。ソロアイドルだったけど、途中で変なユニットに入れられそうになったこともありました。どれだけ撮影会を行っても給料は1年間で6万円しかもらえませんでしたね」

 多い時は週3回も撮影会に出演していたが給料は満足にもらえず……。居酒屋や弁当屋のアルバイトで生活費を稼いでいた。

「まだ10代で芸能界の仕組みがよくわかっていなかったので。活動ができるだけで、ただうれしかった。お金なんてもらえるはずがないって、思い込んでいたんです。社長にも『お前なんか絶対売れねぇよ』って。ギャラはこっちから『ください』って言わないと1円も支払ってもらえなくて。だんだん違和感が大きくなって、ここにいたらダメだって。事務所を辞めようと思いました」

 この失敗から「大手に所属して、ちゃんと芸能界に入らなければいけない!」と改めて思い返した。片っ端から大手事務所を受け、その結果、太田プロを選んだという。

◆転機となった“AKBあっちゃん”のモノマネ

「オーディションであっちゃん(元AKB48・前田敦子さん)のものまねをしたら結構ウケたんです。当時は超ものまねブームで。広末涼子さんのものまねで人気だったおかもとまりさんが憧れでした。それに乗っかりたいと思って、太田プロに決めました」

 事務所は本人が望む通りの戦略を立ててマネージメントしてくれたという。だが、ものまねを始めて2年が過ぎた頃、彼女は大きな壁にぶち当たった。

「おかもとさんがブレイクするきっかけにもなった『細かすぎて伝わらないモノマネ選手権』に出演できたんです。何千人と受けても10人ぐらいしか受からないので、念願が叶った形ですが……。キンタロー。さんと一緒に受かったんです」

 番組内で同じネタでふたり同時に出演するのは異例だったという。その後、キンタロー。さんがブレイクを果たしたことはご存知のとおり。“AKBあっちゃんのものまね”と聞いて、キンタロー。さんを思い浮かべる人は多いだろう。

「オーディションの時点であっちゃんのものまねをする人は他にもいました。ものまね芸人あるあるなんですが、みんな常に新しいネタを探していて、結局ものまねする人が被ってしまうんですよ。その時に人気の人、マネしやすい人、キャッチーな人から選ぶと、だいたい同じ人に辿り着いてしまう。それで、ものまねの世界は厳しいなって。私が一生できる仕事じゃないのかもしれないなって思い始めたんです」

 前田敦子さんのほか、宮﨑あおいさんや、小島瑠璃子さんなど、様々な有名人のものまねに挑戦したというが「あっちゃんのものまねしかオーディションに受からなかった(笑)」と話す小林さん。そして、「私は何をやってるんだろう……」と中途半端な自分に対して疑問を抱くようになったという。

「もともと25歳までには結婚したいと思っていたんです。その時、21歳。あと4年しかないと思ったら、“やりたいこと”を全部やり切らなくちゃって」

◆芸能活動休止、どうしても養豚場で働きたかった

 彼女が芸能の仕事以外にやりたかったこととは何なのか。それは、養豚場で働くことだった。事務所には引き止められた。

「事務所に『養豚場で働きたいから辞めます』と言ったら、最初は首をかしげられましたね。でも、豚が好きで好きでどうしても働いてみたかったので。頑張って説得したら、快く送り出してくれました」

 小林さんは、それから2年間に渡って養豚場で働いた。当時を振り返り、「今まででいちばん楽しかった」と笑う。

 場内のうじ虫の除去や、雄豚と雌豚の交尾の補助、出産から出荷までのサポート……。華やかな芸能の世界とは打って変わり、だいぶ過酷な労働に思えるが「いい経験ができました」と語る。

「身体が弱くて、ブチ柄の豚に“ブタオ”と名付けて子どものように育てたんです。自分でご飯が食べられないから、哺乳瓶でミルクを飲ませたり、散歩をさせたりしました。私が近寄れば尻尾を振って、“お手”までできるようになったんです」

 手塩にかけて可愛がってきたブタオ。だが、ここは養豚場。他の豚と同様、別れの時はやってくる。

「半年育てて出荷する決まりなんです。出荷前日は泣きましたね。殺されるところも見なければと思って、屠殺場まで行ったんですが、最後までブタオが『なんで?』という顔をしていたことが今でも忘れられません」

 小林さんは“他の人に食べられるぐらいなら”と、頼み込んでブタオの肉を分けてもらい、泣きながら食べたという。当時は、自分が人間であることすら嫌になってしまったと振り返る。

「何気なくスーパーで買って食べている豚肉に、罪悪感をもって欲しい。美味しい豚が食べられるのは、当たり前のことじゃないんです。人間ひとりが生きるために、どれだけの犠牲のうえに成り立っているのか知って欲しいなって」

◆“芸人の嫁”としての苦悩、離婚。そして現在

 こうして貴重な経験をした彼女は、さらに仕事に精を出すが、ちょうど25歳の時に妊娠が発覚し、結婚に至る。流産のリスクも考え、仕事は辞めるという選択をした。

 出産を終えて“芸人の嫁”として再びテレビ出演が増えた小林さんだが……。

「私、ちょっと尽くし体質なんですよ。サービス精神が多めというか……求められた以上のことをやってしまう。“芸人の嫁”として、夫のためにも頑張らなきゃって気持ちも正直ありました。子どもの顔出し以外はNGナシ。でも、疲れてしまって。色々あったんですが、結局、離婚してしまいました。いま思うと、元夫に対して、もっと違う支え方もあったのかなぁ……なんて、反省することもありますね」

 今後は子育てを中心にマイペースに芸能活動を続けながら「婚活もしていきます」と小林さん。

「以前は無理してお色気キャラをやっていた部分があるので、グラビアなどのキレイな見せ方なら良いのですが、下品な発言とかは封印したいなって思います。子どものためにも、未来の旦那さんのためにも……。好きなタイプですか? ん~、一途で真面目で誠実。そんな人と出会えたらいいな」

<取材・文/吉沢さりぃ、撮影/藤井厚年>

【吉沢さりぃ】
ライター兼底辺グラドルの二足のわらじ。近著に『最底辺グラドルの胸のうち』(イースト・プレス)がある。趣味は飲酒、箱根駅伝、少女漫画。Twitter:@sally_y0720

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